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それから、二日ほどは静かに時が流れた。
いや、新米秘書としては、なにも静かではなかったのだが。
行事も多いので、毎日がてんてこまいだったが。
祐人たちに、指示された通り、走り回るうちに日々過ぎていき、京平とも事務的な話しかしなかったので。
ああ、やっぱり、あの話はこのままフェイドアウトするんだな。
まあ、物の弾みで結婚するとか、そんな莫迦な話もないよな、と思っていた矢先、専務室を出ようとしたら、
「もう帰るのか?」
とのぞみは京平に訊かれた。
「はい。
なにも急ぎの用がないようでしたら帰りますが。
なにかございますか?」
と訊くと、京平は、
「いや、帰れ」
と言ってくる。
「俺も今日はようやく早く上がれそうだから、帰れ。
出来るだけ早く終わるから、食べずに待ってろよ」
なにが食べたい?
と訊かれた。
「いえあの、今日は家でご飯を――」
と言いかけるのぞみに、
「なんでも奢ってやるし、なんでも買ってやるぞ。
幸せにしてやると言ったろう」
と京平は言ってくる。
「いや、だから、金銭の類いや、それに準ずるものはいりません」
とのぞみは即行、断った。
タダより高いものはないからだ。
実は先程から、回ってるやつでもいいから、お寿司食べたいな~とか思っていたのだが、此処で口に出すのはやめておいた。
回ってる寿司と引き換えに、人生を売る羽目になったら、大変だからだ。
「でもそうか。
お前は自宅だったなよな。
帰ると家から出づらいか。
じゃあ、その辺で待っとけ、すぐ行くから」
おいこら、人の話を聞け、専務、と思っていると、京平は、
「なんだ? 不満げだな」
とのぞみを見て言ってくる。
「あのー、専務。
好きでもない相手と意地で結婚するのはどうかと思うんですが」
のぞみは三日前と同じセリフを繰り返してみたが、京平は、
「好きでもないと誰が言った」
と言い出した。
……え、と固まっていると、
「まあ、今、好きかと問われたら、迷うところだが。
教師だから言わなかったが、実は、過去、お前を意識したことがないわけでもない」
と京平は言う。
初耳だ……と思っていると、京平は、
「お前だって、俺にチョコくれたじゃないか」
と言ってきた。
「お前も、少しは俺に気があったんじゃないのか?」
そう京平は、大きなデスクで手を組み、裁判官のような口調で言ってくる。
そのうち、木槌でも打ち鳴らすに違いない、とのぞみは思った。
いや、日本の裁判官は木槌は持ってはいないのだが――。
「あ、あげましたけどっ。
単に、つられたんです! みんなにっ」
とのぞみは反論する。
そして、他に若い男の先生が居なかったからですっ、と思っていた。
それで、みんなで友チョコ買うついでに、他にあげる人も居なかったので、きゃっきゃっと担任の先生宛てのチョコを買ったのだ。
「いや、みんなで一緒に買ったのかもしれないが。
誰も俺にはくれてないぞ」
「ええっ!?」
「食ってしまったんじゃないのか? 自分で。
お前ら、昼休みとか弁当そっちのけで、菓子食ってたろ。
甘いものなら、底なしに食べるからな、女子」
そ、そんな莫迦な、と思ったが、そういえば、みんなも渡したかは確認していない。
よく考えたら、イケメンだが、気難しそうな京平に、ノリで買ったものの、渡しづらかったのではないだろうか。
「ともかく、あの年は、お前しかくれなかったから、よく覚えてるんだ。
お前、俺が肉食系だったら、あのとき食われてるぞ」
と京平は言ってくる。
「確か、昇降口でたまたまお前と会ったら、お前は、忙しげに鞄からチョコを出してきて、
『これあげます。
ハッピーバレンタイン』
と言って去っていったんだ」
いや……、ハッピーバレンタインとか言って、軽く渡してる時点で、もう明らかな義理チョコですよね……?
ハッピークリスマスとか、トリック オア トリートと変わらない感じではなかろうか……。
「ちょっと気になってたんだ。
あのとき、タイミングが悪くて、お返しできなかったことが。
っていうか、お前、ホワイトデーが来る前に卒業してたからな」
高校の卒業式、早いですもんね……。
「今日、お返しになにか奢ってやる。
なにがいい?」
なんだか断れない雰囲気になってきたな、と思いながら、
「じゃ、じゃあ、回転寿司で」
と言うと、
「……回転したいのか?」
と問われる。
京平は回転してないのが食べたかったのだろう。
「回転したいんです……」
あまり高いものをご馳走になるのも気が引けるし、あとが怖いしな、と思って、のぞみは言った。
回転寿司だと、だいたい、皿四枚くらいしか食べないし、あとはせいぜいデザートだ。
高校生が義理で買ったチョコのお返しにしては高いかもしれないが、まあ、三倍返しとも言うくらいだから、そのくらいは許されるだろうと思い、のぞみは了承した。
「わかった。
すぐ連絡するから、その辺の店でお茶でも飲んで待ってろ」
そう言われ、ちょっと浮かれたノリでチョコを買ってしまった、過去のおのれを呪いながら、のぞみは、ぐったりとして専務室を出た。
そうだ、図書館に行くんだったな。
本返さなきゃと思いながら、会社を出たのぞみは、駅に併設されている図書館で本を返し、ブラブラ本を眺めていた。
まだ京平からの連絡はない。
たまには違う棚も覗いてみるかーと移動しようとしたとき、向こうから来たスーツつ姿の背の高い男と目が合った。
御堂祐人だ。
「あれっ? 御堂さん。
お疲れ様ですー」
と言うと、
「会社じゃないから、そんな改まらなくていい」
と祐人は言ってくる。
「それにしても、奇遇ですね。
御堂さん、図書館になにしに来られたんですか?」
会社の人とこんなところで会うのは妙な感じだったので、思わず、そう訊いてしまったが、
「……本借りる以外にあるのか、図書館に来る用事が」
と案の定なことを言われてしまう。
苦笑いしたのぞみの前で、祐人は、一瞬、迷ったあとで、白状してきた。
「だが、実は、俺は珈琲を飲みに来たんだ。
単に、此処横切ったら駐車場から近いから」
と祐人は図書館の先にあるカフェを指差す。
へー、とそちらを振り返りながら言ったとき、のぞみのスマホが震えた。
メッセージが入ったようだ。
鞄から取り出して見ていると、
「どうした、男からか」
と祐人は言ってくる。
「……なんでですか」
と確かに京平からの連絡を待っていたので、ビクビクしながら問うと、
「スマホが鳴った瞬間、どきりとした顔をしたからだ」
とにやりと笑い、祐人は言ってくる。
「此処に来るのか?
相手の男の顔を見てやろうか?」
面白がって、そう言う祐人に、のぞみは、
そんなことをするのなら、駅ビルから突き落としますよ、
と思っていた。
いや、秘密を守りたい京平が、まず突き落とすに違いないが。
そう思いながら、今、着信した画面をスマホを見せた。
「母からです。
晩ご飯いるのかって」
そういえば、さっきの衝撃で、連絡入れるの忘れてたな、と思っていると、祐人は、
「お前、実家から通ってるのか。
一人暮らししないと、男、できないぞ」
と言ってくる。
「いや、なんでですか」
っていうか、できなくて結構です、とのぞみは言った。
「私、まだ、全然仕事もまともにできなくて――」
「そうだな」
すみません。
話の途中で、いきなり肯定しないでください。
後が続かなくなったではないですか……とのぞみは固まったが、一応、最後まで言った。
「ともかく、今は、そんなことより、ちゃんと仕事を覚えたいんです」
そうか、と笑った祐人に、
わあ、この人でも、こんな風に笑うんだ?
といつも祐人には、叱られているか、からかわれているかしかない、のぞみは、ぼんやりその顔を見上げる。
「ま、現状どうかはともかくとして、その意欲だけは買ってやろう」
と言って、祐人は、ぽんぽん、とのぞみの頭を叩いてきた。
頭を叩くという行為は、される相手によっては、嬉しくないものだが。
この仕事のできる先輩にされると、ちょっと嬉しい。
頑張って、此処まで来いよ、と言われているようで――。
「ありがとうございます」
と頭を下げると、祐人は書架を見回し、
「たまには素通りしないで、本でも読んでみるか。
図書館来るのなんて、大学以来だ。
社会人になると、忙しくてなかなかな」
と呟いていた。
「御堂さんって、どんな本お読みになるんですか?」
と言いながら、なんとなく、一緒に図書館内を巡る。