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『駅の図書館に居ます』


 そんなメッセージがのぞみから入っていた。

 京平はデスクの上に置かれたスマホをチラと見ながら、新鮮だな、と思う。


 図書館で待ち合わせとか、大学以来だ。


 教師のときも、今の仕事についてからも、日々、職場と家の往復で、代わり映えのない日常だった。


 もちろん、仕事をするうえでの刺激はたくさんあるが、こうして、ポン、とまったく違う世界から届いたようなメッセージが入ってくるのは新鮮だ。


 少し笑い、早く仕事を終わらせよう、と京平は書類に目をやった。




「これなんかどうですか?」

「読んだ」


「これは?」

「読んだ」


「じゃ、この作者の……」

「読んだ」


「ほとんど読んでるじゃないですか、この辺のミステリー」


 しゃがんで古いハードカバーの本を指差していたのぞみは立ち上がり、祐人に言った。


「昔も結構読んではいたんだが、大学生って暇じゃないか。

 あの頃、かなり読破したぞ」


「へー。

 海外ミステリーは?」


 今、話していたのは、日本のミステリー作家のものだったので、そう訊いてみると、祐人は渋い顔をし、

「実は、ひとつ読んでいないものがある」

と言ってきた。


「シャーロックホームズだ」


 ええっ!?

と思わず声を上げてしまい、静かな図書館に響いたその声に、のぞみは慌てて自分で口許を押さえる。


「な、なんでですかっ?」

「いや、あまりにも有名すぎて、読みたくなかったというか」


「で、でも、ミステリーの本読んでたら、シャーロックホームズの話、よく出て来ますよね?」

「ああ、そのたびに、まだ読んでないのに、ネタあかしすんなーって思ってたな」


「まあ……ミステリー読む人で、シャーロックホームズ読んでないとか想定してないですからね。


 でも、すらすらっと読めるし、寝る前にでも少しずつでも、読んで見られてはいかがですか?


 実は私も、シャーロックホームズ読んだの、遅くて――」


 などと楽しくミステリー談義に花を咲かせているのぞみは、遠くから、呪いを込めて、自分を見つめる目があることには気づいてはいなかった。




 せっかく早く着いたのに。

 メッセージを入れても返事がないと思ったら、なに他の男といちゃついてるんだ、こらっ。


 京平は離れた位置から、楽しげに書架の前で話しているのぞみと祐人を見ていた。


 お前、俺と結婚するんじゃないのかっ。


 いやまあ、こっちが一方的に、それも別に好きだからというのでもなく、言っているだけなのだが。


 ……でも、お前、昔、俺にチョコくれたじゃないかっ。


『ハッピーバレンタインー!』

とかいう軽いノリだったがっ。


 だが、坂下の話によると、みんなも俺にチョコを用意していたのに、気後れして渡せなかったんだよな?


 てことは、あいつは、当時から、俺を舐めていたということか?


 なにせ、『ハッピーバレンタイン!』だからなっ。


 もらった当初はちょっと嬉しくて、のぞみの可愛らしい声で言われた『ハッピーバレンタイン』を思い出しながら、チョコを食べたりもしたものだが。


 今はそのセリフの軽い口調を思い出し、腹が立つ。


 おのれ、坂下め~、と怨念を込めた目線で見つめていると、気配を感じたように、のぞみがビクリとし、こちらを見た。


 ひっ、と息を呑む。


 そして、慌てたように、目と、微妙な顔の動きだけで、

『あっちで待っててくださいっ』

と伝えてくる。


 何故、俺の方が去らねばならん、とは思ったが、確かに、祐人に知られたら、厄介なことになる。


 仕方なく、京平は図書館の隅の方に行き、ひとり寂しく本を眺めた。




「す、すみません。

 お待たせしました」


 息を切らし、急ぎ足で京平の許に戻ったのぞみは不機嫌な京平に、

「お前、なんで今、下から来た?」

と問われた。


「え?

 だって、一度、御堂さんと駐車場まで行ったんですよ。

 もう下りたり、上がったりで大変でした」

と笑ってみたのだが、京平は笑わない。


「……なんで機嫌悪いんですか」


 京平のために、祐人が彼に気づかないようにし。


「珈琲でも飲んでくか」

と言う祐人をできるだけ自然に断り。


 一度駐車場まで下りて、急いで戻って来たのにっ。


 それも全部、専務のためにっ、と思っていると、神妙な顔をした京平が、

「……実は俺はお前のことが好きなのかもしれん」

と言ってきた。


 いや、結婚しようとか言っておいて、今、

『実は……』

とか言い出すのも相当おかしいですけどね、と思いながらも、のぞみは京平の言葉を待った。


「さっき、お前が御堂といちゃついてるのを見たとき」


 本選んでただけですよねー。


「イラッと来たんだ。

 恋かもしれん」


 無理やり思い込もうとするのはよくないと思います、とのぞみは思う。


 結婚するにあたり、相手を好きにならなければならないと思ってるのではないかと思ったのだ。


 ……それもおかしな話だが。


 そう思っていると、

「ところで、なにを借りたんだ?」

と京平が訊いてきた。


 本は車に置いてきてしまったので、もうない。


「ああ、御堂さんオススメのグルメミステリーです」

と言うと、


「グルメミステリーってなんだ?

 食べるか推理するかどっちかにしろっ」

と文句を言い出す。


「いやいやいや、両方あるからいいんじゃないですかー」

と言いながら、ついて歩いていると、京平が、


「そういえば、お前、学校の図書室でもよく本借りてたな」

と言ってきた。


 よく覚えてしましたね、そんなこと……と思っていると、京平は言う。


「お前が可愛らしく、えへ、とか言いながら、借りてたから、なにを読んでるんだろうなと思って、表紙をチラと見てみたら――」


「待ってください。

 私、えへとか言ってませんが……」


 貴方の頭の中の私はどんな感じなんですか。


 可愛らしいような、ずいぶんとマヌケなような、と思っていると、京平は、


「そんな可愛らしい感じに借りていたのに、お前の借りていた本は、いつも、

『○○○殺人事件』

『××村殺人事件』

『△△唄殺人事件』!」


 全部殺人事件だった! と叫び出す。


 いやそれ、単に、ミステリーのシリーズ物ですよねー……と心の中で言い訳したとき、やけに珈琲のいい香りがし始めたので気がついた。


 なんとなく京平のあとをついて歩いてきたが、このままだとカフェに出てしまう。


 駐車場とは逆方向だ。


「専務、道、間違えましたよ」

とのぞみは振り返り、今来た図書館の方を見たのだが、京平は、


「いや、間違ってはいない。

 此処でお茶でもしようと思ってたんだ」

とカフェを見ながら言ってくる。


 うーむ。

 先を歩いていたのは、専務だったから、もしや、いつもの負け惜しみだろうか、と思いながら、


「でもあのー、ご飯食べに行くんですよね?

 私、お茶したら、もう食べられなくなるんですけど」

とのぞみは言った。


 先に珈琲など飲むと、お腹がちゃぽちゃぽして食べられなくなってしまうのだ。


 なのに、たっぷり食べたあとのスイーツなら幾らでも行けるのは、不思議なことだが……。


「そうか、じゃあいい。

 行こう」

と言って、さっさとカフェと図書館の間にあるエスカレーターに乗ってしまう京平が、妙に素っ気なく、


 あれ? もしかして、本当に行きたかったのかな?

とのぞみは思った。


「あっ、専務っ。

 待ってくださいっ。


 やっぱりお茶しましょうっ」

と追いかけてエスカレーターに乗ったのだが、


「いや、いい」

と言って、京平は振り返らない。


 す、拗ねてしまったとか?

と怯えながら、


「すみませんでした。

 あの、せっかくですから、お茶しましょうっ」

と言ってみたのだが、京平は振り返り、


「違う。

 お前が食べられなくなるのならいいと言ってるんだ」

と言ってくる。


 え、でも、と京平より、少し上の段に乗っているのぞみが身を乗り出しながら言うと、

「どうせ奢るのなら、美味しく食べて欲しいからな」

と京平は言う。


 言い方は喧嘩腰ではあったが、そうやって気遣ってくれるのが、ちょっと嬉しかった。


「……ありがとうございます」

と微笑み言ってみたのだが、京平はすぐに目をそらしてしまう。


「まったくお前はごちゃごちゃうるさいなっ」

と文句を言ってはいるのだが、それが自分の親切心を知られて照れているようにも見えて、笑ってしまった。


 だが、笑っていることがバレたら、また怒鳴られそうなので、のぞみは京平とは離れたステップに乗ったまま、ひとり静かに笑っていた。



 


わたしと専務のナイショの話

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