テラーノベル
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「そいつ弁護士じゃないのか? 何? 結婚詐欺って⋯⋯。美香、今なら遅くない。戻ってこいよ。その年で離婚なんて、不良物件ですってレッテル貼られるぞ」
間が悪く海斗が現れる。栗山政治は肩をすくめると脇目をふらず、芹沢慎也と脇田マリの乗ってきたタクシーに乗り込んで逃げてしまった。
その姿に呆気に取られていると、ふと温かい温もりに包まれる。
「美香は俺が守るから問題ない」
顔を上げると、間近くに芹沢慎也の精悍な顔があった。
見惚れる程に美しく、私は彼を視界に入れる度に心臓が跳ねる。
それと同時に頭の中に警笛が鳴る。
恋に落ちてはいけない。恋は地獄の始まりだ。
私は海斗の事も好きになり過ぎてしまい、あらゆる違和感に目を瞑って地獄に落ちた。
「芹沢さん、離れてください。私、芹沢さんとは⋯⋯」
声にならないような声で必死に彼を拒絶する。
「今度は誰だよ。芹沢?」
「うちの大学のOB! 単なる顔見知りだから!」
海斗の問い掛けに私は咄嗟に口を開いた。
せっかく、慰謝料を貰って離婚できるところまで漕ぎ着けそうなのに変な言い掛かりをつけられたくない。
私はもう高杉家とも海斗とも縁を切りたいのだ。
芹沢慎也の顔を海斗が知らなくて心からホッとする。
彼の父親は高杉農園の大口取引先セリザワフーズの社長で、彼の妹は有名モデルで顔が全国的に知れてしまっている。
芹沢慎也も私の意図をそっと私の拘束を解いてくれた。
彼の爽やかなシトラスの香りが離れた事に寂しく思うも、首を振る。
「自己紹介が遅れました。私、こういう者です」
芹沢慎也が姿勢を正し、海斗に向き合い名刺を差し出す。
パチンコ帰りでだらしのない格好をした海斗が戸惑いながらも名刺を受け取る。
海斗は教師になりたかったはずなのに、土地代が高騰し高杉家の不動産収入が跳ね上がってから働くのを辞めた。
パチンコ出勤を繰り返し自堕落な生活を送っている。
芹沢慎也のビシッとしたスーツ姿と比べて、無精髭を生やしたジャージ姿。
私はどうしてこんな男に夢中だったのか、そして、こんな男と結婚している事実さえ恥ずかしい。
「セリザワフーズの専務兼取締役の芹沢? まさかセリザワフーズの御曹司?」
海斗の言葉に私は思わず目を見開いて芹沢慎也を見てしまった。
私をまっすぐに見つめてくる彼に私は再び心臓が跳ねて、目を逸す。
彼は創業百年のセリザワフーズの御曹司だが、親の敷いたレールを走る事を嫌がり三池商事に就職したはずだ。
「高杉農園さんとの取引は全て停止させて頂きます」
芹沢慎也は柔らかく美しく笑った。
(まさか、私の代わりに復讐する為に会社を継ぐことにしたの?!)
私は芹沢慎也に自分を軽んじた人間には徹底的に復讐するように言われた。
高杉家と関わりたくない私は無気力に「もう、会わないで済むならどうでも良い」と答えた。
芹沢慎也は自分の意見を曲げるのを嫌う男。
私が彼との交際を断った時も、「僕が君の気持ちを変えてやる」と諦めてくれなかった。
私は確かに彼に惹かれているが、結婚に失敗して痛い目に遭ったばかりで男の人を信用できない。
私のような芋っぽい女に向けられた彼の熱い気持ちが冷めるのに怯えながら付き合うなんて不可能だ。
「はぁ? なんで⋯⋯あんた、美香が好きなんだろ。それで俺に嫌がらせを」
海斗は明らかに動揺しているのか、大口取引先の専務を「あんた」呼ばわりだ。
「好きなんて簡単な気持ちではありません! 僕は彼女と結婚を考えています!」
「待ってください。芹沢さん! 私、まだ離婚出来てないし、芹沢さんとはお付き合いもしてないですよね」
私は完璧王子と呼ばれる芹沢慎也が全然完璧ではない事を知っていた。
先程は、私の意図を察してくれていると思ったのに、やはり彼は今の私の状態を分かっていない。
もう、結婚も男もうんざりなのだ。
私はただ教職免許をとって大学を卒業し教師になり自立したい。しっかりとお金を稼いで、母を迎え入れられる準備をしたいのだ。
容姿端麗で裕福な家に生まれた芹沢隼人は昔から女には不自由せず、欲しいものも買い与えられて来た。
それ故、周りにいない珍しく芋っぽい女に告白したら振られたのを認められないのかもしれない。
芹沢さんは私を自分の背に隠すようにすると、まっすぐに海斗の目を見据えた。
その冷ややかな視線に海斗が縮こまるのが分かった。
「高杉農園が不法労働者を雇っているとの噂が今出回っています」
「そんなの噂レベルでしょ。うちはちゃんと手続きを踏んだ実習生を雇って給与も支払っています」
芹沢慎也が淡々と言った言葉に被せるように海斗が返した。
「じゃあ、この農園の経営陣である高杉海斗が前社長の通夜であそこにいる妻の友人と不貞行為を働いていたというのは本当なのでしょうか?」
芹沢慎也が指で指し示した先には真っ青になった愛子がいた。
後ろには先程まで和室で私を笑っていた高杉家の親戚の方々とご近所様までいる。
この家がいつでも門が空いていて、ご近所様ウェルカム状態なのが災いしたようだ。
「⋯⋯それと、契約の件は関係ないんじゃ」
震える声で呟く海斗はまさに不倫を大勢の前で認めたようなものだ。
そして、近所に愛されていた海斗の祖父の先代の通夜で不貞行為があった事実は高杉家の求心力を一気に奪った。
「背徳感に溺れたいって言われて、私、無理やりされたんです!」
愛子が焦ったように口を開くが、火に油を注ぐようなものだ。
「じゃあ、高杉海斗を強姦罪で訴えるといいですよね。うちの弁護士を紹介するよ。不倫女さん」
芹沢慎也が冷たく言い放つと、愛子は私に助けを求めるような視線を送ってくる。
いくら裏切っても私は許すと思われているのだ。
(『自分を軽んじた人間を絶対許すな』)
いつか芹沢慎也に言われた言葉が頭にこだまする。
「愛子、私はいつでも貴方に不倫の慰謝料を請求できるのよ」
「何それ! 約束が違うじゃない! 私、さっき不倫の証拠を美香に渡したよね」
「約束?」
私は初めてすっとぼけた。
裏切りには裏切りを。芹沢慎也の姿を見ていたら、『やられたらやり返せ! お人好しのままじゃ利用されるだけだ!』と彼に言われた言葉を思い出したのだ。
「慰謝料? ちょっと、愛子! 何やってるのよ」
いつの間にか愛子の母親が高杉家の敷地に侵入してきていて、愛子の髪を引っ張り回す。
「痛い! お母さん。みんなが見てるのにやめて!」
「このアバズレ! 不倫なんかして、もうここに住めないじゃないか! 大学まで行かせてやったのに恩知らずが、土下座して詫びろ」
愛子の母親は愛子の顔を地面に擦り付ける。
私は思わず「もういいです」と助け舟を出そうと思った。
すると、伸ばした手を芹沢慎也に取られ耳元で囁かれる。
「あんなの慰謝料免れたいだけの演技だ。騙されるな。全くお人好しでいたら損をするだけだって、あれだけ言っただろう」
私は思わず彼の目を見つけた。色素の薄い目に恋を仕掛けている自分が映っていて怖くなる。
幸せになれると思ってした結婚も失敗。
私が弁護士だと思って頼ってた男も結婚詐欺師だったかもしれない。
今、この心理状態ではどんな素敵な王子に愛を囁かれても、その胸には飛び込めない。
私が再び彼から目を逸らそうとすると、芹沢慎也は私の両頬を包み瞼に軽くキスをした。
(この場面で、それする!?)
周囲の視線を集めながら、私は目の前の男の一挙手一投足に振り回されていた。
コメント
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ああ、第3話、一気に動きましたね…!まず芹沢慎也が「美香は俺が守る」ってあの場面で言い放つ強さ、痺れました。でも美香が「恋に落ちちゃいけない」と必死に拒絶する気持ちも痛いほどわかって、複雑な気持ちになりました。そして通夜の場で不倫を晒す芹沢の鮮やかさ!さらに最後の瞼にキス…「この場面でそれする!?」って声が出ました。椿ようこさんの挿絵で読んでみたい衝動に駆られました(笑)続きが気になります!