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二年前、高杉美香はまだ知らぬ地獄に足を踏み入れていた。
「高杉海斗。そなたは、如月美香を妻とし、病める時も、健やかな時も、貧しい時も、豊かな時も、喜びあっても、悲しみあっても、死が2人を分つまで愛を誓い、妻を想い添うことを、神聖なる婚姻の契約の元に、誓いますか?」
眼前に立つ麗しい初恋の男が私に微笑みかけている。
「はい、誓います」
「如月美香、そなたは、高杉海斗を夫とし、病める時も、健やかな時も、貧しい時も、豊かな時も、喜びあっても、悲しみあっても、死が2人を分つまで愛を誓い、夫を想い添うことを、神聖なる婚姻の契約の元に、誓いますか?」
「はい、誓います」
迷いなどなかった。彼の親族が神前式を希望する中、私のウェディング姿が見たいと言って教会で式を挙げてくれた初恋の人。
父が亡くなって失意のどん底にいた私に、皆が忘れかけている父を目指して教師になりたいと言ってくれた。
結婚式が終わり、私は愛しの夫にしがみつく。
「海斗ありがとう。本当に好き! 絶対に幸せになろうね」
幸福感に一杯になった私を冷たい視線で見つめ返してきた彼。
あの時の違和感に私は何故向き合わなかったのだろう。
「ああ、そうだな。高杉美香⋯⋯」
私の地獄は結婚直後から始まった。
付き合っている時は狂ったよりに私を求めてきた海斗が私を拒絶するようになった。
「えっと、一応今日は初夜なんだけどしないの?」
広い和室に敷かれた布団に少し緊張しながら、私は彼に尋ねた。
寝室で海斗と並んで寝転がる。
海斗は私に背を向けて目を瞑っていた。
私は何故だか、不安が押し寄せてきた。
「初夜? 処女でもない癖に図々しいよ。高杉の嫁になったら明日は朝が早いぞ。もう寝ろ」
彼は眠たげに呟くといびきをかいて寝入った。
私は羞恥に苛まれながら眠れないながらも目を瞑って夜を明かした。
翌日、私は往復ビンタで目を開かせられた。
隣に横たわる海斗はまだ眠っている。
義母が私に馬乗りになっていた。
「最低限、誰より早く起きておくのが礼儀なんじゃないの?」
義母の言葉に思わず時計を見るとまだ早朝の四時二十三分だった。
「えっと、まだ朝早くて。海斗さんも寝てますし」
私は再び引っ叩かれた。
「ご主人様が寝てる? それが自分が寝ていい理由にはならないだろうが。あと二時間も経てば皆が起きてくる。今すぐ炊事洗濯と掃除をしないとと思えないなんて、どれだけ馬鹿なの? この高卒が!」
浴びせられた暴言に私は語るしかなかった。
私は確かに高卒だ。
それはこの地域では珍しいことでも何でもなく、ほとんどの女は高卒だ。
私は本当は大学に入りたかった。
父のように大学在学中に教職免許を取って教師になりたかった。
そんなのは父が死んだ時点で夢のまた夢だと分かった。
大学はお金が掛かる贅沢な場所だ。
しかし、義母はこの田舎で東京の大学に通った人だった。
それは田舎の人間にとって子が優秀なことの証ではない。
家が仕送りをできるくらい裕福だという証。
私の家は困窮していた。
「今、起きます! すみません」
大いびきをたててる海斗を恨めしく思う気持ちを隠しながら私は立ち上がった。
それと同時に義母は足をかけて私を転ばせる。
「いたっ」
私がコントのようにうつ伏せに転がるのを義母は楽しむように見下していた。
「何が痛いの? 痛いのはこっちの方! あんたみたいな気が利かない嫁を貰って心が痛いわ」
義母は結婚式までは私に対して礼節を持っていた。
作った笑顔でも優しく接してくれていたはずだ。
今日から私は高杉家の嫁だから、身内として厳しくすると言うことだろう。
(きっと、他の家もこうなんだ。早く慣れるように頑張らなきゃ)
私の家は核家族だが、高杉家は三世代同居している。
嫁になった以上、皆が起きる前に全員の朝食を作らなければならない。
私は隣で眠る海斗を尻目にキッチンに向かった。
海斗も永遠の誓いをした後から変だ。
いつも優しく穏やかだった彼の態度は冷ややかなものに変わっていた。
釣った魚に餌をやらないなんて生優しいものではない。
彼にとって私は結婚した瞬間から「気を遣う必要のない」高杉家の使用人になっていた。
高校二年の冬に父を失った私。
母が精神を病み、経済的に見通しも立たなく進学を諦めた。
そんな時に「高校卒業と同時に私と結婚する」と言ってくれた海斗。
あの時、彼が私に向けていた眼差しは愛しい恋人を見るものではなかった。
違和感を感じていたのに、私は様々な不安に負けて彼のプロポーズを受け入れた。
私、一人で病んだ母を支えられる訳がない。
そう思って高杉家に嫁いだはずなのに、私は嫁いでから実家に帰らせて貰えたことはなかった。
朝は四時起き、夜は深夜まで帳簿の整理をしたり、家業の農業を手伝う。
農園で働く従業員の世話や、出入りする近所の人、私は朝から晩まで炊事洗濯に追われる毎日はしんどかった。
皆に慕われていた先代が亡くなったのは結婚して一年が経った時だった。
私が食にありつけるのは、深夜のみ。
そして、一日の皆が食べ残したものは捨てることは許されず、食べ切ることを強いられた。
一年で私の体重は45キロから90キロと二倍になっていた。
♢♢♢
高杉家で行われた葬儀は九百万円をかけた大きなもので、地域の人間が皆集まった。
通夜振る舞いの席で私はひたすらお酌をしていた。
「おい、あんた何やってるんだい! メロンがなくなってるよ。あんたが作る飯がまずいから、ウチのメロンばかりみんな食べてるじゃないか!」
義母に皆の前で罵声を浴びさせられ、居た堪れない気持ちになる。
「まあまあ、美香ちゃんも、こんな稼ぎの良いメロン農家に嫁げてよかったね。凄い幸せ太りしちゃって」
「本当にね。高校ではテニスでインハイまで行ったんでしょ。運動神経良いなら、力士でもやったらどうだ?」
次々とされる嘲笑を背に私は足早に倉庫にメロンをとりに行く。
倉庫の前まで行くと、パンパンと何かを叩く音がした。
私は動物でも入り込んだのかと、そっと倉庫の扉の隙間を開ける。
そこにいたのは肌けた喪服姿で段ボールに手をつく愛子と、後ろから覆い被さる夫の海斗だった。
コメント
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えっ、重い空気がずっと続いてたね……この話……🥀 最初の結婚式のシーンがすごく綺麗だったからこそ、その後の冷たさとのギャップに胸が痛かった。 義母の仕打ちがリアルで怖かったし、海斗の豹変も「なんで?」って気持ちでいっぱいになった。 それにしても最後の倉庫の場面で凍りついたよ……まさか愛子と……続きが気になる。 美香の心情をもっと知りたいし、彼女がどう変わっていくのか見届けたいな。