テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
ヒミコは突然、刀を持ったまま腕組みをして、無防備に老人に背中を向けた。
「それは思案のしどころですなあ。なんちゅうても、この世で一番大事なもんは、金ですからなあ」
老人の目がにやりと笑う。
「そうだろう、そうだろう。さあ、いくらで雇われたのか言ってくれ。日本円でも米ドルでも……」
老人の手がさっと動き、懐から短いドスを引き抜いた。その刃をまっすぐにヒミコの背中に突き刺す。
ヒミコの体がぐいと前に押し出される。その勢いを利用して、ヒミコは上半身をひねり、刀身を自分の左の脇の下にくぐらせ、背後にいる老人の心臓のある位置に正確に突き刺した。
「ぐあっ!」
心臓を一突きにされた老人の手から刃物がぽろりと落ちる。ヒミコは後ろ向きのまま自分の刃をじりじりと深く奥まで相手の体に差し込んだ。
「せやけど、ウチらの場合、ついでに世のため人のため、ちゅうのもありましてなあ。あんさんに寝返るんは、ポリシーに反しますのや」
刃が心臓を貫いているが、その状態のままかろうじて動いている老人の口から、うめき声が漏れる。ヒミコは刀の柄を逆手に持ち替え、老人に最後の言葉をかけた。
「蔭(おん)の白拍子(しらびょうし)の謡(うた)い舞い、お楽しみいただけましたやろか? これがあんさんへの」
ヒミコの手が相手に突き刺さった刀身をねじった。内部で心臓の壁が切り裂かれ、老人は絶命する。刀を引き抜くと、老人の胸の傷口から大量の血が勢いよく吹き出した。
ヒミコは羽織の左袖で顔を覆い、血しぶきは袖の表面で受け止められた。勢いよく左腕を振り下ろし、血を振り払いながらヒミコは地面に崩れ落ちてゆく老人の体に向かって言った。
「冥土(めいど)の旅の手向(たむ)けや」
一部始終を見届けて、トモエはぺたりと地面に座り込んでいた。何もかもが信じられない出来事ばかりだった。そして改めて確信した。
トモエが東京に着いた最初の夜、秋葉原駅の高架下で見た刀を持った女は、夢ではなかった。あれは現実の出来事であり、あの時の女は今目の前にいるヒミコなのだと。
ウルハがトモエの側にやって来て腕を取って立たせた。ウルハはかすかに笑いながらトモエに言った。
「腰が抜けたか? けど、これであんたの問題は無くなった。そうだろ、アネゴ」
抜き身の刀をぶら下げたままのヒミコが歩いて来てトモエに言う。
「人身売買組織は壊滅というところや。さて、あと一つ、後始末が残ってる」
突然ウルハがトモエの両腕を背中でねじり上げ、地面に膝をつく格好で押さえつけた。ヒミコが刀の切っ先をトモエの顔の前に突き付けて言う。
「あんたはウチらの仕事の目撃者になってしもうた。マンガとかで読んだ事ありまへんか? こういう裏の世界の人間の事を知ってしもうたもんには、死んでもらわなならんのや」
トモエは目の前で光る銀色の刃を見つめ、そして視線を上げてきっとした表情と口調でヒミコに言った。
「殺すなら殺せ!」
背後でウルハが感心したという調子で「ヒュー」と息を吐く。トモエは言葉を続ける。
「どうせ生きてたって、ろくな事はこれからだってない。ろくでなしの伯父のせいで、お父さんは借金の保証人になってその借金を押し付けられて、お父さんは仕事中の事故で、お母さんは苦労のしっぱなしで過労で死んだ。あたしもその伯父に売り飛ばされるはずだった。こんな人生が続くなら、死んだ方がマシだ。さっさと殺せ!」
ヒミコは刀を後ろ向きに持ち替え、柄でトモエのあごを持ち上げてその顔をじっと見つめた。そして誰にともなくつぶやいた。
「ほう。ええ眼や。目の前に刃突きつけられて、そんな眼つきができるんか。苦労知らずに、のほほんと生きてきた小娘の眼やない。それなりに人生の修羅場(しゅらば)くぐって来たもんの眼ぇや」
ヒミコは刀を引き、目でウルハに合図を送った。トモエを押さえつけていたウルハの手が離れた。ヒミコは羽織の袂から取り出したウェットタオルのような物で血にまみれた刀身を拭きながらトモエに言う。
「気が変わった。あんた、ウチの会社で働きなはれ。どうせ他に行くとこ無いんやろ?」
「は? あたしに殺し屋になれと?」
驚いて叫ぶトモエにヒミコは首を振りながら答えた。
「いや、表の仕事の方や。地下アイドル派遣事務所の方のな。事務の仕事が増えて、ウチ一人じゃ手が回らんようになってるさかい。裏の仕事に関わるかどうかは、あんたの好きにしなはれ」
ウルハがヒミコの刀の外、内、二つの鞘を拾い上げてヒミコに投げて渡す。ヒミコが日本刀を鞘に戻したところで、トワノがその場に走り込んで来た。
「ヒミコおねえさま、脱出の車の準備できてます」
そう言ってトワノはトモエの方を見てヒミコに尋ねる。
「この子はどうするんです?」
羽織を脱ぎながらヒミコが答える。
「今日からウチらの、表の稼業の仲間にする。トワノ、いろいろ教えてあげなはれ」
「はい、おねえさま」
トワノはトモエの手を取って、歩き出した。
「よかった、トモエちゃん。これからよろしくね」
この人たちは一体何なんだ? その疑問が頭の中を駆けずり回っている状態のトモエは、トワノに手を引かれてふらふらとついて行くしかなかった。
一旦建物の中に戻る直前、ヒミコが羽織を、地面に倒れているあの老人の死体の上に放り投げた。
羽織は開いたまま老人の体に多い被さる。トモエは改めて、羽織の背中の模様に目を凝らした。
細長い花びらが6枚、円陣を描いて並び、それぞれの先には計6枚の、古銭の模様。