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とんでもねぇとこに居合わせちまった。クレハ様は気付いておられなかったようだが、カミル様はクレハ様のことがお好きなんだな。特に交流があったわけでもない、俺ですらカミル様の気持ちを察したというのに……クレハ様鈍すぎです。
距離が近過ぎたのが逆に悪かったのだろうか。おふたりは物心つく前からの付き合いで、それこそ兄妹のように親しい間柄と聞いている。クレハ様の中でカミル様は完全に身内扱いになってしまっている可能性も……
「ここにいた事……後悔してるだろ? アークライト隊長」
「あっ、いや……その……」
宰相!? 俺の心を読んでっ……!!? 考えていることを見透かしたように、クライン宰相が問いかける。そんな事言われても、まさかこんな展開になるなんて想像できるわけがないでしょう!!
「おじ様、どうしよう。私、カミルを怒らせてしまいました。せっかく会いに来てくれたのに……」
瞳に涙を溜めたクレハ様が俺たちの方へ駆け寄って来た。正直、泣きたいのはカミル様の方だろうな……。しかし、カミル様には悪いがクレハ様が婚約を白紙に戻すなんて言い出さなくて本当に良かった。もしそんな事になっていたら、殿下がどんな反応をなさるか……想像しただけで恐ろしい。
「大丈夫だよ。クレハは何も悪くないから。カミルはクレハが心配で、ちょっと熱くなり過ぎちゃっただけだよ」
「分かっています。私の為に言ってくれてるんだって……」
「良かった。アイツはね……クレハが突然婚約しちゃって驚いたのもあるけど、仲の良い幼馴染が遠くに行ってしまう気がして寂しかったんだと思うよ」
「そんなこと……カミルは私の大切な友達です。これからもずっと……」
「うん……ありがとう。当分の間は気まずくて会いに来ないかもしれないけど、アイツが吹っ切れたらまた仲良くしてやってくれないか? 素直じゃないけれど、カミルは君のことが大好きだからね」
「もちろんです。私だってカミルが大好きですもの」
照れもためらいも無く、クレハ様ははっきりと答えた。宰相は複雑な表情をしている。宰相もツラい立場だよなぁ……。彼が殿下とクレハ様の婚約に最後まで良い顔をしなかったのは、こういう事情があったからか。しきりにまだ早いのではないかとか、他の候補令嬢にも会って交流を深めてから決めても遅くはないとか言ってたもんなぁ。そのせいで殿下がかなり不機嫌になって大変だったが……宰相なりに御子息の気持ちを慮っていたということだ。
コンコン……
ノックの音が室内に響いた。誰だよ、こんな時に……。クレハ様は対応できるような状態ではないな。俺は扉に近付くと、僅かに隙間を開けて小声で呼びかけた。
「悪いが、クレハ様は今取り込み中なんだ。急ぎでなければ……」
扉の前にいたのはクレハ様付きの侍女だった。部屋の中に俺がいたことに驚いたようだが、殿下が不在の間は俺が護衛に付いているという事を思い出したのか、すぐに納得したようだ。
「緊急という訳ではないのですが、エリスがレオン殿下からの文を持って一足先に帰ってまいりまして。殿下は15時頃にはお戻りになられるそうです。クレハ様にお伝えした方が良いだろうと思いましたので……」
15時!! あと1時間も無いじゃないか。予定では夕方頃にお帰りだったはずだが随分早いな。
「分かった。クレハ様には俺が責任を持ってちゃんと伝えるから、君はもう下がっていいぞ」
侍女は『よろしくお願いします』と一礼し、この場を後にした。去っていく彼女の後ろ姿を眺めながら、俺はこの後どうすべきかを考えていた。
その辺の市井の子供であったなら『ませてんなぁ』と微笑ましく、余裕すら持って見守れるのだが、残念ながらそうではない。
渦中の彼らはかたや王太子、かたや大貴族の子息令嬢……将来確実にこの国の未来を担っていくであろう子供達なのだ。今回の出来事が遺恨となって残らないとも限らない。
殿下に内密にして欲しいという宰相の気持ちも分かる。そもそも宰相は、クレハ様がカミル様の申し出を断ると分かっていたような口振りだった。可哀想だが息子に現実を突き付けて、諦めさせようとしたとも見える。しかし、あの時クレハ様がカミル様の言葉に耳を傾けていたとしたら? そんな可能性が僅かでもあったのだから、やはり俺はこの事を殿下に報告した方が良いのではないか……
「隊長、誰だったんだね」
「クレハ様担当の侍女です。レオン殿下からの伝言を言付かりました」
「レオンの?」
殿下の名前にクレハ様は反応し、こちらに振り返った。目尻が赤く染まり、瞳は潤んでいる。この一目で泣いていたと分かる顔で殿下の前に出て行かれては困るな。
「はい。殿下は15時には王宮に戻られるそうですよ。クレハ様、いま冷たいお水をお持ち致しますから、お顔を少し冷やしましょうね。殿下が心配なされますから……」
「あっ……」
「だ、駄目ですよ! 擦ったら」
咄嗟に目元を擦ろうとするのを慌てて止める。そんなことをしたら余計に腫れてしまう。
「レオン殿下を笑顔でお出迎えしてあげないとね。カミルの事はおじ様に任せて、クレハは今まで通り元気に過ごしてくれればいいんだよ。ただ……今日おじ様達が来たことを殿下には秘密にしておいてくれないかな? クレハを泣かせたなんて知られたら怖いからね」
宰相……クレハ様にもしっかり口止めしている。軽く戯けた感じで言ってはいるが、目が全然笑ってない。
「おじ様ったら、もう泣いてませんよ! でも分かりました……レオンに泣き虫だと思われたらカッコ悪いですものね」
問題はクレハ様が泣いたことより、カミル様が婚約解消へ誘導したことなんだけどな……。クレハ様は明後日の方向に納得したようだ。
「さて、じゃあ私もそろそろお暇しようかね。時間を取らせて悪かったね、クレハ」
「いいえ。お仕事大変なのに会いに来て下さって嬉しかったです。また家の方にも遊びに来て下さいね。お父様も待ってますから」
「ああ、近いうちに必ず行くよ」
宰相はクレハ様に挨拶をし、部屋を出て行こうとする。待て待て……俺はまだあなたに話すことがあるんですよ!!
「宰相、途中までご一緒します。ではクレハ様、私はお水を用意して参りますので少しばかり席を外しますが、お部屋でお待ち下さいね」
あからさまに嫌そうな顔をしている宰相には構わず、俺は彼と連れ立ってクレハ様の部屋を後にした。
「殿下に伝えるのはやめておきます。クレハ様がしっかりと自分の意思を述べてお断りなさって事なきを得ましたから。ですが、セドリックさんには報告させて頂きますよ。我々がどういう対応をするかは、今後のカミル様次第ということで……」
「すまない……隊長。恩にきるよ」
「宰相のお気持ちも分からないわけではありませんから」
宰相と俺は人気の無い中庭で、先程の出来事について振り返る。殿下への報告は留保しようと思う。だが、クレハ様の反応次第では洒落にならない事態になっていたと思うと……やはり見過ごすことはできなかった。
「クレハがね……もう少し嫌そうな素振りでも見せていたなら、倅の言うようにクレハの父親と一緒に、この婚約を保留にするくらいの働きかけをするのはやぶさかではないんだよ。でもね……どう見てもそうじゃないだろ?」
「はい……」
明確に恋愛感情を持っている殿下に比べたら、クレハ様のそれはまだまだ淡く、殿下の勢いに押されている感も否めない。けれど、殿下の事を語るクレハ様の表情は、幼いながらにも異性を意識しているものだった。
殿下はクレハ様に初めてお会いした時の衝撃を雷が落ちたみたいだと表現していた……まさに運命だとも。お互い惹かれ合うものがあるようで、日に日に打ち解け距離が近くなっている。
「ガキなりに本気で好きだったのは知ってたからね。親としては応援してやりたい気持ちだったんだけど、なかなか思うようにいかないのが現実なんだよね。流石に相手が悪過ぎる」
今は辛くてもきっと乗り越えられる……いずれ今日のことを昔の思い出として、笑いながら語れるようになるだろうと宰相は言った。そんな宰相を見ながら、自分の初恋はいつだっただろうかと過去の記憶を探りだす。
近所に住んでた歳上のお姉さんだったな……俺とよく遊んでくれて優しくて。その彼女は今や結婚して2人の子持ちのお母さんだ。見かけたら挨拶程度はするが、恋愛的な意味で好きという感情はもう無い。カミル様もそんな風に割り切れる時が来るのだろうか……
「カミルはしばらくそっとしておいてやった方がいいだろうな。私もこの件について、これ以上殿下の怒りを買うのは御免だし……下手するとジェラール陛下より怖いんだよ」
「ははっ……確かに」
俺だって殿下のクレハ様への熱情は、この短期間でも嫌と言う程思い知った。運命だなんて大袈裟と思っていたが、俺もおふたりを見ていると目に見えない絆とも言えるような不思議な結び付きを感じてしまうのだ。
文武に長け、更に見目麗しい我が国自慢の王太子が、一心不乱に求める少女か……。どうかカミル様には幼い頃の思い出として早めにクレハ様を諦めて頂きたい。もしこの先……レオン殿下の憂いの元となるのならば、セドリックさんを始めとする俺たち『とまり木』は黙っていられなくなってしまう。俺たちはあの方に害を成すものは、誰であろうと許さないのだから……