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第二話 声の数が減ってゆく
朝の職員室は、いつもなら出勤した教師たちの会話でざわついているはずだった。
だが今日は――やけに静かだった。
晴明は机に教案を置き、周囲を見渡した。
数人の教員は席に座っている。
けれど挨拶をしても、生返事が返ってくるだけで、
“声の温度”がどこか抜け落ちていた。
「……おはようございます」
晴明の声だけが、部屋の空気に沈んでいく。
返ってくるべき波紋は、生まれない。
電灯はついているのに、光が弱い。
蛍光灯の下で、人の影だけが濃すぎるのも気になった。
晴明は少し眉を寄せ、首を傾げる。
――本当に、ここは職員室だっただろうか。
昨日の東屋で見た白い空の色が、まだ瞼の裏に残っている。
そんな時、背中に微かな空気の揺れが走った。
「、、、おはようございます、学園長」
気配に気づいて振り返ると、学園長が静かに立っていた。
淡く笑う目、、、
その佇まいが“いつもと同じ”なのに、どこか違って見える。
「おはようございます、晴明くん。今日も早いですね。」
「はい、、、少し、準備がありまして」
「真面目なのは良いことですよ。」
学園長の声は優しげだが、言葉の間に落ちる“沈黙”が長い。
その沈黙は、部屋の空気よりもずっと重かった。
晴明の視線を追うように、学園長は周囲の教師たちを一瞥した。
「……皆さん、今日は静かですね。」
「はい。体調が悪いんでしょうか」
「そうかもしれません。ですが――」
学園長はそこで言葉を切る。
教室の隅に落ちる影を、じっと眺める。
その影が、光の角度と一致していないことに、晴明は気づいた。
「……晴明くん。最近、何か“違和感”を覚えていませんか?」
呼ばれた瞬間、心臓がぐっと疼いた。
その問いは、胸の奥に隠していた不安に触れるものだった。
「……正直に言えば、はい。
音が遠い気がします。空も……白くにじむようで」
「やはり、貴方も感じていらっしゃったのですね」
学園長の声は安堵にも似ていた。
だがその目の奥には、何かを計算しているような静かな光が揺らいでいた。
「……心配いりませんよ。世界は、少しずつ変わってゆくだけです。」
「変わって……?」
「ええ。貴方とわたしにとって、より“穏やか”になるように。」
言葉の選び方は丁寧なのに、含みは濃すぎた。
晴明は胸の奥がひやりと冷えるのを感じる。
「学園長、その……どういう――」
「晴明くん」
呼ばれる声は、ほとんど囁きに近かった。
学園長は一歩、晴明に近づく。
「貴方は、わたしを信じてくださいますよね?」
その問いに込められた圧は、優しさの形をしていた。
否定したら、その優しさごと世界が崩れ落ちるような感覚すらあった。
「……信じていますよ、?」
「良い子ですね。……貴方はそう、それでいいんですよ。」
学園長は満足したように微笑んだ。
その直後――職員室の電灯がぱちり、と瞬き、光が一段と弱まった。
周りの教員たちの動きが止まる。
まるで音も呼吸も、そこだけ時間が凍ったように。
「……学園長……?」
「気にしなくていいですよ。
この変化は、わたしたち二人には“必要なもの”ですから。」
学園長の声が、いつもより少し近い。
晴明の耳に、深く落ちていくように響く。
「さあ、授業の時間ですよ。
、、、生徒たちにしっかり勉強を教えてきてくださいね。」
その言葉は優雅で、礼儀正しくて――
それなのに、どこか“別れの始まり”のような冷たさを孕んでいた。
晴明が立ち上がった瞬間。
職員室の時計の針が、ふっと消えた。
音も文字も、影すら残さずに。
時間という概念が、ひとつ“減った”。
晴明は振り返る。
学園長だけが、確かにそこに立っていた。
そして世界のざわめきは、昨日よりもさらに薄くなっていた。