テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
質的快楽主義。
この言葉を聞いたことはあるだろうか。
色々小難しい説明はあれど要は、全ての快楽は計算できる、という思想だ。
「日本、好きだ。」
ずっしりと腕に沈む何か。揺れる花びらがまだ残る朝露を流した。鼻先にかかる甘く濃い香り。
真っ赤な花束を、差し出されている。
愛も測れたりするのかなぁ、なんて。
軽く現実から逃げながら甘い重さを受け取った。
***
「なぁ日本、お前のデスクトップツーショにしようぜ。」
「笑えない冗談ですね。」
何のためらいもなく距離を詰めてくる声。
鬱陶しいほどの近さなのに、不思議と不快さはない。
「なぁ日本、サングラスやるからつけてくれよ。」
「あれ許されるのタモリさんだけです。」
ぽん、と置かれたサングラスが照明をうっすら反射している。
一体何をどうしたら僕にかけさせようなんて思うのか、考えるだけで少し眩暈がした。
それでも問いかける気にならないのは、この人のペースに慣れてしまったからだろうか。
何かと理由をつけては、「彼」をかたどるモチーフが置かれていく。
星条旗を模した付箋も、どこかで見たキャラのコースターも。足元に置いた花束も。
お昼頃には、すっかり僕の日常に紛れ込んでいた。
それらを無言でみつめるドイツさんが怖い。
「なぁ日本、かわいいな。」
「英語でもいいので人語喋ってください。」
もう午前中だけで胸焼けしそうだ。
視線を逸らして、お昼くらいひとりで食べようと決心しつつ、完全には背を向けられない。
いきいきと笑う彼を、やっぱり邪険にはできなかった。
***
昼休憩。
彼が存在を知らなさそうな、ビルの端の給湯室へ逃げ込む。
ドアの取っ手に触れる。
人のいないはずのその部屋で、一対のエメラルドと視線がぶつかった。
「……おや、日本さん。」
涼やかな声。
目を逸らそうにも気まずく、一瞬遅れて言葉を返した。
「イギリスさん……どうしてここに………?」
「休憩に来ただけですよ。ここで誰かに出会うのは初めてです。」
ひどく穏やかに笑いながらも、イギリスさんがカップを置く。
その仕草に、どこか言い訳めいた間があった。
「……誰かから、逃げてきたんですか?」
意識のど真ん中を突かれ、反射的に視線を落とす。
さっきまでいたデスク。
花束と、サングラスと、真っ直ぐすぎる眼差し。
「………少し、疲れてしまって。」
言い回しに迷って、不器用に返す。
イギリスさんは手袋を外すと、そっと僕の肩に触れた。
「あの子は、『一番』の称号が欲しいだけです。」
何気なく落とされた声。
彼をよく知る人だからこその、深く胸に沈む言葉。
ゆっくり、彼の指先が移動した。
愛撫するように顎を掬われる。
「あっ、あの………っ!?」
「………私なら、あなたしか欲さないのに。」
息が止まった。熱が、痛いほど頬に登る。
静かながらも彼を彷彿とさせる真っ直ぐな視線に、何も言えなくなた。
咄嗟に、すみません、とやわらかな鎖を断ち切って廊下を駆ける。
容赦ない親子だな、と愚痴をこぼしつついつもの部屋に戻る。
「どこ行ってたんだよ、日本。」
陽光を受けて笑みを浮かべる彼は、僕のイスに座っていた。
***
窓の外は、すっかり夜に浸っていた。
誰もいないフロアにタイピングの音だけが響く。
その静寂を破るように足音が近づいてくる。
「お疲れ、日本。」
顔を上げると、アメリカさんが紙コップを手に立っていた。
差し出されたコーヒーを受け取る。
「ありがとうございます。」
指に触れたカップは思った以上に熱い。
湯気越しに見るアメリカさんは、何だかいつもと違って見えた。
「………昼間はごめんな。」
「……?何がです?」
「いや……なんか、騒ぎすぎたかなって………。」
珍しく気弱な声だった。
「えぇ。疲れました。」
小さく吐き出した声が、空調の駆動音に混ざる。
バツの悪そうな顔に怒られた子供みたいだと微笑んだ。
あの行動もかけっこで頑張るようで、今思い出すとかわいらしい。
「………なぁ。」
唐突にイスの背を掴まれた。
ぐるりと体が回されて、真正面から瞳に捕まる。
「………アメリカさん?」
「お前さ………昼、親父になんか言われたろ。」
いつもより低く、静かな声。
答えられずにいると、伸びてきた腕に肩を抱かれた。
アクアマリンが間近に迫る。
「……どうせ、俺は一番になりだけだ、とか言われたんだろ。」
うっ、と息が詰まった。
静まり返ったオフィスにアメリカさんの舌打ちが落ちる。
「余計なこと吹き込みやがって……ルール違反だろ。」
アメリカさんが僕の肩にぐりぐりと頭を押し付ける。
「日本。……そうだよ、俺は全部欲しい。一番以外は嫌だ。」
くぐもった低い声。ぎゅっ、と腕に力が込められる。
「他の奴らもそう。みんな、お前が欲しくて欲しくてたまんねぇんだよ。……親父だって、ムキにならねぇように必死なんだぜ?」
「……だって、お前が一番だから。」
拗ねたような、いつもより幼く見える顔がこちらを見上げる。
きゅん、と心臓が跳ねた。
「お前が選ばなきゃいけねぇのは、本来測れねぇもんだ。……怖くなる気持ちもわかる。俺だって、測られるのが怖い。全力出して、もし選ばれなかったら、って。」
アメリカさんを直視できずに目を伏せる。
どこまでも真っ直ぐな言葉に、ぐらぐらと脳を揺らされている。
僕は、この素直さが怖い。
はいもいいえも苦手なのに、本心を引きずり出される素直さが。
「俺なら、数えられなくてもいいってくらい、お前を愛す。」
鼻先に、彼の香りが触れる。
こんな風に触れられて、まともに比較なんてできるわけがない。
「なぁ、俺を選べよ。」
心の奥底から引き上げたような、吐き出すような声。
暴れる心臓をどうにか体に繋ぎ止めて、深く息を吸った。
(続く)
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!