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東京都千代田区永田町。
日本国の心臓部である首相官邸の地下5階、『特別情報分析室』。
分厚い鉛の壁と最新鋭の電子ロックに守られたこの聖域に、今日もまた国家の中枢を担う男たちが集っていた。
円卓を囲むのは、副島内閣総理大臣、内閣官房長官、外務大臣、防衛大臣、経済産業大臣、そして各情報機関のトップたち。
彼らの表情には、慣れ親しんだ疲労感と、新たな難題を前にした緊張感が同居している。
スクリーンの脇に立つ内閣官房参事官、日下部は、手元のコンソールに手をかけ、いつもの儀式を執り行った。
「……では、定例報告会を始めます。
『位相干渉装置(Jammer)』起動」
ブゥン……。
空間が歪むような重低音と共に、テラ・ノヴァ由来の不可視の波動が室内を満たす。
これで物理的・電子的なあらゆる盗聴は無効化され、世界から切り離された完全なる密室が完成した。
日下部は深く息を吐き、懐から胃薬の瓶を取り出して、慣れた手つきで2錠を水なしで飲み込んだ。
今日の報告内容は、胃酸の分泌を促進させるには十分すぎる劇薬だからだ。
「ジャミング、正常に作動中。
……総理、および各大臣。
覚悟を決めてお聞きください。
ついに、恐れていた事態が動き出しました」
日下部はスクリーンを操作し、テラ・ノヴァからの最新映像を投影した。
そこに映っていたのは、前線基地(FOB)のさらに奥地、新たに造成された区画だ。
巨大なコンクリートの建屋の中に、不気味な緑色の光を放つ円筒形の機械が、何十台も整然と並んでいる。
高速回転する機械音が、映像越しにも伝わってくるようだ。
「……これは?」
経産大臣が眼鏡を押し上げ、目を細めた。
「『遠心分離機(Centrifuge)』です。
テラ・ノヴァで採掘されたウラン鉱石を粉砕し、六フッ化ウランガスにして高速回転させ、核分裂性物質であるウラン235を濃縮するための装置です」
日下部は淡々と、しかし重く告げた。
「現地時間で昨日未明。
工藤創一氏は、ウラン濃縮プロセスの準備を正式に開始しました。
目的は、原子力発電所の燃料確保、および……」
彼は一呼吸置いた。
「核兵器への転用も可能な、高濃縮ウランの生成です」
シン……。
会議室の空気が凍りついた。
ついに来たか、という沈黙。
これまでも予感はあった。工藤創一がエネルギー不足を嘆き、ウランを探していたことは知っていた。
だが、実際に「濃縮」が始まったという事実は、被爆国である日本の指導者たちにとって、あまりにも重い意味を持つ。
「……始まったか」
総理が呻くように呟いた。
「パンドラの箱の、最後の蓋が開いたな。
木材、石油、ナノマシン、レーダー……。
数々のタブーを踏み越えてきたが、こればかりは次元が違う。
『核』だ」
「ええ。
工藤氏本人は『電気が欲しいだけ』『ついでに強い弾丸(劣化ウラン弾)が作りたい』と無邪気に言っていますが……。
客観的に見れば、これは日本が核武装能力を持ったに等しい事態です」
防衛大臣が顔をしかめた。
「技術的には可能でも、政治的には自殺行為だ。
もしこの事実が漏れれば、NPT(核拡散防止条約)体制への挑戦とみなされる。
国際社会からの制裁は免れんぞ」
「ですが大臣」
官房長官が低い声で割って入った。
「隠し通せる段階は過ぎました。
テラ・ノヴァでの電力需要は爆発的に増大しています。
レーダー網を維持し、さらに拡張するためには、蒸気機関やソーラーパネルでは限界がある。
原子力への移行は不可避です。
……問題は、それをどうやって『国内』および『世界』に説明するかです」
官房長官は鋭い視線を巡らせた。
「国民に黙っているわけにはいきません。
いずれ、どこかから漏れます。
それに、テラ・ノヴァから持ち込まれる物資の中に、微量の放射性物質が混入するリスクもある。
『何もしていません』では、後で取り返しがつかないことになる」
「……では、公表すると?」
「『核兵器を作っています』とは言えませんよ。
ですが……『次世代エネルギーの研究』としてなら、どうでしょう?」
日下部が提案した。
「例えば、『研究施設において、高効率な次世代原子力発電(例えば小型モジュール炉や、レーザー濃縮技術)の基礎実験を開始した』と発表するのです。
あくまで平和利用、エネルギー安全保障のためであると強調して」
「……国内の反発は必至ですね」
内閣情報官が懸念を示す。
「アレルギー反応は凄まじいでしょう。
野党や市民団体は蜂の巣をつついたような騒ぎになる。
『核実験か!』『再稼働反対!』と、官邸前でデモが起きる未来が見えます」
「だが、嘘をつき通してバレた時のダメージよりはマシだ」
総理が決断を下した。
「『管理された実験』であると公表し、透明性を(ある程度)担保するふりをする。
ガス抜きだ。
それに……これは外交カードにもなる」
総理の目が、たぬきのような狡猾な光を帯びた。
「『日本はいつでも核を持てる』という潜在的な能力(ポテンシャル)を、世界にチラつかせることになる。
公式には否定しつつも、技術的には完成していると匂わせる。
……いわゆる『核のブラフ』だ」
「なるほど。
『我々を追い詰めると、何をするか分かりませんよ』というメッセージですか」
外務大臣が頷いた。
「北朝鮮やイランがやっている瀬戸際外交を、技術大国日本が本気でやれば……その脅威度は桁違いです」
「ええ。
ただし、アメリカと中国の反応が怖いですな」
防衛大臣が天井を仰いだ。
「特にアメリカだ。
彼らは日本の核武装を絶対に許さない。
『ナノマシンは目をつぶったが、核は別だ』と、空母を東京湾に寄越すかもしれんぞ」
「……いえ、大臣。
そこなんですが」
日下部が、奇妙な顔で口を挟んだ。
「私の分析では……彼らの反応は、もっと『冷めた』ものになると思います」
「冷めた?
どういうことだ?」
「彼らはすでに知っているからです。
日本が『核兵器より恐ろしいもの』を持っていることを」
日下部は、モニターに映る『バンドエイドトMK3』と『位相空間スキャナー』のデータを並べて表示した。
「考えてもみてください。
死なない兵士を作り出し、地球の裏側まで透視できる国が、今更『核分裂』ごときで騒いだところで……。
『えっ、今更そこ?』というツッコミが入るのがオチです」
会議室に、乾いた失笑が漏れた。
確かにそうだ。
SFレベルのオーバーテクノロジーを乱発している日本が、20世紀の技術である核開発を始めたところで、脅威のレベルが下がることはあっても上がることはない。
「アメリカにしてみれば、『核なんて時代遅れのおもちゃより、もっとMK3を寄越せ』と言うでしょうね。
あるいは『核廃棄物の処理もナノマシンで消せるんだろ?』と、無理難題を吹っかけてくる可能性の方が高い」
「……確かに。
感覚が麻痺しているのは、我々だけではないか」
総理が苦笑した。
「では中国は?」
「中国は……もっと厄介です」
内閣情報官が報告書をめくる。
「彼らは現在、日本に対して『求愛』モードに入っています。
『日本保護区構想』を掲げ、日本を自陣営に取り込もうと必死です。
そんな中で日本が核開発を始めたと知れば……」
「怒るか?」
「いえ、逆です。
『肯定』するでしょう」
「肯定!?」
「はい。
『日本がアメリカの核の傘から脱却し、自立しようとしている!』と勝手に解釈し、諸手を挙げて歓迎する可能性があります。
『中国は日本の核保有を支持する。共にアジアの平和を守ろう』などと言い出し兼ねません」
全員が顔をしかめた。
敵対されるより、味方面(づら)される方が質が悪い。
中国の核の傘と日本の技術力が合体すれば、それこそ悪夢の枢軸(アクシス)だ。
「……頭が痛いな。
核を持っても怒られないどころか、褒められるかもしれないとは。
世界はどうなってしまったんだ」
外務大臣が嘆く。
「いずれにせよ、方針は決まりました」
総理がまとめた。
「1.国内向けには『次世代エネルギー実験』として公表し、ガス抜きを図る。
2.国外向けには『平和利用』を強調しつつ、潜在的核抑止力としてブラフに使う。
3.工藤氏には『安全対策を徹底しろ』と釘を刺しつつ、思う存分発電してもらう。
……これでいいな?」
「異議なし」
閣僚たちが頷く。
毒を食らわば皿まで。
ナノマシン中毒になった世界なら、放射能の一つや二つ、スパイス程度にしかならないだろう。
だが。
日下部は手元の資料の最後の一枚をめくり、表情を引き締めた。
「……さて、本題はここからです。
アメリカ、中国に続く、第3のプレイヤー。
北の熊――ロシアについてです」
その言葉に、室内の空気が再び張り詰めた。
「彼らもまた、日本の『異変』に気づきました。
ウクライナにかかりきりで後れを取っていましたが……ここに来て、猛烈な巻き返しを図っています」
日下部はモニターを切り替え、東京の3Dマップ――『位相空間スキャナー』の映像を表示させた。
そこには、港区や新宿、そして新木場周辺に点在する、赤いマーカーが無数に表示されていた。
「これらは全て、過去48時間以内に日本に入国し、不審な動きを見せている『ロシア国籍の男性』たちです。
観光客、ビジネスマン、あるいは船員を装っていますが……。
骨格、筋肉の付き方、歩き方。
全てが軍事訓練を受けた者のそれです」
「……工作員か」
警察庁長官が目を細めた。
「はい。
SVR(対外情報庁)、GRU(情報総局)。
そして……最悪の部隊、『ザスローン(Zaslon)』の隊員も確認されています」
「ザスローン……!
ロシア対外情報庁の掃除屋か。
暗殺、拉致、破壊工作。
証拠を残さず、任務のためなら一般人の犠牲も厭わない連中だ」
公安調査庁長官が補足する。
「彼らの目的は明白です。
『実力行使』です」
日下部は断言した。
「アメリカや中国のように、外交ルートや経済的圧力といったまどろっこしい手段は使いません。
彼らは直接、日本の『秘密』を物理的に奪いに来ました。
ターゲットは……新木場の関連施設、あるいは海道重工の技術者」
ダンッ!
防衛大臣が机を叩いた。
「許せん!
テロリスト同然ではないか!
主権国家に対する明らかな攻撃だ!」
「ええ。
ですが彼らは、自分たちが『見えていない』と思っています」
日下部は、冷酷な笑みを浮かべた。
「ロシアは、日本の『位相空間スキャナー』の存在を知りません。
アメリカや中国がそれを共有していることも知らない。
彼らは、『日本は脇が甘い』『工作員を送り込めば簡単に潜り込める』と高をくくっています」
日下部はモニターを操作し、ズームインした。
都内の安ビジネスホテルの一室。
そこには、銃の手入れをしているロシア人たちの姿が、壁を透かして映し出されていた。
彼らの会話も、クリアに聞こえてくる。
『……作戦は今夜2時だ。
警備の交代時間を狙って、トラックに突っ込む。
邪魔する奴は全員殺せ』
『日本の警察など案山子だ。
何も気づいていない』
「……滑稽ですね」
日下部がポツリと言った。
「彼らは自分たちが闇の中に潜んでいるつもりですが、我々からはスポットライトを浴びているように丸見えです。
武器の隠し場所、作戦計画、連絡網。
全てが筒抜けです」
「……哀れだな」
総理が溜め息をついた。
「情報格差とは、かくも残酷なものか。
彼らは裸で戦場に立っていることに気づいていない」
「どうしますか、総理?
泳がせますか?
それとも……」
警察庁長官が、獲物を狙う猛獣の目で尋ねた。
「排除だ」
総理は即答した。
「テラ・ノヴァの秘密、そして国民の安全を脅かす者は、容赦なく排除せよ。
ただし、公にしてはならん。
外交問題にする価値もない」
「承知しました。
……公安の精鋭部隊、および『協力者』を動員します」
日下部は、ある男の顔を思い浮かべた。
鬼塚ゲン。
MK1によって超人と化した元公安刑事。
そして、彼の指揮下にあるマクドウェル家の私兵集団『ブラック・オニキス』。
「ロシアの精鋭部隊VS日本の超人&米国の傭兵。
……勝負は見えていますね」
◇
その夜。
東京湾岸、新木場の倉庫街。
冷たい海風が吹き抜ける深夜2時。
闇に紛れて、数台の黒いワンボックスカーが接近していた。
ロシアの特殊部隊『ザスローン』の襲撃チームだ。
「目標まで500メートル。
警備員の配置に変更なし。
……行けるぞ」
リーダーのイワン大尉が、暗視ゴーグル越しに囁く。
彼らの計画は完璧だった。
陽動班が爆発を起こし、その隙に突入班が重要物資を強奪する。
日本の警察が到着する頃には、彼らはすでに海の上だ。
そう信じていた。
「突入10秒前。
……5、4、3……」
カウントダウンがゼロになる瞬間。
パァァァン!!
突如、強烈な探照灯(サーチライト)が四方八方から照射され、彼らを真昼のように照らし出した。
「なっ!?」
「待ち伏せか!?」
イワンたちが動揺する間もなく、倉庫の屋根、コンテナの陰、マンホールの下から、無数の銃口が突きつけられた。
「動くな! 公安だ!」
「武器を捨てろ! 貴様らの包囲は完了している!」
スピーカーから警告が響く。
日本の公安警察のSAT(特殊急襲部隊)だ。
それだけではない。
彼らの背後には、米軍仕様の装備に身を包んだ『ブラック・オニキス』の傭兵たちが、ニヤニヤしながら退路を断っていた。
「馬鹿な……!
なぜバレた!?
通信は暗号化していたはずだ!
集合場所も直前まで伏せていたのに!」
イワンは混乱した。
情報漏洩の可能性はないはずだ。
内部に裏切り者がいるのか?
だが、答えはもっと単純で、絶望的だった。
上空――見えない「神の眼」が、彼らの心拍数から作戦開始のタイミングまで、全てをカウントダウンしていたのだ。
「抵抗するな!
……と言いたいところだが」
闇の中から、一人の男が歩み出てきた。
スーツ姿の初老の男。
鬼塚ゲンだ。
彼は武器を持っていない。素手だ。
「少し運動不足でね。
ロシアの特殊部隊の実力、見せてもらおうか」
「舐めるなッ!!」
イワンは反射的にサブマシンガンを構え、鬼塚に向けて発砲した。
タタタタッ!
9mm弾が放たれる。
だが、鬼塚は消えた。
「遅い」
背後からの声。
振り返る暇もなく、イワンの視界が天と地ひっくり返った。
鬼塚に襟首を掴まれ、コンクリートの地面に叩きつけられたのだ。
ゴシャッ!!
イワンの意識が飛ぶ。
残りの隊員たちが一斉に射撃を開始するが、鬼塚は弾丸の雨の中を悠然と――しかし残像を残すほどの速度で――駆け抜けた。
殴る。蹴る。投げる。
単純な暴力。
だが、その威力は人間を超越していた。
防弾ベストの上から肋骨をへし折り、強化ヘルメットを素手で握り潰す。
「ば、化け物……!」
「撤退! 撤退だ!」
だが逃げ場はない。
周囲を固めるSATと傭兵たちが、逃げようとする者を容赦なく制圧していく。
それは戦闘ではなかった。
完全情報下における、一方的な「害虫駆除」だった。
わずか10分後。
路上には、手足を縛られ、芋虫のように転がるロシアの工作員たちが並べられていた。
誰一人として逃げおおせた者はいない。
「……弱すぎる」
鬼塚は、埃を払ってスーツの襟を直した。
息一つ切れていない。
「バイターの方が、まだ手応えがあるな」
彼は無線機を取り出した。
「日下部さん。
掃除完了です。
……ゴミの分別は、どうしますか?」
『ご苦労さまです、鬼塚さん』
インカムから日下部の声が響く。
『彼らは外交ルートを通じて、丁重にロシア大使館へお返ししましょう。
「夜道で迷子になっていたようなので保護しました」というメモを添えてね』
それは最大の屈辱だ。
「お前たちの動きは全てお見通しだ」という無言の宣告。
翌日。
ロシア大使館の前に、ボロボロになった男たちが放り出された。
彼らのポケットには、GPSのログデータが入ったUSBメモリがねじ込まれていた。
そこには、彼らが日本に入国してから捕まるまでの、分単位の移動記録と、密談の音声データが記録されていた。
それを見たボグダノフ大統領が、クレムリンでどんな顔をしたか。
それは想像に難くない。
北の熊は、見えない檻に閉じ込められていることを悟り、震え上がったことだろう。