コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「後、オススメなのが
こちらのGPS付きの首輪ですね!
迷子になっても、安心ですよ」
店員が棚を指差したのは
小さなタグのついた
美しい革張りの首輪の列だった。
控えめな光沢があり
装飾は最小限ながらも上品で
どこかティアナに似合いそうな
雰囲気を漂わせている。
時也は首輪の列をじっと見つめたまま
静かにその紫の一つを手に取った。
細く、しなやかな感触に
彼女の白い毛並みが思い浮かぶ。
(⋯⋯これなら
嫌がらずに着けてくれるかもしれませんね)
その後も店員の案内で
次々と猫用のアイテムを選び
トイレにケージ、食器、毛布
ウェットフードの箱詰め
爪とぎ用の台にキャットタワー
移動用のキャリーケースまで――
気付けば、買い物かごは幾つも増えていた。
精算を終えて
レシートの長さに驚いた頃
ようやく彼は事態の重大さに気付く。
(⋯⋯持ち運べませんね、これは)
彼は困ったように唇に指を添え
店のカウンターを見やった。
「⋯⋯あ、あの⋯申し訳ないのですが⋯⋯」
おずおずと
時也は着物の袖から携帯を取り出すと
先ほど優しく対応してくれた店員に
差し出した。
「携帯の操作が⋯その、苦手でして⋯⋯
〝ソーレン〟という方に
通話を繋げていただけないでしょうか?」
保坂は一瞬
目をまん丸にして時也と携帯を見比べた。
だがすぐに柔らかな笑みを浮かべて
片手で受け取ると器用に操作し始めた。
「ソーレンさん、ですね。
かしこまりました。
⋯⋯はい、繋がりましたよ?」
携帯を返されると
時也の耳元から
聞き慣れたぶっきらぼうな声が漏れた。
『⋯⋯あ?なんだよ?』
「あ⋯⋯ソーレンさん、すいません。
余りにも荷物が多くなりまして⋯⋯
手伝って貰えませんか?」
ペットショップのBGMの下
店員達や客、動物達の鳴き声の混ざる中
通話の向こうで
溜め息混じりの声が返ってきた。
『⋯⋯あー⋯しゃーねぇな。
場所は?今すぐ行く』
「ありがとうございます。
えぇと⋯⋯今〝ペットの森〟という
お店におります」
『了解。すぐ行く』
通話が切れた後
時也は静かに微笑み
もう一度カゴの山を見下ろした。
(⋯⋯これで、ティアナさんも
少しは居心地よくなりますね)
カゴの山を
じっと見つめていた時也の背後で
不意に自動ドアの開く音が小さく鳴った。
すぐに
肩に軽く手が置かれた感触に
思わずびくりと身を跳ね上がらせる。
「よ。」
低く抑えた、よく知る声。
振り返ると
ダークブラウンの髪を
風に僅かに乱しながら
ソーレンが無表情で立っていた。
「ソ、ソーレンさん⋯随分と、早いですね」
時也は落ち着きを装いながらも
どこか驚いた表情を隠せずにいる。
だが、その内心に返ってきたのは
彼にしか聞こえない
ぶっきらぼうな思考の声だった。
(文字通り、飛んで来たんだよ。
レイチェルが一人だからな。
急いだ方が良いだろ?)
その声に、時也の口元がほのかに緩む。
「⋯⋯ありがとうございます」
「にしても、随分買ったな?
猫を飼うって、こんなに必要なのかよ」
「僕も、想定外でした」
肩越しに見える荷物の山を一瞥し
ソーレンは小さく鼻を鳴らした。
時也と視線を交わすと
二人は店員に軽く会釈し
荷物を抱えて店の裏手へと回る。
そこは物陰の多い路地裏で
見通しも悪く、人通りもない。
「じゃ、行くぞ」
ソーレンは先に
重たい荷物を重力操作で浮かせると
片手で時也の腰を持ち上げるように
担ぎ上げた。
「え、ちょっ⋯⋯!」
「急いで戻るぞ⋯⋯酔うなよ?」
重力が一瞬で歪み
地面がふわりと遠ざかる。
次の瞬間には、空の風が肌を撫でていた。
ソーレンの背中越しに広がる街の屋根を
時也は片手で荷物を押さえながら見下ろす。
浮遊の感覚は軽やかで
しかし
地に足がつかないのと不安定さと
担がれている温かさに
どこか擽ったいような感覚があった。
(⋯⋯ソーレンさんの能力
やはり器用ですね)
時也は微かに笑みを浮かべながら
胸に大切に抱えた
小さな紫の首輪をそっと見下ろした。
真っ白な毛並みによく似合うその色が
きっとアリアとティアナの間に
静かな絆を結ぶのだろう。
⸻
ソーレンと時也が喫茶桜に戻ると
それほど混雑している訳ではなかったが
レイチェルが一人
店内をパタパタと駆けまわっていた。
慣れた動きで客席を行き来しつつも
どこか忙しない。
アリアと青龍は
窓際の特設席に座っていた。
アリアの膝の上では
ティアナが小さく丸まり
静かな寝息を立てている。
白い毛並みが陽光に輝き
その姿はまるで陶器の置き物のようだった。
「おかえりなさい!」
レイチェルが
小走りでソーレンたちの元に駆け寄ると
時也は軽く頭を下げた。
「レイチェルさん
ありがとうございました。
急いで
ティアナさんの生活環境を整えたら
すぐに戻りますので」
「ふふ。はーい!
⋯⋯あれ?ソーレン
手伝ってきたんじゃなかったの?」
「運搬だけな。
あとはアイツの趣味で整えるだろ」
ソーレンが指をくいっと時也に向けると
時也は苦笑しながら
リビングの奥へと消えていった。
「ティアナさんは、アリアさんのご友人。
快適に暮らして頂かないと!」
奥のリビングでは
先ほど買い込んできた用品の山を
ひとつずつ丁寧に袋から取り出していく。
「では、まずは⋯⋯トイレからですね」
白い陶器に近いデザインの
猫用トイレを開封し
ペットシートと高品質な砂を敷く。
場所は日陰で静かなリビングの隅。
きちんと通気ができるように
換気扇にも気を配る。
「お食事スペースは⋯⋯
キッチン前は人の出入りがありますし
窓辺が良いでしょうか」
小さな木製のトレイの上に
セラミックの食器皿を2枚並べる。
ひとつにはフード、もうひとつには水を。
新調した給水機は
静音設計のものを選んでいた。
ベッドも柔らかく
白い毛に映える
ラベンダー色のクッションを備えた
円形のふかふか仕様。
猫の体温に合わせて温度調整できる
小型ヒーターまで組み込まれていた。
「⋯⋯あとは、おもちゃと、爪とぎ⋯⋯
こちらですね」
羽根のついた猫じゃらし
ネズミ型の自動おもちゃ
キャットタワーに爪とぎまで
すべて整えられていく。
最後に
柔らかな革張りでできた紫の首輪を
そっと掌に乗せた時也は
小さく息をついた。
「⋯⋯これで
彼女が安心して暮らせる場所ができました」
彼の声は静かに
新しい家族の為に整えられた
リビングに優しく響いた。