テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「…は?盗聴?」
事態を理解した伊藤さんが、徐々に顔を歪めていく。皮肉めいた表情から余裕が消えていく様は、まるで何かの物語を読んでいるかのようで、その変遷に目が釘付けになる。
「それは流石に一線超えたんじゃないの、大豆生田さん」
豆さんの手の中に収まっている黒い箱に、彼の視線は吸い寄せられている。彼の足が一歩こちらに近づき、穏やかでない気配に体がこわばる。
私の変化を機敏に感じ取った豆さんは、私の体をそっと引き寄せて彼の後ろに誘導してくれる。
「バカ言え。超えたのはどっちよ」
「その音源さえなければいいんだよね、今も写真は撮られているだろうから。なんなら僕たち3人が写ってるから尚更スキャンダラスだよね」
ホテルの前でこんな言い争いしてるなんて、解釈の余地がだいぶあるよね。最近いろんな週刊誌がネタ切れぽくて、いい値段で売れそうよ、と伊藤さんが据わった目をぎょろぎょろさせながら言う。
「そりゃ、こんな醜聞社内はおろか、世間も放って置かないでしょうなぁ」
特に同業とかの引き抜きは最近本当エグいからね。
この人材難の時代にあたって、同業他社の高待遇での引き抜き合戦は確かに熾烈を極めている。こんなニュースは競合を活気付かせるものでしかない。
「渡してもらおうか」
さらにもう一歩こちらに踏み込む伊藤さん。
力づくにでもこの機械を取り戻そうとしているのは明白だ。
「アホか、この機械が欲しいならいくらでもやるよ」
豆さんは、ポイっと惜しげもなく黒い機械を伊藤さんの足元に放り投げる。慌ててそれを拾い上げる伊藤さんへ、思いっきり侮蔑の色がわかる表情で。
「今時、データなんでいくらでも複製できるってことをお忘れなく」
「……」
「今、この瞬間含めどんな写真を撮られていようと、この音声があれば彼らも正しい記事を書くのに困りませんよね」
「……」
「俺が外部にはこの情報を売らないとでも?とんだ勘違いだ」
俺だって出版社にこれを売り渡すことに1ミリも抵抗感とかねーから。
俺だってね、顔馴染みの記者の1人や2人はいるんすよ。
そう嘯く豆さんの顔を、少し後ろからじっと眺める。彼だって、明に暗に様々な活動をしている。懇意にしている雑誌記者だっているんだろう。
「こんな音声が売られたら、社長選の行方どころか、アンタの明日からの身の振り方の方がヤバいんじゃないの」
奴ら、感動するぐらい泥臭く嗅ぎ回るから、アンタの過去のグレーな話、色々掘り返してくるでしょうなぁ。
敢えての呑気な調子で紡がれる言葉に、覚えがあるのか伊藤さんがグッと拳を握りしめる。
「お前…やっぱりなんだかんだ出世狙いなんじゃねーかよ」
まるで地位に興味ないみたいな聖人君子のフリしやがって、とんだ下衆じゃん。伊藤さんの全てをかなぐり捨てたようなセリフは、こちらに鋭く牙を向いて飛んでくるも、豆さんは全く動じる様子もない。
「言っただろ。出世は別に狙ってねーのよ」
「詭弁だろ」
「まあなんとでも言えよ。俺はただ正しくありたいだけなんでね」
「…今更聖人ぶってんのかよ変態」
「ああ、あとそれに」
豆さんはごくごく気安い調子で言葉を続ける。
「流石に、俺の大事な人間に手を出されて黙ってらんねーっつーのはあるな」
鷹槻れん/鷹槻うなの

35,460
鷹槻れん/鷹槻うなの

21,373
臣桜
51,196
#恋愛
水無月 京
1,300
それだけ。
「ま、その箱は潰すなり焼くなり好きにしろよ。このデータは既に俺のスマホの他にも数箇所に転送されてるから、もう用はないね」
「……クソが」
「俺がこれを出版社に持ち込むのは1週間待ってやる」
だからその間に精々一番ダメージの少ない身の振り方でも考えろよ。
不適に笑う豆さんに、今にも伊藤さんが襲い掛かりそうにも見えるけれど、彼はかろうじて残った理性でそれを押し留めているようだった。
「じゃ、帰ろうか」
と。私の手を再び握って伊藤さんに背を向ける。
そのままピンク色のエリアを後にし、人混みに紛れて私の半歩前を歩く豆さんについていく。後ろから伊藤さんが追ってこないか、ビクビクしながら歩いたけれどそれは杞憂だったようだ。
元の雑踏に戻り、豆さんもすっかりいつものように飄々とした雰囲気を取り戻しているけれど、私は一歩ごとに緊張感が緩む。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!