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#溺愛
桜咲かな
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#溺愛
桜咲かな
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第267話 二つの戦場
【現実世界・湾岸旧研究施設/身体側固定室・夜】
「ラストが、こちらへ向かっています」
日下部の言葉に、室内の空気が変わった。
画面には警察関連施設を出た一人の男。
見た目だけなら、どこにでもいる成人男性。
だが、その周囲では街灯が消え、
監視カメラが止まり、道路脇の金属柵が赤茶色へ変わっていく。
ラスト。
新しい身体を手に入れた破壊者。
木崎が画面を見る。
「距離は?」
「直線なら、まだあります」
日下部が答える。
「ただ……」
「ただ?」
「まっすぐ来ています」
警察施設から湾岸旧研究施設までの地図。
最短道路を知っているわけではない。
交差点でも迷わない。
道路標識も見ていない。
それなのにラストは、匠の身体側固定点へ向かって一直線に進んでいた。
城ヶ峰が言う。
「匠を感知している」
「そう考えるのが自然です」
日下部は保存槽へ目を向けた。
透明な槽。
その中には何もないように見える。
だが角度を変えると、一瞬だけ男性の輪郭が浮かぶ。
雲賀匠。
身体はここにある。
正確には、現実と補助層の間に折り畳まれるように保持されている。
「移せないのか」
木崎が尋ねる。
日下部は首を振る。
「今動かせば、身体側固定点そのものが切れる可能性があります」
「なら施設ごと守るしかない」
城ヶ峰が通信を開いた。
「周辺部隊へ」
「対象は人間の姿をしている」
「だが接触するな」
「道路封鎖は遠距離で行え」
「金属製の柵、車両、固定装置を障害物として使うな」
返答が次々に入る。
木崎が苦い顔をした。
「普通の警察対応、ほとんど使えねえな」
「だから人で止めない」
城ヶ峰は答えた。
「進路を空けて、ここまで来させる」
木崎が振り向く。
「ここでやるのか」
「一般人のいる場所で戦わせるよりはいい」
城ヶ峰の視線は動かなかった。
「ここには、我々がいる」
その時。
別の通信が入った。
『厳重保管区画より追加報告』
『白いコアから、音声反応を確認』
城ヶ峰の眉が動く。
「内容は」
一瞬の間。
『“助けて”と聞こえたとのことです』
木崎が顔を上げる。
「意識があるのか?」
日下部はすぐには答えなかった。
「可能性はあります」
「ただ、今は確認できません」
「ラストが動いている」
「匠さんの固定点も守らなければならない」
城ヶ峰が短く命じる。
「白いコアの保管を維持」
「誰も触るな」
『了解』
一つの異常を調べている間に、別の異常が動く。
すべてを同時には追えない。
そして今、
最も危険なものは。
こちらへ近づいていた。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都外縁/南側街道・夜】
高瀬直人を乗せた馬車が走っていた。
目的地は王国警備局の管理施設。
先ほどまでいた保護施設は、すでに位置を知られている。
このまま置いておくことはできない。
先頭に警備局員二騎。
中央に高瀬を乗せた馬車。
その左右をハレルたちが固めている。
アデル。
ヴェルニ。
ハレル。
サキ。
そしてリオ。
リオは右腕を胸元へ引き寄せていた。
外套の下。
副鍵には、ジャバによって広げられた亀裂が残っている。
ノノから何度も、
『絶対に強く使わないで』
と言われていた。
「そんなに見るなよ」
リオが言った。
ハレルは視線を外す。
「見てない」
「見てる」
「壊れたら困るから」
「まだ壊れてねえよ」
「だからこれ以上壊すなって言ってるんだ」
「兄弟みたいだな」
前を走っていたヴェルニが笑う。
二人が同時に睨む。
「違う」「違う」
「息ぴったりじゃねえか」
アデルが前方を見たまま言う。
「ヴェルニ、黙って警戒しろ」
「はいはい」
馬車の中では、高瀬が窓の外を見ていた。
知らない森。
知らない夜空。
それでも、以前より表情は落ち着いている。
自分の名前を知った。
帰りたい場所も思い出し始めた。
まだすべてではない。
それで十分だった。
今は。
サキのスマートフォンでは、reが白い線を伸ばしている。
進行方向。
一本道。
「このまま真っすぐみたい」
サキが言った。
だが。
数秒後、
reが止まった。
白線が消える。
「え?」
新しい線。
街道から外れる。
左。
木々の間。
「そっち道じゃないよ」
ハレルが画面を見る。
reの白線は、街道を避けている。
同時に。
イヤーカフからノノの声が入った。
『止まって!』
アデルが即座に手を上げる。
「全隊停止!」
馬車が止まる。
ヴェルニが周囲を見る。
「何がある」
『旧治療施設の案内層が反応した』
ノノの声が早い。
『今いる街道に――』
言葉が途切れる。
街道の先。
暗闇の中に、人影が立っていた。
大きい。
肩幅の広い男。
ヴェルニの顔から笑みが消える。
「……しつこいな」
ジャバ。
◆ ◆ ◆
ジャバは道の中央に立っていた。
先ほどアデルたちに押し返された時より、影は薄い。
完全には回復していない。
それでも笑っている。
「遅かったな」
アデルが剣を抜く。
「お前こそ、もう戻ったのか」
「場所さえ分かればな」
ジャバの足元から黒い影が伸びる。
「今度は逃がさねえ」
ヴェルニも馬から降りる。
「さっき聞いたぞ、それ」
「今度は道が狭え」
「だから?」
「横から逃げられねえ」
ジャバが笑う。
確かに。
街道の両側には森。
馬車が通れる道は一本。
後退すれば、保護施設の方へ戻ることになる。
だが。
サキのスマートフォンでは。
reの白線が森の中へ伸びていた。
ノノが言う。
『サキ、その線を消さないで』
「うん」
『今、エリウスの案内層にも同じ道が出てる』
アデルが反応する。
「この場所まで?」
『違う』
セラの声が入る。
『案内層そのものが伸びているのではありません』
『reが道を見つけ、それに案内層が意味を重ねています』
次の瞬間。
サキのスマートフォンだけではなく。
警備局員が持つ小型光具にも、白い文字が浮かんだ。
《停止》
兵士が驚く。
「何だ、これ」
別の光具。
《偽の道》
そして。
森へ向けて。
《安全》
アデルが目を見開く。
「全員に見えているのか」
警備局員が答える。
「はい!」
「こちらの光具にも!」
「同じ表示です!」
王国警備局の正式装備。
そこに。
失われていた研究者エリウスの案内標識が、はっきり表示されていた。
◆ ◆ ◆
ジャバが動く。
「何ごちゃごちゃやってやがる!」
黒い影が街道を走った。
「ヴェルニ!」
「任せろ!」
炎の壁が立つ。
影と炎が衝突する。
アデルが叫ぶ。
「馬車を森へ!」
警備局員が戸惑う。
「しかし、道がありません!」
「ある!」
サキがスマートフォンを掲げる。
「reが出してる!」
さらに。
兵士の光具にも白線が伸びる。
木々の隙間。
馬車一台が通れるとは思えない狭さ。
だが、線はそこへ向かっていた。
「行け!」
アデルの命令。
御者が手綱を引く。
馬車が森へ入る。
木の枝が車体へ当たりそうになる。
その直前。
光具に、
《右》
御者が右へ。
枝を避ける。
次。
《停止》
急停止。
目の前。
地面が崩れた。
暗い穴。
もし進んでいれば、馬車ごと落ちていた。
御者の顔が青ざめる。
「見えていたのか……?」
サキのreが白く光る。
次。
《左》
馬車が迂回する。
警備局員たちも続く。
それを見ていたヴェルニが笑った。
「すげえな」
アデルはジャバから目を離さない。
「感心している場合か」
「でもよ」
炎を放ちながら言う。
「これ、公式記録に残せるだろ」
アデルも気づいていた。
今までは、
セラの証言。
古い器具。
残された術式。
そこからエリウスの存在を推測していた。
だが今、複数の警備局員が同時に
エリウスの案内技術によって助けられている。
「ノノ!」
アデルが通信へ叫ぶ。
「全部記録しろ!」
『もうしてる!』
ノノの声が返る。
『光具側の記録も残ってる!』
エリウスの研究が
過去の遺物としてではなく。
今。
人を救っていた。
◆ ◆ ◆
【現実世界・湾岸地区/夜】
一人の男が歩いている。
ラスト。
道路はすでに警察によって封鎖されていた。
だが。
人はいない。
車両もない。
遠く。
交差点の向こうから、特殊部隊が監視している。
誰も近づかない。
ラストが信号機の下を通る。
赤。
青。
黄。
すべての光が消えた。
支柱の根元が赤茶色へ変わる。
だが倒れない。
ラストは触れていない。
ただ通っただけ。
道路脇に停められていた無人の作業車。
エンジンが止まる。
時計も。
無線も。
ライトも。
すべて。
「対象、湾岸第四交差点通過」
遠距離監視班が報告する。
『推定到達まで――』
声が途切れた。
通信機にノイズ。
「固定回線を切れ!」
別の隊員が叫ぶ。
機器から離れる。
ラストは振り返らない。
まっすぐ海の方向。
旧研究施設へ。
その胸の奥で、
何かが何度も繰り返す。
止まっている。
止まっている。
止まっている。
その先に。
一つだけ。
ほかとは違う停止がある。
身体。
意識。
二つとも存在する。
なのに重なっていない。
ラストには
それが許せなかった。
「止まっている」
男の口が動く。
「なら」
一歩。
「止める」
◆ ◆ ◆
【異世界・王都外縁/森林旧道】
高瀬を乗せた馬車は、森を抜けようとしていた。
reの白線。
エリウスの標識。
二つが重なり、これまで誰も使っていなかった古い道を作っている。
いや。
作っているのではない。
昔からそこにあった道を
見つけている。
最後尾。
アデルとヴェルニがジャバを食い止めていた。
ジャバが拳を振るう。
ヴェルニが炎で受ける。
「ぐっ!」
後ろへ滑る。
アデルの光杭がジャバの足元へ刺さる。
「〈封縛・座標杭〉!」
ジャバが一本を踏み砕く。
「また逃げられると思うな!」
「もう逃げている」
アデルが答えた。
ジャバが振り返る。
木々の隙間。
馬車の姿がない。
黒い影を伸ばす。
だが反応を掴めない。
「どこ行った!」
イヤーカフからノノが叫ぶ。
『効いてる!』
『エリウスの案内層が、危険な観測線から道を分けてる!』
ジャバの影は街道側を探している。
だが馬車は別の古道。
観測されていた「帰る道」から外れていた。
ヴェルニが笑う。
「お前、また見失ったぞ」
ジャバの顔が歪む。
「てめえ……!」
「俺じゃねえよ」
ヴェルニは炎を構える。
「死んだ研究者に負けたんだ」
ジャバが踏み込む。
だが、その前に。
アデルの剣が地面へ触れる。
「ここまでだ」
白い線。
エリウスの案内表示と重なる。
《停止》
アデルが術を放つ。
「〈封断・第一級〉!」
街道と森林旧道の間に、白い境界が立ち上がった。
ジャバの影が遮断される。
「またそれか!」
ジャバが境界を殴る。
一撃。
揺れる。
二撃。
亀裂。
長くは持たない。
だが、それで十分だった。
アデルが言う。
「ヴェルニ、行くぞ」
「了解」
二人が森へ飛び込む。
白い境界の向こうから
ジャバの怒声だけが響いた。
◆ ◆ ◆
【王都東部/旧治療施設・地下研究区画】
ノノの前に大量の記録が流れている。
警備局光具。
案内標識。
reの経路。
ジャバの観測線。
避難した馬車の位置。
すべて。
イデールが画面を覗く。
「助かった?」
「うん」
ノノが大きく息を吐いた。
「高瀬さんも」
「ハレルたちも」
「今のところ全員」
ダミエが記録を見る。
「案内層が道を作ったわけじゃない」
「うん」
ノノが答える。
「reが先に見つけた」
「案内層が、その道が安全かどうか確かめた」
セラは白い表示を見つめていた。
《安全》
《停止》
《偽の道》
かつて。
エリウスが人を救うために作った印。
それが、
王国警備局の正式な光具へ残った。
「これなら」
ノノが言う。
「もう、エリウスの研究が存在しなかったとは言えない」
セラは小さく頷いた。
「はい」
声が少し震えていた。
イデールがセラを見る。
「よかったね」
セラは答えなかった。
ただ。
少しだけ笑った。
◆ ◆ ◆
【現実世界・湾岸旧研究施設/身体側固定室】
警報。
日下部が振り返る。
「来ます!」
城ヶ峰が立ち上がる。
「位置」
「施設外周まで二百メートル!」
木崎がカメラを手に取る。
「ようやくお出ましか」
「木崎さん、前へ出ないでください」
「分かってる」
「本当に?」
「お前までノノみたいなこと言うな」
その時、
保存槽の内部。
何もなかった空間に、
匠の輪郭が強く浮かんだ。
日下部が驚く。
「身体側固定反応、上昇!」
同時に。
古い局所端末が動く。
外部ネットワークには繋がっていない
匠が残した補助装置。
画面に文字が出る。
《外部異常》
《固定点接近》
続いて。
一行。
『来ているな』
木崎が画面を見る。
「匠」
『こっちからも分かる』
城ヶ峰が尋ねる。
「ラストを?」
数秒。
『名前までは分からない』
『だが、止めるものが近づいている』
日下部が言う。
「匠さん」
「身体側固定点を守ります」
『身体だけ守っても駄目だ』
全員が画面を見る。
『ここが壊れれば』
『補助層も揺れる』
『ハレルたちの道まで細くなる』
日下部の表情が変わる。
予想していた。
だが。
匠本人から言われると意味が違う。
二つの戦場。
異世界では
高瀬を守るための道。
現実では
匠とハレルたちを繋ぐ道。
どちらか片方が壊れても帰還は遠ざかる。
城ヶ峰が通信を開く。
「全員、配置につけ」
外。
旧研究施設の入口。
暗い道路の先。
一人の男が立っていた。
ラスト。
その背後で。
街灯が一つ。
また一つ。
消えていく。
木崎がカメラを向ける。
「来たぞ」
ラストは旧研究施設を見る。
そして、その奥にある。
止まった身体を感じ取る。
「……ここだ」
赤茶色の線が。
男の足元から。
ゆっくりと。
旧研究施設へ伸び始めた。
コメント
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あー、第267話! 現実と異世界、両方で同時に動いててめちゃくちゃ緊張感あったわ…。特にエリウスの案内標識が警備局の光具に表示された瞬間、鳥肌立ったね。死んだ研究者の遺した技術が、今まさに人を救ってるんだなって思うとグッと来るものがあった。ラストの「止まっている」の執念も怖いけど、一方でハレルたちのチームワークが熱い🔥 匠のメッセージも含めて、二つの戦場がどう繋がっていくのか、次が本当に気になる!