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#一次創作
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「リナリア。すまないが、アニータが体調を崩して寝込んでしまったんだ。僕はこれから様子を見にいかなければならない。今日の予定は中止にさせてくれ」
『はぁ? 何言ってんだ。コイツ』
思わず頭に過った言葉をそのまま口に出してしまうところだった。間一髪で冷静を取り戻したので暴言は喉の奥へと押し込める。代わりに口からお出しされたのは、たおやかで優しい淑女に相応しい労いの言葉。
「まあ……またですか。それは心配ですね。私の事はお気になさら……」
「ありがとう、リナリア!! この埋め合わせは必ずする。それじゃ!!」
まだ喋ってる途中だろうが。コイツ……どこまで私を馬鹿にすれば気が済むんだ。表面上はなんとか取り繕っていたが、頭の中には先ほど押し留めたはずの罵詈雑言がどんどん溢れ出してくる。
目の前にいた男は許しの言葉が出たと確信するやいなや、脱兎の如く走り去っていったのだ。許可はしたものの……台詞の中にさり気なく嫌味を含ませたつもりだった。しかし、そんなものは相手に伝わっていなければ意味がないのだ。
「いくら婚約者とはいえ、もう我慢の限界。殴ってもいいかな」
雲一つない青空。気温も暖かくて絶好のお出かけ日和。そんな外の天気とは対照的に私の心情は暗雲立ち込め、これでもかというくらいどんよりと落ち込んでいた。
ひと月以上も前から約束をしていたにも関わらず、こんなにもあっさりと反故にされてしまうのか。流行りのお芝居のチケット……取るの苦労したのに。
殴ってもいいか……なんて、現実ではそんなこと出来るわけがなかった。誰に向けたでもない独り言……要は愚痴である。こんな暴言がうっかり口から出てしまうほどに腹が立っていたのだ。
実行には移せなかったが、声に出したことでいくらか気分がすっきりした。溜飲を下げる効果は多少なりあったようだ。
「はぁ……いつまでもここで突っ立てるわけにもいかないし……帰ろうかな」
一際大きなため息が溢れる。私たちのやり取りを見て揉め事かと野次馬が集まってきている。約束を一方的に破られ、その上見せ物になるなんてごめんだ。私は待機させていた馬車の元へと向かった。
この時の私は知らなかった。
殴ってもいいだろうかという言葉に対して御者が全力で頷いていたことを――――
「はぁ? 何言ってんの、アイツ。バカなの?」
数刻ほど前に私が婚約者相手に言ってしまいそうになった台詞。それに『バカ』という単語を追加した上、実際に声にも出してくれた。さすがステラ。バカは言い過ぎかもしれないけど、肝心な時に日和ってしまった私とは違う。文句のひとつも言えなかった自分の意気地無しなところが嫌になる。
「リナもリナだよ。何で素直に行かせちゃったの? 婚約者が自分を差し置いて他の女のとこに行くなんて寝言ほざいてるんだよ!! あなたには引き留める権利があるんだからね!!!!」
「ステラ、言葉遣いが……」
「はっ? なにが!?」
「う、うん……そうだよね」
彼女の名前はステラ・ジョゼット。私の一番の友人だ。こんなに気安い会話をしてくれているが、彼女は歴とした公爵家の御令嬢である。私も子爵家の娘なので貴族ではあるけど、王家と親戚関係にあたる彼女とは比べものにならない。
気が強くて言葉は少しキツいところがあるけど、私を心から心配してくれている。身分という垣根を越えて彼女という素晴らしい友人を得られたことを嬉しく思う。
「でもね、具合の悪い幼馴染を無視して私と遊べなんてとても……」
「こういう事は言いたくないけど、アニータ嬢の体調不良も本当かどうか怪しいものよ。なんでいつもあなたとあのバカがデートの時に決まって不調を訴えてくるのよ。タイミングが良過ぎるじゃない」
「それは……私もちょっと思ってたけど、アニータ嬢が私たちの予定なんて知りようがないだろうし……」
私、リナリア・アルメーズには婚約者がいる。相手は伯爵家の次男であるマルク・レシュー。家同士の利害関係が絡んだ所謂政略結婚。貴族間ではよくあることだ。
お互いに面識すらなかった私とマルクだけど、婚約を切っ掛けに交流を始めてゆっくりではあるが親交を深めていった。最初はぎこちなかった関係も変化していき、マルクの穏やかで優しいところに私は惹かれていった。この人となら上手くやっていけるのではないかと思ったのだ。
素敵な縁を結ぶ事ができて本当に幸せだった。でも……その幸せはたったの数ヶ月で陰りを見せるようになる。
「あのバカ男のことだから、なーんにも考えずに他所でぺらぺら喋ったんじゃないの」
「恥ずかしいからって理由で口止めしてたから違うと思いたいんだけど……」
ステラ……もうマルクの事名前で呼んでくれないんだ。今回のドタキャンを私以上に怒ってくれている。そのおかげか私の怒りの方は落ち付いてきている。いや……もうすでに諦めの境地に至っているだけなのかもしれない。
「あーー!! もうっ、腹が立つ!!!!」
「ステラ、あなが自分の事のように怒ってくれるからすっきりしちゃった。それと、突然誘ったのに付き合ってくれてありがとう。おかげでチケットを無駄にしないですんで良かったよ」
せっかく苦労して手に入れた芝居のチケットだ。捨てるのもひとりで行くのも嫌だったので、私は駄目もとでステラを誘ったのだ。彼女は快く応じてくれた。
お芝居は評判の通り、とても面白かった。恋愛ものだけどドロドロしてなくて笑いどころも満載。若い恋人同士におすすめなんて宣伝文句もあったけど、仲のいい友人と見ても充分楽しめた。婚約者にイライラさせられた勢いでチケットを捨てなくて本当に良かった。
観劇の後はお気に入りのカフェに赴き、ティータイムを満喫した。季節限定スイーツに舌鼓を打ちながら、劇の感想を言い合って……
ステラと一緒にいると嫌なことを忘れてしまえる。マルクとのデートは無くなってしまったけど、一番の友人と楽しいひとときを過ごすことができた。
「すっきりしたって……。リナが落ち込んでないのは良かったと思うけど、私はあのバカがあなたの優しさに胡座をかいて調子に乗ってるのが許せないわよ」
ステラは握った拳でテーブルを叩いた。またしても淑女にあるまじき行動を……。ティーカップの中に注がれた紅茶が激しく波打つ。溢れなくて良かった。
私とマルクの関係がぎくしゃくしだしたのは、ひとりの女性の存在による影響が大きかった。女性の名前はアニータ・ルザネ。男爵家の令嬢でマルクの幼馴染である。
アニータの母親はマルクの乳母だった。ふたりは幼い頃からお互いを遊び相手とし、本当の兄妹のように育ったのだという。
そういった背景もあってマルクはアニータをとても大切にしている。体調でも崩そうものなら顔面蒼白ですぐさま彼女の元へ向かうのだ。そう、まさに今日のように――――
「幼馴染を大切にするなとは言わない。でも、所詮は赤の他人じゃない。命に関わるような大病ならともかく……ちょっと体調がすぐれない程度で大袈裟なのよ」
「そう……だよね……」
「そもそも医者でもなんでもないあのバカが行ったところで何の役に立つのよ。バカがいるくらいで治るような体調なら仮病確定よ」
今日は一段とステラの言葉が鋭いな。国一番の美人とも名高いステラ……美人は怒ると怖いというが本当だ。凄い迫力……しかも彼女は公爵家の御令嬢。マルクがこの場にいたら泣いてるかもしれない。
妹みたいなものだとマルクは言っているけど、仮に本当の妹でもここまで甲斐甲斐しく世話を焼くものだろうか。体調が悪いというのが本当であるなら心配になるのは分かる。でも、ステラの言う通り少し騒ぎ過ぎだとも思う。世話をしてくれる人がいないわけでもないのに、毎度マルクが駆けつけていくのも納得ができない。
結局のところ、私との約束なんて彼にとってその程度のものなのだろう。アニータのためなら破っても構わないと思われているのだ。
物心つく前から一緒にいた家族同然の幼馴染と、政略の絡んだ婚約者。比べるべくもない。
「あーあ、リナの婚約者がうちの兄様なら良かったのにな」
「えっ!?」
ステラの衝撃発言に私は飲みかけていた紅茶を吹き出しそうになってしまった。