研究室の窓から差し込む光は、夏の眩しさを失い、やわらかく机の上に落ちていた。
窓の外では木々が静かに風に揺れ、乾いた葉がカサリと音を立てる。
壁際の温度計は少し低めを指していて、空気の中には秋特有の冷たい澄んだ香りが混じっていた。
ツナっちは、散らばった書類を一つずつ丁寧にまとめていく。辺りにはくられが使った器具や資料があちこちに置かれている。
彼が没頭すると、どうしても机の上は小さな嵐のあとみたいになる。
ツナっちはそんな光景にすっかり慣れていて、半ば呆れながらも、いつものように整理を始めていた。
「先生、これってどこに仕舞えばいいっすか」
軽い調子で声をかけるが、返事はない。
視線を向けると、くられは床に座り込み、山積みの資料の中から一冊を開いていた。
白衣の袖が床につき、背中を少しかしげて、ページに目を落としている。
その横顔には、穏やかな光が差し込んでいた。
ページをめくる指先は静かで、目は嬉しそうに細められている。
研究に没頭している彼を見るのは珍しくない――けれど、今日のそれはどこか違って見えた。
いつもなら理論を追い詰めるように熱を帯び、どこか危ういほどの集中を見せるのに、
今はただ、好きな本を読んでいるみたいな優しい顔をしている。
――まるで、子どもみたいだ。
そう思って、ツナっちは自分で少し驚いた。
いつも冷静で、頭の中が常に次の実験でいっぱいな先生なのに、
こんな穏やかな表情を見せることがあるなんて。
胸の奥が、ほんの少しだけざわつく。
「先生……整理はどうするんすか! 俺、これどこに置けばいいか困るんですけど!」
思わず声を張ると、くられは顔を上げないまま、淡々と答えた。
「後でやるよ。今、いいところなんだ」
その一言が、まるで小さな針みたいに心に刺さる。
ツナっちは呆れたように息をついたが、すぐにため息が笑いに変わった。
「……まったく、先生は本当にマイペースっすね」
そう呟いても、くられの耳には届いていない。
ページをめくる音だけが、静かな部屋の中で小さく響く。
その音が、なぜか心地よくて――ツナっちは作業の手を止めた。
研究室に漂う薬品の匂い。
風がカーテンをゆらし、淡い光が二人の間を渡っていく。
その光の中で、くられの白衣がやわらかく揺れた。
――いつもは俺が世話を焼く側なのに。
――なんで今日は、見てるだけでいいなんて思っちまうんだろう。
胸の奥が、微かに熱くなる。
そんな気持ちを自覚するのが怖くて、ツナっちはごまかすようにもう一度書類を束ねた。
ペン先で軽く紙を整えながら、何度も同じページを見直す。
くられは相変わらず床に座り、目を輝かせながら文字を追っていた。
小さく唇が動く。たぶん、誰にも聞こえないくらいの声で、独り言を呟いているのだろう。
その姿が不思議と愛おしく見えた。
ツナっちは息を飲んで、すぐに視線を逸らす。
――何考えてんだ、俺。
そんな言葉を心の中で呟き、無理やり机に目を戻した。
そのとき、窓の外からひとひらの落ち葉が舞い込んだ。
それはゆっくりとツナっちの手元に落ち、紙の上で静かに止まる。
ふと見上げた先で、くられが小さく笑っていた。
嬉しそうでも、楽しそうでもない。ただ穏やかな、満ち足りたような笑みだった。
ツナっちは胸の奥がまたひとつ波打つのを感じた。
それが何なのか、まだうまく言葉にはできない。
ただ、秋の光と風の中で、いつもより少し近く感じるその背中を――
もう少しだけ見ていたい、と思ってしまった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!