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研究室のドアを開けると、いつもよりも静かだった。
換気扇の音も、器具のかすかな振動音も止まり、冬の空気が薄く満ちている。ツナっちは足を止めた。白い息が目の前でゆっくりほどける。
「……先生?」
声をかけても反応はない。机の明かりがぽつんと灯り、くられは白衣の袖を垂らしたまま、机に突っ伏していた。頬のあたりに少しだけ髪がかかっていて、静かな寝息がリズムを刻んでいる。
ツナっちは小さく息を吐いた。
研究に没頭して夜更かしするのはいつものことだが、こんなふうに昼間から眠っている姿は珍しい。
眠る横顔はどこか幼く、いつもの理知的な表情よりも穏やかで、無防備に見えた。
――なんですか、先生。そんな顔、ずるいっすよ……。
胸の奥が不意に熱くなり、ツナっちは手を伸ばしかけた。
袖の端がわずかに揺れ、指先が白衣の肩口に触れそうになる。
ほんの一瞬、その距離がなくなろうとした時――
「……ん……」
くられの瞼がわずかに震え、ゆっくりと目を開けた。
焦点が合うまでの数秒、まだ夢の中にいるような目でツナっちを見上げる。
「ツナっち?」
舌っ足らずな声だった。寝起きの柔らかい響きに、ツナっちは息をのむ。
その名を呼ぶ声が、いつもよりずっと近く、胸の内に残る。
「あ、起きた……。こんなところで寝てたら風邪ひきますよ、先生」
慌てて手を引っ込めながら、ツナっちは少しだけ視線を逸らした。
けれど、くられはまだ半分眠たげなまま、微笑を浮かべていた。
柔らかな光の中で、その表情はまるで穏やかな夢の続きのようだった。
――ほんと、やめてくださいよ……そんな顔。
胸の鼓動が落ち着かない。
どうしてこんなに近くで見つめていたくなるのか、自分でもわからなかった。
でも、はっきりしていることがひとつだけある。
――俺、先生のこと、好きなんだ。
その事実が、静寂の中で確かに形を持った。
ツナっちは白い息をひとつ吐き出し、机の上に積まれた資料を整えながら、平静を装う。
くられは姿勢を直しながら、まだ少し眠たげに目を擦った。
「少しだけ、仮眠のつもりだったんだけどね」と笑う声が、やけに優しく響いた。
ツナっちはそれに何も言えず、ただ頷く。
その笑顔を見て、また胸の奥がふわりと熱くなる。
冬の光が窓から差し込み、机の上で白衣を淡く照らす。
その光景を見ながら、ツナっちは小さく呟いた。
「……まったく、先生は油断しすぎっすよ」
でもその声には、もう少しだけあたたかさが混じっていた。