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#日常組
tagu2026226
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第17話:その罪を、見過ごしはしない
宮殿へ戻った頃には、朝日がすっかり昇っていた。
馬車の扉が開くと、待機していた侍従や近衛騎士たちが一斉に頭を下げた。
「殿下、お帰りなさいませ」
「ああ。医師を呼べ。ルカの診察を最優先にする」
「かしこまりました」
リンデンは馬車から降りると、ルカへ手を差し伸べた。
「立てるか?」
「はい。もう大丈夫です」
そう答えたルカだったが、差し出された手を握る指先には、まだ少し力が入っていなかった。
リンデンは何も言わず、その手をしっかりと握り返した。
「無理をするな。歩けなければ、私が運ぶ」
「そ、そんな……! そこまでしていただかなくても……」
「私がそうしたいのだ」
きっぱりと言われ、ルカは困ったように目を伏せた。
「……ありがとうございます」
「礼はいい。さあ、戻ろう」
二人が宮殿の中へ入ると、何人もの侍従が安堵した表情を浮かべた。
ルカが連れ去られたと知った者たちは、リンデンのただならぬ様子を目の当たりにしていた。
普段は感情を表に出さない皇太子が、近衛騎士を総動員し、自ら捜索に向かったのだ。
それほどまでに、ルカはリンデンにとって特別な存在だった。
けれど、当のルカは、周囲から向けられる視線に戸惑っていた。
「……あの、殿下」
「どうした?」
「皆さん、僕を見ているような……」
「心配していたのだろう」
「僕を、ですか?」
リンデンは足を止めた。
「ほかに誰がいる」
あまりにも当然のように返され、ルカは目を丸くした。
そして、ほんの少しだけ、嬉しそうに微笑んだ。
「……そう、ですよね」
その表情を見て、リンデンの胸に温かなものが広がる。
ようやく、いつものルカの笑顔が戻り始めていた。
そのことが、何よりも嬉しかった。
***
医師の診察が終わったのは、それからしばらくしてのことだった。
「大きな怪我はございません。ただ、長時間の緊張と睡眠不足、食事が十分に取れていなかったことによる疲労が見られます。今日はできるだけ安静にお過ごしください」
「分かった。必要なものがあれば、すぐに用意させよう」
リンデンが答えると、医師は一礼して部屋を出ていった。
寝台の上に座るルカは、申し訳なさそうに指先を重ねていた。
「……殿下。お仕事があるのに、すみません」
「なぜ謝る?」
「僕のせいで、きっと大変なことになっていると思うので……」
その言葉を聞いた瞬間、リンデンの表情がわずかに険しくなった。
「ルカ」
「は、はい」
「お前は何も悪くない」
静かな声だった。
「連れ去られたことを、謝る必要などない。お前が責任を感じることではないのだ」
「でも……」
「でも、ではない」
リンデンは寝台のそばへ椅子を寄せ、ルカと目線を合わせた。
「今回の件は、誰かがお前の意思を無視して連れ去った。それだけで十分に許されないことだ。お前が謝る理由にはならない」
ルカは、はっと息を呑んだ。
自分がいなくなったことで、リンデンに迷惑をかけた。
捜索のために、多くの人を動かしてしまった。
ずっと、そんなことばかり考えていた。
けれど、リンデンは一度も、ルカを責めなかった。
それどころか、謝らなくていいと繰り返してくれる。
「……殿下は、どうしてそんなに優しいのですか?」
思わずこぼれた問いに、リンデンは少しだけ目を見開いた。
「優しくしているつもりはない」
「え……?」
「お前を大切にしたい。それだけだ」
あまりにもまっすぐな言葉だった。
ルカの頬が、ゆっくりと赤くなる。
リンデンはその様子を見つめ、声を少し和らげた。
「今は休め。事件のことは、私に任せておけばいい」
「……はい」
「何かあれば、すぐに呼べ。遠慮はするな」
「分かりました」
ルカは頷いたあと、ためらいがちに口を開いた。
「……殿下」
「何だ?」
「少しだけ……手を握っていていただいても、いいですか?」
リンデンの表情が、ふっと緩んだ。
「もちろんだ」
彼はルカの左手を取り、指輪を傷つけないようにそっと包み込んだ。
ルカは安心したように目を閉じる。
「……殿下がいてくださると、安心します」
「私も、お前がここにいてくれると安心する」
その言葉を最後に、ルカはゆっくりと眠りに落ちていった。
リンデンは、しばらくその寝顔を見つめていた。
そして、眠るルカの手をそっと寝具の上へ戻すと、音を立てないように立ち上がった。
穏やかな表情は、部屋を出る直前まで変わらなかった。
しかし、扉が閉じた瞬間。
その青い瞳から、温かさが消えた。
「……さて」
リンデンは、待機していた近衛騎士へ視線を向けた。
「報告を聞こう」
***
皇宮の執務室。
机の上には、ルカの誘拐に関する報告書が並べられていた。
リンデンは席に着くと、最初の書類を手に取った。
「拘束した者たちの供述は?」
「三名は、金銭を受け取ってルカ様を屋敷に留め置いていたと認めております。しかし、依頼主については、直接会ったことがないと主張しています」
「連絡手段は?」
「仲介役の男を通じて指示を受けていたようです。その男も拘束しておりますが、依頼主の名前は知らないと話しております」
リンデンは書類を机に置いた。
「……用意周到だな」
最初から、自分の名前が表に出ないように計画されていた。
馬車の手配。
エース家の名を利用したこと。
人目につかない屋敷。
どれも、偶然にしては都合がよすぎる。
「では、エース家との関係はどうなっている?」
「屋敷の元所有者は、エース家の当主と親交があった人物です。また、仲介役の男は、以前エース家に出入りしていたことが判明しました」
リンデンの指が止まった。
「……なるほど」
エース家は関与を否定している。
しかし、屋敷も、仲介役も、まったく無関係とは言い切れない。
そして何より、ルカがいなくなれば都合がいいと考える人物がいる。
リンデンは、ゆっくりと別の報告書を開いた。
そこには、セレスティア・フォン・ベルティーヌの名が記されていた。
彼女は、かつてリンデンの婚約者だった。
表向きは礼儀正しく、誰からも好かれる令嬢。
けれど、リンデンは知っていた。
彼女が自分の目の届かない場所で、使用人たちにどのような態度を取っていたのかを。
そして、ルカに向けていた視線も。
「……殿下?」
近衛騎士の声に、リンデンは顔を上げた。
「セレスティア嬢について、何かお心当たりが?」
リンデンは、しばらく沈黙した。
まだ、決定的な証拠はない。
疑いだけで人を裁くつもりはなかった。
だが、疑いを捨てる理由もなかった。
「彼女とエース家の間に、最近、接触がなかったか調べろ。手紙や使者の往来も含めて、確認するんだ」
「承知いたしました」
「それから、ルカが保護された屋敷へ出入りした者の記録も洗い直せ。些細なことでも報告しろ」
「はっ」
騎士が退出すると、執務室は静けさを取り戻した。
リンデンは椅子の背に身を預け、目を閉じた。
ルカの涙が、脳裏に浮かぶ。
自分の胸元に顔を埋め、帰りたかったと告げた声。
信じて待っていたと話してくれた、震える声。
その記憶が、胸を締めつけた。
「……あの子を、二度とあんな目に遭わせるわけにはいかない」
低く呟き、リンデンは再び目を開いた。
ルカを連れ去った者たちを見逃すつもりはない。
そして、その背後にいる人物が誰であろうと。
皇太子の権限を使ってでも、真実を明らかにする。
それが、ルカを守るという約束を果たすことだった。
***
その日の午後。
セレスティアのもとへ、一通の知らせが届いた。
『ルカ・エースは、皇太子殿下によって保護された』
短い文面を読み終えた瞬間、彼女の顔から笑みが消えた。
「……そんな」
思わず、紙を握りしめる。
まだ数日も経っていない。
どうして、もう見つかったのだろう。
あの屋敷は人目につかず、関係者も慎重に選んだはずだった。
それなのに、リンデンはルカを見つけ出した。
「……本当に、あの方は……」
セレスティアは、唇を噛んだ。
ルカを遠ざければ、リンデンも冷静さを取り戻すと思っていた。
一人の側近に執着するなど、彼らしくない。
だからこそ、少し距離を置かせれば、すべて元に戻るはずだった。
けれど、現実は違った。
リンデンはルカを見つけるために、近衛騎士を動かした。
自ら屋敷へ向かい、救い出した。
そこまでして、彼を取り戻したのだ。
「……どうして、あの子なの?」
セレスティアの声が震えた。
自分は、リンデンの婚約者だった。
幼い頃から、皇太子の隣に立つ未来を当然のものとして考えてきた。
それなのに。
彼が心を向けたのは、自分ではなく、家から追い出された少年だった。
魔法も使えず、身分も高くない、何の後ろ盾も持たないルカ。
その事実が、どうしても受け入れられなかった。
「……いいえ」
セレスティアは、深く息を吸った。
「まだ、終わっていないわ」
ルカが戻ってきたからといって、すべてが元どおりになるとは限らない。
リンデンが、どこまで真実をつかんでいるのか。
それを確かめる必要があった。
彼女は侍女を呼び、落ち着いた声で告げた。
「エース家へ使いを出してちょうだい。今後のことについて、早急に話し合いたいと伝えて」
「かしこまりました」
侍女が退出すると、セレスティアは窓辺へ歩み寄った。
庭の花々は、何事もなかったかのように咲いている。
その美しい景色を眺めながら、彼女は静かに呟いた。
「……殿下。あなたは、どこまで私を追い詰めるおつもりなの?」
その問いに、答える者はいなかった。
***
夕刻。
ルカが目を覚ますと、部屋には柔らかな夕日が差し込んでいた。
しばらくぼんやりと天井を見つめていたが、やがて、自分が宮殿に戻ってきたことを思い出す。
見知らぬ屋敷ではない。
閉ざされた扉に怯える必要もない。
ここは、自分の帰りたい場所だった。
「……よかった」
ルカは小さく息を吐いた。
左手には、いつもの指輪がある。
そっと宝石を撫でていると、扉の向こうから控えめなノックが聞こえた。
「ルカ、起きているか?」
その声に、ルカの顔がぱっと明るくなる。
「殿下! はい、起きています!」
扉が開き、リンデンが姿を現した。
「具合はどうだ?」
「もう大丈夫です。少し眠ったら、だいぶ楽になりました」
「そうか。医師からも、今夜は無理をしなければ問題ないと聞いている」
リンデンは寝台のそばへ歩み寄り、ルカの顔色を確かめた。
「食事は取れそうか?」
「はい。……あの、殿下もご一緒に食べませんか?」
口にしてから、ルカは慌てたように視線を落とした。
「す、すみません。お忙しいですよね……」
「構わない」
リンデンは即答した。
「お前がそう望むなら、ここで食べよう」
「……本当ですか?」
「ああ」
ルカの表情が、嬉しそうに緩む。
その笑顔を見て、リンデンは胸の奥で静かに誓った。
もう、ルカが自分の願いを口にすることさえ、ためらうような思いはさせたくない。
望みがあるなら、聞かせてほしい。
寂しいなら、そばにいてほしいと言ってほしい。
そして、自分もまた、隠さずに伝えていこう。
どれほど大切に思っているのかを。
「……殿下?」
ルカが不思議そうに首を傾げた。
リンデンは、彼の手をそっと取った。
「何でもない。ただ……こうして、お前と話せることが嬉しいのだ」
ルカは驚いたあと、ゆっくりと微笑んだ。
「……僕もです」
二人の手の間で、淡い青色の宝石が夕日を受けて輝いた。
けれど、穏やかな時間の向こう側では、まだ解決していない問題が動き続けている。
セレスティアの企み。
エース家とのつながり。
そして、ルカを狙った本当の理由。
リンデンは、必ず真実を明らかにするつもりだった。
大切な人を守るために。
そして、もう二度と、ルカの居場所を奪わせないために。
――その決意が、やがて宮殿全体を揺るがすことになる。
コメント
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第17話、読みました……! リンデンのルカに対する優しさ、もう本当に尊すぎて胸がぎゅっとなりました。「謝らなくていい」「お前は何も悪くない」って、ちゃんと言葉にして伝えてくれるの、リンデンがルカをどれだけ大切に思ってるか伝わってきて泣ける😢 そして眠ったルカの手を離してすぐ冷たい目になるギャップがすごくて…「さて」の一言で空気が変わったの分かった瞬間、ゾクッとしました。セレスティアもまだ諦めてないみたいだし、次どうなるのか本当に気になる。続き楽しみにしてます!