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「慰謝料もなくて養育費も怪しいから、引っ越すのも無理な気がするんだよね。圭太に貧しい暮らしはさせたくないし。私と雅史は離婚して法律上は他人になるけど、圭太の父親と母親としてあの家にそのまま住みたいのよ」
「えっと、それは……どういう?」
「離婚すれば、雅史が他の誰かとどんなことをしても私には関係ないから、好きにすればいいわ。でも圭太の前ではちゃんと父親でいると約束して欲しいの。私は、夫としてのあなたはいらない、ただ圭太の父親としていてくれればいい」
「……」
「私もできるだけ早くちゃんとした仕事を見つけて、あの家を出ていくようにするから。それまではこのままで」
「……わかった、そうだな。そうしてくれると俺も助かる。まとまったお金が貯まるまで、それで辛抱してくれ」
「それでね、もうそろそろ家に帰ってきてよ、圭太が寂しがってるから」
「いいのか?」
「その方が、雅史もいいんじゃない?お義母さんも大変だろうし」
「ありがとう、そうするよ。あ、身の回りのことは俺のことは俺がするから」
「やったことないから、あまりあてにはしないけど。私が手を抜いても文句はなしだからね、法律上は他人になるんだから」
「うん」
そこまで話したら、杏奈はしゃがんで圭太に目の高さを合わせた。
「圭太、おとうさんね、お仕事終わったから病院を退院したら帰ってくるって。よかったね」
ソファで本を読んでいた圭太が、すくっと立ち上がった。
「ほんと?おとーたん、ほんと?」
「あー、また一緒に風呂入ろうな」
「うん、やった!」
両手を上げてはしゃいでいる圭太を見ていたら、これが今の一番いい答えだろうと感じた。
杏奈とは離婚するけれど、生活スタイルはこのまま変わらない、これでいい。
次の日、退院して実家に戻り荷物をまとめた。
「あら、雅史、やっと杏奈さんと仲直りしたのね?」
“仲直り”というセリフが聞こえたのか、親父が俺を見た。
「喧嘩してたわけじゃないよ、頭を冷やしてただけだ。それで結論が出た。離婚する」
えっ!というお袋とは反対に、どこかホッとしたような親父。
「そうか、ちゃんと二人で話し合ったんだな?」
「うん」
「え?じゃあ、杏奈さんは嫁としては……?」
お袋は、自分が介護になったらどうするんだ?とでも言いたいんだろう。
「やめなさい、自分のことを子に頼るんじゃない、俺たち二人でなんとかなるだろ?それよりも、二人が出した結論なんだから、認めてやるべきだ。それで雅史、その……圭太は?」
親父は、孫に会えなくなるかも?と思ったのか。
「実は、慰謝料が払えないし養育費もままならないんだよ、俺の仕事今、めちゃくちゃヤバくて。それで当分はいままでと同じ生活になる。圭太もどこにも行かないから、それは安心していいよ」
お袋も親父もそれ以上は何も言わなかった。
_____考えてみたら、俺のせいで親父たちにも寂しい思いをさせることになるんだな
自分の軽はずみな行動を、今となっては後悔するしかない。
アイロンがかけられていないシャツや、クリーニングに出し忘れたスーツを紙袋に詰めて、圭太と杏奈がいる家に向かった。
少し前までは、この道を歩くのに気が重かったが、今はどこか晴れ晴れとしている。
これから先のことは不安だらけだが、俺を待つ圭太がいる家に帰れることは素直にうれしい。
_____杏奈は待ってなんかいないだろうけどな
フッと自分のことを鼻で笑ってしまった。
「ただいま!」
「あ、おとーたんだ!」
パタパタと圭太の足音がして、玄関まで迎えにきてくれた。
キッチンからは俺の好きなメニューの匂いが漂ってくる。
「お?美味そうだな。杏奈の手料理は久しぶりだ」
「あら、帰りが遅かったり付き合いで飲んできたりするからでしょ?」
「あー、でもこれからは無駄な金は使わない、そんな時間も体力もないよ」
「おとーたん、ごはんたべたらおふろだよ」
圭太の手には水鉄砲があった。
「わかった。だからちゃんとお母さんのご飯を食べてからだぞ」
いつもと変わらないやり取りを、すごく昔のことのように感じるのは何故なんだろう?
_____当たり前の景色を、簡単に壊したのは俺自身なんだよな
何度後悔しても、もう遅いのに。
お風呂では、はしゃぐ圭太につられて俺も遊び過ぎた。
「少しのぼせたかな?大丈夫か?圭太」
「ほら、髪を乾かしたらベッドに行くよ」
「はーい」
圭太を座らせ、バスタオルで濡れた髪を優しく拭く杏奈。
「おかーたん、うれしい?」
「え?どうして?」
「おかーたん、わらってるよ」
俺にも杏奈の顔が柔らかく見える。
「そうだね、うれしいね、お父さんと圭太がいるからね」
チラリと俺を見る杏奈に、俺は小さくうなづいた。
「ぼくもうれしい、おとーたん、いっしょにねようよ」
俺のパジャマの裾を引っ張る圭太が、可愛らしい。
_____なんであの時、圭太から目を離したんだろう?
滑り台から落ちるなんて、きっと痛かっただろうに。
胸の奥の方でぐっと苦いものが込み上げてくる。
_____きちんと責任をとらないといけない、圭太と杏奈には
心の中で強く誓う。
「わかったから。歯磨きしてからな。あ、杏奈、あとでちょっと……」
これからのことを、話し合っておかないといけない、俺なりの責任を果たすためには。
「うん、わかった。その前にお風呂に入ってくるから、圭太をお願いね」
杏奈は風呂に入り、俺は圭太を寝かしつけるべく絵本を手に、圭太の横に寝そべった。
選んだ絵本は桃太郎だった。
「おとーたん、なんでももたろうはオニをたいじしたかしってる?」
「ん、そりゃ、鬼が悪いやつだからだろ?」
「うん、オニはみんなのだいじなもの、ぜんぶとっちゃったからだよ」
圭太の返事が思ったより大人びていて、ハッとした。
_____大事なもの全部……か
俺ももう少しで、全部なくすところだったなと苦笑いだ。
「え、おとーたん、なあに?」
「あ、いや、あぶなくお父さんも鬼になるとこだったよ」
「おとーたんがオニ?そしたらぼくがおかーたんをまもる、えいって、おとーたんおに、やっつける」
おもむろに立ち上がって、俺の頭を手刀でやっつけるフリをして見せた圭太が、とても微笑ましかった。
「そうだな、圭太は強いからお母さんも安心だな」
「うん、つよいよ」
得意げな顔で何かしらのヒーローポーズをとっているらしい。
「ほら、そろそろ寝るぞ、風邪ひかないように毛布もかけて」
「おやすみなさーい」
「おやすみ」
それからしばらくは、寝付けないのか寝たふりをしてはパチっと目を開けていた。
危うく俺が寝付くところだった。