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支度のできた私がリビングへと戻ると、そこには既にひぃくんが待っていた。
ヒラヒラと手を振るひぃくんは、私に近付くと口を開いた。
「じゃあ行こっかー」
ニコニコと微笑むひぃくんは、私の手を取るとそう言って歩き始める。
(あれ……?)
「ひぃくん、玄関あっちだよ? 」
私の声に振り返ったひぃくんは、フニャッと笑うとそのままリビングを歩いて行く。
(……?)
玄関とは反対方向へと向かって歩いて行くひぃくん。訳のわからない私は、とりあえず黙って付いて行く。
ひぃくんに連れられて何故か庭へと出た私は、目の前の光景を見て絶句した。
(え……っ)
ジョボジョボと流れる水の音。
(こっ、これは……まさ……か……っ)
まさかとは思いながらも、ひぃくんへ向けてゆっくりと視線を動かす。
「ひぃくん……これは、一体何……?」
「え? プールだよー?」
ニッコリと笑って平然と答えるひぃくん。
(……え、嘘でしょ? 冗談キツイよひぃくん)
思わず顔を引きつらせた私は、小さく声を漏らして笑ってしまった。
庭に置かれた子供用のビニールプール。ホースからは水が流れ、ビニールプールへと注がれている。
(ああ、これまだあったんだ。昔お兄ちゃん達と一緒に遊んだなぁ……)
一瞬、そんな昔を思い出す。
「花音、早くおいでー」
ホースを持ったひぃくんが、ニコニコと微笑みながら手招きをする。
「ひぃくん……まさか、これに入れと?」
(冗談、だよね……?)
私は顔を引きつらせながらも、ひぃくんを見てぎこちなく笑う。
冗談だと言ってください。そんな願いを込めて。
「そうだよー? 花音の為のプールだからねー」
(何でだよ……っ!)
思わず心の中でツッコんでしまった……。
目の前には、幸せそうに微笑むひぃくん。私は立ち尽くしたままその場を動けないでいた。
そんな私を見兼ねたのか、ひぃくんは勝手に私の手を取るとそのままプールへと連れて行く。その瞬間、ハッと意識の戻った私は足にブレーキをかけると口を開いた。
「はっ、入らないよ!? こんなのプールじゃないし!」
青ざめた顔で必死に主張する。
「え? プールだよ? はい、バンザーイ」
笑顔でそう告げると、私の着ている服を脱がそうとするひぃくん。
「いやぁーー! やめてーー!」
いくら下に水着を着ているとはいえ、ひぃくんに脱がされるなんて恥ずかしい。それもそうだけど、なによりこんな子供用プールになんて絶対に入りたくない。
庭でジタバタと揉み合う私達。
「──何やってるんだよ」
突然の声に振り向くと、そこにはコンビニから帰ってきたのであろうお兄ちゃんの姿が。その手にはビニール袋を持っている。
ひぃくんに脱がされかけている私と、庭に置かれた子供用プールを交互に見たお兄ちゃん。瞬時に状況を理解したのか、一瞬でドン引いた顔を見せる。
「おっ、お兄ちゃん! ……助けてっ!」
ドン引いたままその場に立ち尽くしているお兄ちゃんに助けを求める。
「私、本当は海に行きたいのにっ!」
「海はダメだよ、花音。裸で人前に出ちゃダメ」
「裸じゃないもんっ! 海に行きたい!」
私達のやり取りを、黙って見つめているお兄ちゃん。
(黙ってないで何とか言ってよ! お願い、私を助けてっ!)
「だからプールならいいよって言ったでしょ?」
ニッコリと微笑むひぃくん。
私は青ざめた顔でひぃくんを見ると、これでもかってぐらいに大きく瞳を見開いた。
「……っこんなのプールじゃないからっ!」
(本気でこれがプールだと主張するの? ドン引きだよ、ひぃくん……)
「プールだよ。……ね?」
ひぃくんはそう言ってお兄ちゃんの方へと視線を向ける。
その視線にビクリと肩を揺らしたお兄ちゃんは、一瞬小さく目を泳がせると口を開いた。
「……花音。これは立派なプールだよ」
────!?
(嘘だっ! 今お兄ちゃんの目、泳いでたし! 何でひぃくんの味方するの……!?)
「お兄ちゃんの嘘つきーーっ!!!」
絶望に顔を歪めた私は、引きつった顔をするお兄ちゃんに向けて大声でそう叫んだのだった。
◆◆◆
「…………」
足を外に投げ出して水に浸かる私は、呆然としながら小さな子供用プールに座っていた。
小さな子供用プールでは、私の腰上までしか水がない。
(これで本当にプールと言えるのだろうか……?)
私はゆっくりと首を動かすと、開け放たれた窓からリビングを覗き見る。
すると、ソファで寛いでいたお兄ちゃんは、私と目を合わせると引きつったような顔を見せてから視線を逸らした。
(お兄ちゃん……何で目を逸らすの……? お兄ちゃんのせいで私、今こんな事になってるのに……。酷い)
呆然としたまま、黙ってお兄ちゃんの姿を見つめる。
お兄ちゃんがプールだなんて言うから、ニッコリと微笑んだひぃくんは「ほらね? プールだよー」と言って無理矢理私の服を脱がせた。
そしてそのまま、子供用プールに入れられてしまった私。
(何で……? 私はただ……海に行きたかっただけなのに……。何でこんな事になったの……?)
「楽しいねー、花音」
声のする方に視線を向けると、幸せそうに微笑むひぃくんが携帯のシャッターを押した。
「花音可愛いー」
そんなことを言いながら、嬉しそうに携帯を覗いているひぃくん。
(何なのこれ……。放心しすぎて言葉が出ない)
「肩まで水かけようねー」
そう言ったひぃくんは、アヒルの玩具を片手にホースで私に水をかけ始める。
「ひ……、ひぃくん?」
「んー? なぁにー?」
小さく震える声を出した私に、ニコニコと微笑みながら小首を傾げるひぃくん。
「私……っもう、出たいな……?」
引きつる顔で懸命に笑顔を作った私は、隣にいるひぃくんを見つめてそう伝えてみる。
とりあえず一度は入ったことだし、もう解放されたい。お兄ちゃんとひぃくんにしか見られていないとはいえ、もうこれ以上の屈辱には耐えられなかった。
ひぃくんだってもう満足したはず。そう思った。
「まだ入ったばかりだからダメだよ? 遠慮しないでもっと楽しんでねー」
ひぃくんはそう言うとニッコリと微笑んだ。
(遠慮なんてしてないし……。こんなの楽しめないよ……、ひぃくん。いつまで続くの、これ……)
そう思った私は、相変わらず助けてくれないお兄ちゃんへ向けて視線を移してみる。
すると、気まずそうな顔をしながら私達を眺めていたお兄ちゃんは、私の視線に気付くと目を泳がせながら視線を逸らした。
(酷い……。あんなにドン引いてたくせに)
「──あら、花音ちゃん楽しそうね」
────!?
突然聞こえてきた声に驚いて振り向くと、いつの間に来たのか玄関前にご近所の田中さんが立っている。
私達を見てクスクスと笑うと、そのまま庭へと入ってくる田中さん。その腕にはスイカを抱えている。
田中さんに気付いたお兄ちゃんが、リビングから出ると口を開いた。
「あ、こんにちは」
「こんにちは、翔くん。今朝ね、田舎からスイカが届いたの。良かったら皆で食べてね」
そう言った田中さんは、私とひぃくんに視線を移すと口を開いた。
「可愛いわねー」
そう言ってクスクスと笑い声を漏らす。
(っなんて事だ……。庭なら誰にも見られないと思ってたのに……)
田中さんのすぐ横に視線を移すと、小学三年生の陸くんが私を見ていた。
それはもう、とてもドン引いた顔で……。
「可愛いねー、花音」
ひぃくんはそう言うと、手に持ったアヒルの玩具のクチバシで私の頬を突いた。
(こんなに小さな子供にドン引かれる私って、一体……)
放心状態のままお兄ちゃんを見上げると、お兄ちゃんは憐むような目で私を見ている。
(ああ……お兄ちゃん。今日から私は、ご近所中の笑い者なんだね……? そんなに憐まないで。余計に辛いよ……)
未だ私の頬をツンツンとアヒルの玩具で突いているひぃくんは、私の隣で「楽しいねー」と嬉しそうな声を上げる。
(何で海に行きたいなんて言ってしまったんだろう……)
ツンツンと頬を突かれる私は、今朝の自分の言葉を後悔しながら、ただ呆然とお兄ちゃんを見つめ返した。