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       九

 

 ゲームはそのまま終わった。会心の勝利により、ヴァルサは首位キープに成功した。

 試合の後、神白はチームドクターに診てもらった。結果は一過性の脳震とうで、二日ほどは要観察というものだった。

 診断が終了し、神白は仲間の元に戻った。フベニールAのメンバーは、ゴドイの前に円形に集っている。

 神白はその端に加わった。すぐに、「イツキ! 頭は問題ないのか?」とゴドイが気づかわしげに問うてきた。

「軽い脳震とうです。大丈夫だと思いますが、しばらく様子を見ます」神白は落ち着いて答えた。

「イツキ! 今日は素晴らしかったじゃないか! 見違えたよ!」弾んだ声がして、ゴドイの背後から一人の男性が現れた。短く整えた髪は真っ白で、元気ではあるが老人という表現がしっくりくる風体だった。にこやかな笑みには心の底からの喜びが見て取れる。

「ロレンソさん。いらしてたんですね」神白はにこりと笑いかけて答えた。

 老人の名はオリバー・ロレンソ。現在、六十六歳で、ヴァルサのOBだった。ポジションはキーパーで、一九六〇年代のヴァルサの堅守を支えた伝説の選手だった。

「君の成長が本当に嬉しい。私は誰よりも、君に目を掛け、君の力となってきた。これからも弛むことなく精進を続けなさい」

 愛のあるロレンソの言葉に、「はい」と、神白は満ち足りた気持ちで答えた。

 ロレンソはしばしば、下部組織の練習に顔を出していた。神白もよく教えを受けていて、サッカーにおける悩みの相談にも乗ってもらっていた。ロレンソは、神白にとってかけがえのない恩師だった。

 ゴドイがゆっくりと歩み寄ってきた。パワフルな笑みとともに大きく両手を開くと、神白の背中に回した。

「今日はよくやってくれた! 目の覚めるようなビッグセーブに、後方からのスムーズな組み立て。得点に繋がった、二度の高速カウンターの口火を切りさえした! 君はユースケと並ぶ、今日の試合の殊勲者だ! 誇っていい! 皆、拍手!」

 ゴドイはハグをしたまま、勇壮な調子で神白を讃えた。

「ありがとうございます」神白は盛大な拍手を耳にしつつ、大きな充足感を得ていた。

 しばらくして拍手は止んだ。ゴドイは身体を離し、神白の両腕をがしりと両手で掴んだ。

「だが無理はするなよ。君の行く末は明るいんだ。下部組織で、選手寿命をすり減らすような愚行は避けなくてはいけない。自分の限界を押し広げるのは大事だが、良く戦うには休息も必要だ」

 ゴドイは慈愛に満ちた視線で、神白を見据えた。「はい」と、神白は光栄な思いを抱きつつ答えた。

 

       十

 

 その後、ミーティングは五分ほど続き、最後にゴドイから解散の声がかけられた。一同は動き始め、神白も帰途につこうとした。すると、左手に柔らかい感触が生じた。

 神白は振り返った。目の前にエレナが立っていた。神白の手を両手で包み込んでいる。

「やったね! 監督たちにお褒めに預かれた! 今日だけで十歩も二十歩も前進したね!」

 エレナの口振りは弾んでいた。茶色の大きな瞳は、眩しいものを見るかのようにきらきらとしている。

「ありがとう。エレナのおかげだよ。あの謎のクラシコを体験して、プレーの幅が広がったっていうか。選手として一段階、成長できた感じがするよ」

 エレナを直視しつつ、神白はゆったりと告げた。嘘偽りのない、率直な気持ちだった。

 神白の言葉を受けて、エレナは満足げに笑った。

「監督も仰ったけど、神白君のサッカー人生はまだまだ始まったばっかりだよ! 倦まず弛まず、私と一緒に進んでいこう! 最終地点はキーパーで二人目のバロンドールだ!」

 力と愛に満ちたエレナの言葉が、じんわりと神白の胸に広がっていった。

「むむっ! 『私と一緒に進もう』っすか! そんなプロポーズまがいの言葉! オレとしては聞き捨てならんにも程があるっすね! やっぱりデキてるんじゃないっすかお二人さん!」

 無邪気な声が割り込んできた。神白は声の主に目をやった。天馬だった。きりっとした表情で神白とエレナを交互に見やっている。

「ちょっと天馬くん? 勘違いしてもらっちゃあ困るわよ。私と神白くんはそんな間柄じゃあないんだから」

 焦った面持ちのエレナは、あたふたと天馬に返事をしていた。「ムキになって否定するあたりがいっそう怪しいっす!」と、天馬は頑なな口調で言い返していた。

 神白は改めてエレナに視線を向けた。端正な横顔を注視しつつ、神白はこれまでのエレナとやりとりを想起する。すると不思議なことにエレナの美貌はいっそう際立ち、神白にとって唯一無二のものに感じられるのだった。

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