夜、のぞみは、一旦、家に帰ったあとで、迎えに来てくれた京平とレストランに食事に来ていた。
「此処は、樫山が教えてくれたんだ」
と京平は言う。
京平と出会わなかったら、一生来なかったかもな、と思う類いのレストランだ。
「いや~、こういうお店は緊張しますけどね~」
と薄暗い店内を見回し、言うのぞみに、
「客が緊張する必要はないだろ。
店の人はくつろいで楽しんで欲しいと思ってるんだし」
まあ、そうなんですけどね、と思っていると、
「お前は別に何処に連れていっても問題ないよ。
お母さんがきちんと育ててくださったからだろうな。
家が良くても、マナーのなってない奴も居るしな。
どんな店でも、人様を不快にしない程度の行動ができて、美味しく食事をいただけるのなら、別に細かいことはいいんだよ」
そう京平は言ってきた。
そ、そういっていただけると、ありがたいんですが、と思いながらも、
「でも、あんまり高いお店に行かれるときは、先に行ってくださいね。
カジュアル過ぎたり、スーツでも安い店のだったりすると、入るとき、ドキドキするんで」
とのぞみが言うと、
「今日の服はいいじゃないか。
可愛いぞ」
と京平は言ってくる。
「ありがとうございます。
これはお気に入りの服なんです。
でも、そういえば、下着は大型量販店のだったな、とか思ったり」
「……レストランの人は服めくって見ないからな」
いや、それはわかっているのだが、緊張のあまり、いろいろ考えてしまうのだ。
っていうか、専務の前で、うっかり、下着とか言ってしまった、と赤くなりながら、のぞみは言った。
「スーツでも、チラリと見えるだけのシャツこそいいものを着ろというではないですか」
「下着はチラリとも見えないだろうが……」
まあ、と京平は笑い、
「俺はそのうち見るかもしれないけどな」
と言う。
いや、見せませんよ。
っていうか、なんでこんな話に。
ああ。
専務が、仕事帰りにこんなゴージャスな店に連れてくるからですよっ、と動転しながら、
「今度、樫山さんに、専務にいい店だと言って、その辺の小洒落た居酒屋を教えてくれるよう言っときます」
と言って、
「いや……直接、俺に言え」
と言われてしまったが。
「でも、樫山さんとは、すっかり仲良しさんですね。
じゃあ、私との結婚もする必要な……」
「なにを呑もうかな」
と遮る京平に、たまには聞いてください、私の話、とのぞみは思う。
そのとき、ふいに京平が言ってきた。
「泊まらなきゃいいんじゃないかな」
「え」
「確かに、一泊旅行はお父さんたちの反感を買いそうだ。
でも、二人では出かけたい。
泊まらず、帰ってくればいいんじゃないか?
あと」
とのぞみの手を握ってくる。
「これから、うちに来ても、泊まらなきゃいいんじゃないか?」
テーブルの上のランプが京平の整った顔を映し出していて、やっぱり綺麗な顔をしているな、とのぞみは、ぼんやり思った。
先生が転勤してきたとき、みんな、大騒ぎだったもんな、と思いながら、
「……私、やっぱり、専務に騙されてる気がします」
とのぞみは言う。
「そうだな。
俺もだ。
なんでお前ごときがこんなに好きなのか。
自分で自分に騙されてる気がするよ」
と手を握ったまま京平は言ってくる。
「そもそも恋なんて、子孫を残そうとする遺伝子に操られてるだけの幻なのにな」
すみません。
やっぱり手を放してください、と京平の大きな手から逃れようと、その手の中でいろいろ手を動かしてみているのだが。
お前ごときと言うわりに、手が離れない。
「いいんじゃないか?
俺もお前も一生上手く騙されとけば」
と京平は笑う。
でも、きっとそれが難しいことなんですよね、とのぞみは思っていた。
「そういえば、お前、あのあと、御堂とはなにもないだろうな」
「あるわけないじゃないですか。
ケロッとしたもんですよ、御堂さん」
まあ、謝罪したいと言ったときから、まったく殊勝な感じはなかったが、と思うのぞみに京平が言ってきた。
「まあ、お前とのキスなんて、御堂の中では物の数にも入ってないだろうからな」
貴方の中の私の評価はどのような感じなんですかね?
貴方の許に嫁に行くかもしれない身としては、かなり気になりますが、と思っていると、
「俺が心配してるのは、御堂じゃなくて、お前だ」
と言われた。
「あんな仕事もできるいい男にキスとかされてみろ。
俺なら、間違いなくフラフラ行く自信があるぞ」
と断言される。
いや……だから一体、貴方はなんなんですか……、と思いながら、食事を終えた。
「なんだ。
うちに寄らず帰るのか」
車の中で、京平が言ってきた。
「心配しなくとも、襲わないぞ。
……と建前上は言っておこう。
まあ、その後、どうなるかは俺にもわからんがな」
「その後どうなるかが怖いので、帰ります……」
とのぞみが言うと、
「下着が量販店のだからか」
と言ってくる。
「違いますーっ」
だんだん、量販店が中華飯店に聞こえてきましたよ。
その後、何故、のぞみが、中学時代、猫にひかれた女と呼ばれていたのかという、くだらぬ話をしているうちに、家の前に着いた。
「おやすみ」
と言う京平に、
「おやすみさな……」
と言いながら降りようとしたら、肩をつかまれ、助手席に引き戻された。
抱きかかえられるような体勢でのぞみが座り込むと、そのまま、顎をつかまれ、キスされる。
のぞみを抱いたまま、耳許で京平が言ってきた。
「スムーズにキスするとようになったと思ってるだろ」
そ、そうですね。
「そうでもないんだよ。
今でも緊張してる。
だから、いきなり、キスしなくなっても、お前が嫌いになったとかじゃないからな。
きっと、逆に俺の中で盛り上がってるんだ。
誤解されないよう、言っとくぞ」
じゃあ、そこ、テストに出るから、線引いて、というのと変わらない感じに京平は言ってくる。
「……おやすみ」
ともう一度囁いて、京平が名残り惜しそうにキスしかけたとき、いきなり玄関のドアが開いた。
信雄が出て来たので、京平はのぞみを突き飛ばす勢いて、自分から離す。
「あ、お父さん」
と爽やかな笑顔を作り、車から降りて挨拶していた。
のぞみは突き飛ばされた体勢のまま、
……貴方、私よりお父さんの方が大事じゃないですか?
教員のときのくせが抜けないのだろうかな、と思っていた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!