コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
薄い朝光が倉庫の高い窓から差し込み、埃が光の筋の中で漂っている。昨夜の戦闘の痕跡が床にまだ残り、金属の焦げた匂いと乾いたインクの匂いが混ざり合っていた。テーブルの上には簡素な朝食が並び、パンとスープ、缶詰、どれも味気ないがエネルギー補給としては十分だった。アマリリスは無言でスープを口に含み、視線を端末に落とす。ディスプレイには前夜の戦闘記録とエネルギー波形の分析結果が映し出されている。ふとエルクスはスプーンを静かに皿に置き、低く言った。
「アークは確実に沈めた。生命反応も完全に途切れた。」
その声にアマリリスが端末を操作しながら応じる。
「ああ、間違いない。だが問題はバレルだ。あいつの反応を確認しそびれた事だ。」
画面上のグラフに、微かに揺れる線が映る。神秘の反応値としてはあまりにも薄い。ミアがスプーンを握りしめたまま首を傾げる。
「逃げたってこと? アークの時、確か一緒にいたよね。」
キヨミが淡々と返す。
「アークを優先したからだ。あの状況で両方を追うのは無理だった。バレルはあの混乱の中で撤退したんだろう。」
アマリリスは黙ったまま端末の波形を拡大し、微弱なピークの位置を指でなぞる。
「……確かに、生体反応は一瞬だけあった。回収できなかったというより、途中でアークが遮断したから反応を取れなかった。」
エルクスが眉を寄せる。
「つまり、生きてる可能性も十分にある。」
倉庫の空気が一瞬だけ重くなる。昨夜の勝利が不完全なものであったことを、誰もが感じ取っていた。ミアが息を呑む。
「また出てくるかな、あのチーター……。」
アマリリスはわずかに目を伏せて言う。
「可能性は高い。黒幕がいるなら、利用する価値がある駒を放置するとは思えない。」
その言葉に誰も返さない。キヨミが立ち上がり、装備棚から資料を引き出す。壁際のホログラム投影に複数のデータが浮かび上がり、アークとバレル、並行のチーターの神秘濃度の比較表が現れる。青いラインが比較の為の並行のチーター、赤がアーク、灰色がバレル。エルクスが腕を組みながら言う。
「どう見ても神秘の量が多いほど強いってわけじゃない。バレルより神秘が薄かったアークの方が、攻撃性は高かった。何か別の法則がある。」
アマリリスが短く相槌を打つ。
「もしかすると、神秘が少ないほど抑制が効かないのかもしれない。つまり、神秘は能力を安定させる一方で制御を制限している。ならば神秘の少ない個体ほど、暴走的な力を出せるという仮説が成り立つ。」
ミアが驚いたように目を見開く。
「じゃあ、神秘が少ないってことは……強いってこと?」
エルクスが頷きながら苦い表情を浮かべる。
「もしそうなら、俺達は思っていたよりずっと危険な領域に踏み込んでいる。アークは制御された“実験体”のような存在だったのかもしれないが、今後は違う。」
キヨミが指でホログラムを操作し、戦闘データを重ねる。
「戦闘時間、反応速度、回復速度。すべて神秘の濃度の低い個体の方が不安定だけど強力。……この傾向、誰かが意図的に作ってる。」
アマリリスの目が細くなる。
「つまり、黒幕がチーターを操作しているだけじゃなく、神秘の量を調整している。力の抑制を解いた状態を作り出している可能性がある。」
沈黙が落ちる。ミアは手元のマグカップを見つめ、ぽつりとつぶやく。
「……そんなの、もはや生き物じゃないよ。」
その言葉を聞きながら、アマリリスは心の中で思考を組み直す。もし神秘の少ない個体が強化されているなら、それは“制御の喪失”と“力の解放”が表裏一体であることを意味する。黒幕はおそらくそれを理解した上で利用している。つまり、次に現れる敵はこれまでよりも圧倒的に危険だ。エルクスが端末を閉じて椅子の背に身を預ける。
「……情報が足りないな。黒幕がどこでどうやって神秘を操作してるのか。あと何体いるのか。何もわかっちゃいない。」
アマリリスは視線を床に落とし、わずかに息を吐く。
「だが、少なくとも次に現れる個体を捕らえれば、確証は得られるはずだ。データだけじゃなく実物が必要だ。」
キヨミが頷き、端末を再起動させる。
「じゃあ、次の標的を絞ろう。神秘の濃度の異常値を持つ個体の記録を洗い出す。」
エルクスが淡々と補足する。
「監視区域のログには、昨日の夜中に一度だけ特異な波形が記録されている。街の南側、フランの店の近くの路地裏だ。」
アマリリスが顔を上げる。その目は迷いを捨て、既に戦闘の先を見ていた。
「……動こう。原因を突き止める。バレルの生死を確認し、同時に新たなチーターの痕跡があるか調べる。」
ミアは緊張した声で問い返す。
「また戦うの?」
アマリリスは短く答える。
「必要なら。」
彼の声には冷静な決意があった。倉庫に再び武器の金属音が響き始め、装備を整える音が次々に重なる。彼らは互いに言葉を交わすことなく、すでにそれぞれの役割を理解していた。誰もが心のどこかで次の戦いを予感している。それがどんな形で訪れようと、避けることはできないのだと。
街の外れ、まだ朝の光が低い角度から建物の壁を撫でている。薄曇りの空は白く沈み、空気は湿り気を帯びていた。四匹の影が静かに路地裏を進む。アマリリスが先頭、続くのはエルクス、ミア、そしてキヨミ。靴底が濡れたアスファルトを踏むたび、細かい砂がきしむ音だけが響く。彼らの足取りは慎重で、しかし迷いはなかった。反撃のチーターの死体があるという地面には焦げたような跡が残っている。
アマリリスはその中心に立つ。目の前に広がるのは、かつて個体であった残骸。腕は逆方向に折れ、背中は壁に叩きつけられたままの姿勢で固まっている。皮膚は焦げているが、焼け方は不自然だ。炎ではない、神秘の過剰反応による蒸発に近い。鼻を刺すのは血の匂いよりも、鉄と電気が混じったような金属臭。アマリリスの眉が僅かに寄る。
「……ひどい。」
ミアが思わず呟いた声は、風にかき消されるほど小さい。
エルクスが死体のそばにしゃがみ込み、手袋越しに地面をなぞる。焦げの縁を指でなぞりながら低く言った。
「反撃系の能力者だったらしいな。外部からの攻撃をエネルギーに変換して放出する……その痕跡がある。」
「でも、暴発の形跡もあるわ。」
キヨミが指差した。壁の一部が内側から爆ぜたように砕けている。
「コントロールを失って自壊した。誰かに殺されたというより……自分の能力に対応できなかった?」
アマリリスは無言のまま、死体の目を見た。瞳は乾き、開いたまま天を向いている。その奥には何も宿っていない。ただ、かすかに焼け残った虹彩が、微かな神秘の痕を放っていた。アマリリスはナイフの柄を軽く叩くようにしながら、ポーチから神秘回収用の小型装置を取り出す。
装置を起動させると、淡い光が死体の周囲に浮かび、残留神秘を吸い上げていく。光は淡緑色で、風に揺れる煙のように散っていった。やがて装置が小さく震え、内部のカプセルが満たされる。
エルクスが覗き込む。
「……普通の量だな。黒幕が関わってたら、もっと少ないはずだ。」
アマリリスは無表情のまま頷いた。光が収まると同時に、死体の輪郭が崩れ始める。チーター特有の分解現象。神秘の残滓が空気に溶け、形を保てなくなった瞬間、かすかな風が通り抜けて粉を散らした。
ミアが口元を押さえる。
「本当に……死んでるのね。」
「当然だ。」
エルクスが立ち上がり、目を細める。
「この反応だと、外部の干渉はなさそうだ。黒幕の指示じゃなく、単独で暴走したと見るべきだな。」
「……でも。」
キヨミが不安そうにアマリリスを見た。
「単独でこんなに暴走するなんて、おかしくない?それに、チーター同士の争いが頻発してる。偶然って言うには多すぎるよ。」
アマリリスは少しだけ視線を落とした。死体が完全に塵になった地面を見つめ、指先でその跡をなぞる。
「……確かに、偶然ではないかもしれない。」
声は低く、湿った空気に溶けていく。
「でも、黒幕がここに関わっていないなら……別の要因がある。神秘そのものの異常か、それとも……」
言葉を切り、アマリリスは後ろを振り向いた。遠くの通りには、人の気配がわずかに見える。朝の通勤者たちが少しずつ増えてきていた。
「そろそろ片付けよう。」
エルクスが頷き、装置を収納する。ミアは写真を撮り、キヨミが封鎖線を戻す。作業は機械的だが、どの顔にも疲労が浮かんでいた。
現場を離れる途中、エルクスが言った。
「なあ、アマリリス。フランの店も直接尋ねた方がいいんじゃないか?よく尋ねる奴が近くを通ったかもしれない。」
アマリリスはすぐに首を横に振った。
「今はやめておく。複数で動くと逆に怪しまれる。」
エルクスは肩をすくめる。
「慎重だな。」
「慎重でいいのよ。」
ミアが柔らかく笑う。
「アマリリスの勘はよく当たるんだから。」
アマリリスは反応せず、ポケットから通信端末を取り出す。画面に指を滑らせ、連絡先のひとつを選んだ。アスデムの名。呼び出し音が数回鳴いたあと、少し掠れた声が返ってきた。
「アマリリス?どうした?」
「今からフランの店に行く。合流しよう。」
短い沈黙。街の雑踏が遠くで響く。やがて彼の声が落ち着いた調子で返る。
「了解。もう外に出てたけど、すぐ戻る。」
通信を切ると、アマリリスは軽く息を吐いた。風が髪を揺らし、朝の光がほんの少し強くなる。路地の奥に消えていくチーターの灰が、光を反射して一瞬だけ煌めいた。その瞬間、アマリリスの目が細くなる。灰の舞い上がり方が、自然のものではなかった。まるで、見られているような気配。
「……まだ終わっていからな。」
誰に向けるでもなく呟いたその声は、風に溶けて消えた。
扉が静かに閉じる音とともに、鈴の余韻が短く店内に残った。角の席に腰を下ろしたアマリリスの肩越しに、外の通りの光が薄く差し込む。窓ガラスに映るイカタコの影がゆっくり流れ、表の世界のざわめきがガラスを震わせるたびに、店内の空気も微かに震えた。
アスデムが息を切らせながら入ってきた瞬間、彼の呼吸の音が周囲の静寂を切り裂くように聞こえた。彼の髪は少し湿り、額には朝の焦りがにじんでいる。息を整えながらも、彼の目はまずアマリリスの顔を探した。
見つけると表情が一瞬崩れ、安堵が指先から胸にかけて広がるのが見て取れた。アスデムは腰を落とすときに椅子の脚が床を擦る小さな音に気を使い、手の平でテーブルの縁を確かめるように軽く触れた。その指先が触れた木の温度、微かなざらつき、手のひらに伝わる古い艶の感触までが、彼の落ち着きを取り戻す一助となった。
アマリリスは目を細めたが表情は変わらない。だが、その無表情の奥で脈打つものをアスデムは以前から知っている。彼はテーブルの上のカップにすっと触れ、残り香のする蒸気が指先に暖かさを残していくのを感じた。二人の間に一瞬の沈黙が流れる。沈黙は重たくもあり、同時に言葉を選ぶための空白でもあった。アスデムが先に口を開いた。
「お前、ずっと見かけなかったから心配してたんだ。噂が出てから、ずっと。」
言葉は平易だが、その裏に込められた苛立ちと安堵が混じる。アマリリスは指先でカップの縁をなぞり、コーヒーの黒い表面が揺れるのを見つめた。
「知ってる。だが、放っておけないことがあった。」
彼の声は低く、慎重に選ばれた単語だけが並ぶ。アスデムはその短さに一瞬戸惑い、拳を軽く握り直してから続ける。
「放っておけないことって、何だ? 危ないことに首突っ込んでないか? 街も混乱してるし、訊かないと気が済まないんだ。」
彼の言葉には友人としての心配がにじむ。アマリリスは目を上げ、彼の顔をまっすぐに見た。その瞳は冷たくも、どこか疲れていた。
「考えたらすぐわかる事だ。」
言葉に感情を乗せないことで、逆に重みが増す。アスデムは一度息を吸い、指先でカップを回して冷めたコーヒーの輪郭を眺める。アスデムは何かを察した。
「……それで、戻ってきたってわけか。だが、戻らないでほしいんだ。お前がいないあいだ、街がどれだけ変わってるか分かるだろ。誰が信じられるかも分からない。そんなところで一人でやるなって言ってるんだ。」
言葉の端に、昨夜の停電や路地の発砲音、ニュースのスクリーンで見た焦げ跡の映像がうっすらと透ける。アマリリスはのどを鳴らしてからゆっくりと首を振る。
「仕方がない。誰かがやるべきだから、やる。お前が怒るのは分かってる。」
その口調には揺るぎない決意がある。アスデムの顎が一瞬強く引き締まり、視線が揺れた。
「怒ってるんじゃない。怖いんだ。お前が傷つくのが見たくないだけだ。何を背負ってるかは流石に全部は分からないけど、だからこそ、お前が無事でいてほしい。」
彼の声に混じる震えは、年齢や格好つけた強さでは隠せない。アマリリスはその言葉に答えず、代わりに細かく息を吐いて席の下にある靴底を固めるように踏みしめた。足先に伝わる床材の冷たさと、掌に残るカップの温もりが、彼の中で微妙な均衡を保っている。店の奥でフランがカウンターを拭く音がかすかに聞こえ、喫煙の匂いが遠い記憶を呼び起こす。アスデムは目を細め、じっとアマリリスを見つめる。
「お前、何か隠してるだろ。何があったか、全部は言うなって言うのはお前らしいけど、俺にだけは頼ってくれ。訊けば動く、守るって約束しただろ。」
その言葉にアマリリスの肩がわずかに動いた。約束の重みが二人の間に一瞬立ち上る。アマリリスはゆっくりと息を飲み、窓の外に目を向ける。通りの向こう側、古い広告塔の影が風に揺れ、街灯の陰影が交錯していた。
「約束は守る。だが、俺にはやるべきことがある。それで誰かが救われるなら、俺はそこに残る。」
声に含まれた冷静さの底に、わずかな疲労と決意が沈む。アスデムは拳を開き、掌の中で何も持たずにそれを見つめた。
「そう言われても、納得はできない。だが、俺はお前の側にいるって言う。」
簡潔で真っ直ぐな言葉に、アマリリスは一瞬だけ視線を戻し、そしてその目にわずかな温かさが差した。二人の間に流れる空気は、一方が押し付け、他方が受け止めるという不均衡を保ちながらも、確かな関係の輪郭を描いていた。アスデムが身を乗り出し、小声で言う。
「お前は…それぐらい刺激があった方が[[rb:人 > イカ]]生面白いのかもな。」
アマリリスは表情を変えずに言う。
「そうかもな。」
アスデムは少しホッとしたように息をついた。
それからまた静寂が訪れた。
数十分経った後、アスデムは席を立ちアマリリスに小声で話した。
「道中は気をつけろよ。こっちも何かあったら連絡する。」
彼の声に入る実務的な安心感が、その場のふわりとした心配を少しだけ溶かす。アマリリスは端末をしまい、カップを一口飲む。苦味が喉を通るたびに、彼の表情に一瞬の揺らぎが生じる。
合図のように、店の外でわずかな汽笛よような音が遠くで響いた。その音に反応して二人は同時に視線を上げる。窓の外、空気が少しざわつき、遠くの方から黒煙が線を引くように昇っているのが見えた。アスデムの顔に緊張が戻り、彼は走って店を出て行った。
アマリリスは真っ直ぐに前を見据えて
「分かってるさ、それぐらい。俺が1番と言う程。」
とだけ応えた。その短いやり取りの中に、もはや言葉以上の信頼と恐れが共存していた。二人は人々の流れに合わせて歩き出す。その足取りは重くもなく、軽薄でもない。だが通りの向こうで、何かが巻き起ころうとしている匂いが確かに立ち込めていた。