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Xデイが七月七日だといっても、守さんがそれまで何もしてなかったわけではなかった。兄が大夢の長女の雫を籠絡して手懐けたように、守さんも宮田工務店の幹部の一人を買収し、スパイとして利用していた。長年勤務時間中の不倫行為を続けた宮田大夢のような男が専務取締役として重用されるくらいだから、社内の反体制派の不満も高まっていた。ヘッドハンティング攻勢をかけるだけでも宮田工務店は内部崩壊するかもしれないと守さんは笑っていた。実際、勝負はすでにXデイの時点で決していたと言っても過言ではなかった。
七月七日、宮田工務店と協力関係にあった同業他社四社が、宮田工務店を元締めとして五社が常習的に談合していたと当局に共同して通報した。談合したくなかったが宮田工務店に逆らえなかったと四社の責任者は責任を認め頭を下げた。宮田工務店は寝耳に水だった。確かに談合はあったが、五社対等の談合であり宮田工務店が主導したものではない。談合発覚後そう主張したが、談合の元締めというレッテルを払拭するのは容易ではなかった。
この事件は宮田工務店が同業他社から唐突に村八分にされたことも意味していた。同業他社の地盤は侵食しないという紳士協定も宮田工務店には適用されなくなり、宮田工務店の地盤は同業他社の草刈り場と化した。
それからまもなく自分たちから離れていったのは同業他社だけでなく、多くの取引先や下請け業者や顧客も離れていったことを知り、宮田工務店の上層部は呆然となった。離れていく者を手分けして繋ぎとめようと必死になるあまり、何が起きているかその全体像の把握が遅れた。
売上の急減は危機的なレベルだった。金融機関からの借り入れにより当座の運転資金を確保したが、第二波の衝撃が八月早々に襲いかかってきた。
匿名者の内部告発により過去数年に渡る決算の過少申告が発覚。もちろんそれは守さんに買収された宮田工務店幹部の国税へのリークによるもの。国税は巨額の重加算税を賦課。宮田工務店はさらなる金策に追われた。
翌九月、国内最大手の昭和建設は宮田工務店を施工業者としたすべての工事の事後点検を実施した結果、数千箇所に及ぶ施工不良が発見されたと発表した。ネジ一本の緩みも見方によっては施工不良。今回の昭和建設の検査はそれに近いレベルの厳格なものだったが、宮田工務店はその数千箇所について早急に無償で修繕工事せよと申し渡された。
昭和建設社長の会見をテレビのニュースを見て、宮田大夢の妻の樹理だけが宮田家の破滅が時間の問題であることに気づいた。何度も会ったはずの一郎は気づかなかったようだが、樹理は一度会っただけの昭和建設社長の顔を覚えていた。あの社長と会った場所と会った理由が問題だった。大夢の不倫相手の自宅での大夢による窃盗事件の示談交渉の場。昭和建設社長が不倫と托卵の被害者である佐野清二の関係者であることは間違いない。加害者の大夢だけでなく、宮田家そのものが復讐の標的にされていて、その復讐が宮田工務店をすべての面で圧倒する昭和建設という超巨大企業によってなされると決まった以上、宮田家側に勝利の可能性は皆無だった。
しかも昭和建設社長の会見は絶妙なタイミングを狙って行われた。もちろんそれは宮田工務店内部に昭和建設への内通者がいるから可能だったことだ。宮田一郎からの要請で、大夢は自宅を担保に五千万円、それとは別に妻の樹理の実家の父親を連帯保証人として五千万円、計一億円を金融機関から調達し、宮田工務店の運転資金として投入したばかりだった。当然、父の一郎の方でも借りられるだけ借りまくっていた。余力がまったくなくなった状態での今回の昭和建設の会見は、満身創痍の宮田工務店にとっては文字通り致命傷となりかねない破壊力を持っていた。
会見翌日、宮田工務店社長の宮田一郎は幹部数人を引き連れて上京し、昭和建設本社を訪ね、応接室で社長と面会した。面会直後、昭和建設社長が社長同士でサシで話したいと提案し、一郎は了承した。応接室の隣の社長室に場所を移し、両者の社長、それと昭和建設社長の指名で宮田工務店専務の宮田大夢を加えたたった三人での会談が開始された。
「天下の昭和建設たるものが、どうして弊社のような地方の一土建屋をいじめるのか? われわれがあなた方にいったい何をしたというのか?」
会談冒頭、一郎は昭和建設側の一方的な措置と報道発表に怒りを表明、一連の措置の説明を求め、以下のような回答を得た。
「先に断っておきますが、私はビジネスの場に私情を持ち込んでいるわけではありません。ただ、コンプライアンスに致命的な欠陥を抱えた会社との取引には慎重にならざるを得ないし、弊社は業界健全化の一環としてそのような企業には消えていただかなくてはならないと業界最大手の責任として申し上げたいと考えます」
「コンプライアンスに致命的な欠陥を抱えた会社という指摘は侮辱に当たります。さらなる説明を求めたい」
「宮田社長、説明がほしいのはこちらですよ。隣にいる男が二十年近く週に何度も不倫相手の自宅に通い勤務時間中の不貞行為を続けてきたのは貴社の労務管理の重大な不手際だと認めていましたよね。その男がまだ貴社の専務として私の目の前に座っている。厳しい処分をすると言っていたのは嘘だったわけですね?」
一郎は今までの怒りをそがれて、呆然となった。隣に座る男も目を丸くしている。
「佐野社長、なぜそれを……?」
「なぜって、私はそれを誰かに聞いたわけじゃない。宮田社長が貴社の労務管理の不手際を認めて、五千万円の迷惑料を払うと申し出た場に私もいたのだが、覚えてないのか?」
「佐野社長があの場に!? 息子の不始末の被害者である佐野清二氏が昭和建設の社員だというのは聞いていましたが、その方がそれほどまでに社長お気に入りの部下だったとは露知らず……」
「社長と社員だから部下といえば部下だが、清二とは職務上の接点はあまりなかった。あの場には清二の兄としていさせてもらっただけです」
「兄!?」
ようやくすべてを理解した宮田一郎と大夢がその場に這いつくばって土下座。守さんが応接室側とは違うドアに向かって呼びかけると、ドアが開いて弟の清二が現れた。その姿を見てさらに平伏する宮田父子。
「宮田大夢さん、はじめまして。あなたは自分の不倫の後始末の示談交渉も、結局お父上と弁護士に丸投げでしたよね。あれだけいろいろあって、あなたと直接会うのが今日が初めてだというのはとても不思議な気がしますよ」
「申し訳ありません」
大夢は顔を床に押しつけたまま謝罪した。
「目を見て話したい。顔を上げてください」
言われた通りにすると、清二の両隣にブレザーを着た男の子とセーラー服を着た女の子がいて、二人とも土下座する大夢たちの様子をスマホで撮影している。
「?」
「誰だか分かりませんか。あなたが僕の元妻と不倫して産ませた架と夢叶ですよ。夢叶については名前を考えたのもあなたなんだそうですね。ただし遺伝上の繋がりの有無に関係なく、二人の父親はあなたではなく私です。誤解なきようお願いします」
「承知しました……」
「架と夢叶の親権は僕にあり、あなたの認知も望まない。ただ、二人ともあなたの想定外で生まれたわけではなく、あなたは自分の子どもを僕の元妻にも産ませようという強い意志を持って彼女と行為を繰り返し、当然の結果としてあなたの血を引いたこの子たちが誕生した。あなたをこの子たちの父親だと認めるものではないが、不倫の件の示談書に〈・宮田家(大夢を含む)は架や夢叶と両者合意のもと自由に面会することができる〉という項目を入れたのは、それくらいはする責任があなたにはあると考えたからだ。それなのに、示談してからもう三ヶ月になるのに、あなたは一度も二人と面会しようとしない。無責任極まりない態度だと見なさざるを得ないが、いったいあなたはどう考えてるんですか?」
「僕が二人に会いたくても、二人は僕に会いたくないかと……」
「会いたくないと思われるような行為をあなたがした、ということですよ。自分たちが母親の不倫によって生まれた子どもだと知ったこの子たちの悲しみが理解できないのですか。あなたにはこの子たちの悲しみと向き合い、傷を癒やす義務があると思いますよ」
大夢は後日必ず架と夢叶と面会すると約束した。
一郎と大夢は相変わらず土下座したまま。仕事のできない部下に言い聞かせるように、守さんが懇切丁寧に説明する。
「同じ兄弟なのに兄が社長になり弟は取締役でもない。これは能力のあるなしでそうなったわけじゃない。自分らの父親である先代社長が二人とも取締役になれば派閥争いが生じたり混乱のもとになるからと清二に会社での出世をあきらめさせた。私が贔屓しなくても優秀な弟は自力で支店長の地位まで上ってきた。まったく自慢の弟だよ」
守さんは椅子から立ち上がり、土下座する二人の前に立つ父子三人の隣に並んだ。
「十年来の愛人だった大石夏海に自分の子どもを産ませるために夏海に清二と結婚させ、二人の托卵児を長きに渡り清二に養育させた。清二と夏海の婚姻期間の終わりまで不倫関係を継続。清二が建てた家に清二の留守中、週に何度も入り浸り乱れた行為に耽り家を汚した。一方で夏海には夫に自分の体を見せることも触らせることも禁じ、夫との性行為は子作り期間の月に一度しか許さず、しかもその日は排卵日だと嘘をつき実際は妊娠しづらい日に限られていた。自分が夏海に性的満足感を与えているから清二の結婚生活がうまくいくのだと嘯き、清二の性器が自分のものより貧弱だと常に夏海と嘲笑、清二には金を稼ぐ機械としての役割さえ果たしてくれればいいと陰で愚弄し続けた。勤務時間中の不貞行為を長年続けた傍若無人な宮田大夢、及び彼の指導監督を怠り、一人息子かわいさからいまだに彼に何の処分も下していない無能な社長の宮田一郎。貴様らの罪は万死に値する。貴様らが先日個人でも借り入れして会社の運転資金として三億円投入したことは分かっている。それ以上の借り入れの当てがないことも調べがついている。貴様らの会社への攻撃を一度にやらず小出しにしたのは会社再生への希望を捨てさせないためだった。希望がある限り、目一杯までもがいてくれると思ったからだ。今回の三億円の無謀な借り入れみたいにな。どうあがいたところで、貴様らの会社は年末までもたないだろう。会社が解散しても、貴様ら個人の三億円の負債は残る。真面目で人を疑うことを知らず誰よりも純粋な心を持つ、そんな弟の人のよさにつけ込み、愛する妻を奪い子どもたちを盗み家を汚し、挙げ句さんざん侮辱して刃物でえぐるように心を傷つけた報いを、これからじっくりと味わうがいい」
「報いってそれが慰謝料なんじゃないですか? 慰謝料を払ったから僕の罪は許されたはずです!」
「慰謝料? 清二は受け取ったようだが、私は一円も受け取ってないからそれに縛られる義務はあるまいよ」
守さんは心から軽蔑しきった視線を土下座したままの二人に投げかける。
「それから今さら宮田大夢の処分などする必要はない。もうすべてが手遅れだからね」