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『すれ違い〜アジサイ〜』
「杜若様。いくら執務室だからと言って、上半身裸になっているのは如何なものでしょうか」
石蕗さんの教師めいた声が、生徒をやんわりと注意するように執務室に響いた。
「宿舎で風呂を借りて、丁度ここで着替えていたところです。家に戻って着替える時間が惜しいので、見逃してください」
この二週間、俺が多忙を極めているのを知っているだろう。それでも石蕗さんには言わねばならぬ、立場もあるというところ。
石蕗さんらしいと思いながら、机の上に置いてあったシャツをばさりと羽織る。
本来だったら身なりを整えてから対応するが、今はそれすら時間が惜しいのだ。
土蜘蛛への対応策が思った以上に拗れ、連日会議。そこに妖退治も通常業務も勿論入る。俺は皇宮側近護衛も任命されているので、当たり前のように皇宮からも呼び出しが掛かる。
そんなこちらの事情など妖には関係ない。
そういったことが積もりに積もって、俺の私生活の時間を削って時間の捻出をしていた。
シャツのボタンを閉める。
髪は乾ききってないが、組紐を口に咥えて髪を結び始める。このまま聞くと視線を送ると、石蕗さんは頷いたのち、意図を汲み取ってくれた。
「多忙なのはわかりますが、休むのも仕事と思って下さい。では。報告をします。明日、貴族院様達への会議が決まりました。そこで、連日五家と摺り寄せた土蜘蛛の情報を開示します。内容は昨日五家と示し合わせたものです」
「ん……」
髪を後ろにまとめ、口に咥えていた紐をしゅっと後ろ手で括る。
「本来、貴族院などの対応は防御を司る『|梔子《くちなし》家』ですが、今回は杜若様が皇宮側近護衛も兼ねていることや……かつてお見合いをした令嬢達がいるからと言うことで《《説得力》》があるだろうと、梔子家が仕事をぶん投げてきました。全く、いい迷惑です」
石蕗さんの言葉に棘があるのも仕方ないこと。
昔から梔子家と杜若家は折り合いが悪い。
矛と盾。どちらが強いかずっと言い合っているような関係。
俺はさして興味がない。使えればなんでもいい。そんな俺の考えに、梔子家当主は合理性がないと真っ向から否定した。
それでも別にいいが、五家として協力はしなくてはならないので表面上は笑みを浮かべているが、こういうところは億劫だとは思う。
それを隠してさらっと言葉を吐き出す。
「梔子家は遅滞、縦深防御結界の強化に回ったのでしょう。あれは中々骨が折れる作業だ。同じく、そこを管理するお役所の方々、警察、消防、公共団体への説明も労力と時間はいる。今回は適材適所。そういうことにしておきましょう」
梔子家が敵から帝都を守る防御陣地の構築、防御側の優位性、集中の原則に基づき素早く動いているのは確かなので今回は口を噤むことにした。
そして連日のことを思い出す。
土蜘蛛が近日に出現すると言っても、この《《近日》》が非常に厄介だった。
妖が出現する周期として捉えるならば、近日は数年に成り代わることもある。
いわば近日と言っても、土蜘蛛がいつ現れるのが不明。だが、土蜘蛛の眷属と見られる妖や、小さな蜘蛛の妖はここ数年増加の一途を辿っていた。
大妖の土蜘蛛の出現は、この一秒後かもしれないし、一年後かもしれない。
後手に回ることしか対策を打てない。
しかも土蜘蛛は土属性であり、棲家は地中奥深く。
こちらから打って出ることが難しい。
梅桃家が土蜘蛛の出現を予測した場所は幾つかあるが、それらは広域に渡り、全て帝都の結界の外側。あくまで予測の域を出ない。これも後手に回るしか出来ない。
まるで予測の付かない巨大地震に怯えるが如く、五家も対応に頭を悩ませていた。
「避難させたくとも帝都、四百五十万人。外部への行き場はない。帝都の機能を止める被害は甚大、か……」
俺の言葉に石蕗さんはピクリと眉を動かして、口を開こうとしたので「独り言です」と、先に制した。
四百五十万人の避難に掛かる費用。避難により失われる利益損失。誰が補填をするのか。
帝都が負担すると言っても、全てに行き渡る訳ではない。そういった現実問題も頭を悩ませる要因だった。
きゅっと紐を結び、髪を括り終える。
上着はここを出て行く時に羽織ればいいだろう。とりあえずちゃんと話を聴ける体制へと、執務室の机の前へと着席する。
「お待たせしました。明日は貴族院の皆様と会議ですね。五家で取り決めた『土蜘蛛が現れる』ということは伏せ、ここ数日で私と『|馬酔木《あしび》家』が合同で作った新たな避難訓練の草案を通す、予算を引っ張って来るのが私の仕事ということでいいですか」
馬酔木家は特殊な武器や道具を作る職人一族。主にその力は後方支援部隊に特化している。
「その通りです。混乱を避ける為に土蜘蛛出現についての情報は五家と宮皇庁。各内省の長しか知らせていません」
「今は受け身、防戦一方。仕方ないか」
つい指先を机の上にコツっと叩いてしまう。