テラーノベル
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それから二日後、退院の日になった。
「沙雪、荷物はこれだけ?」
鞄を持ってくれるミドリに、私は微笑みながら頷いた。
「うん。ミドリありがとうね、迎えに来てくれて」
もう大分回復しているので体は問題無いけれど、あのアパートに一人で戻るのは正直言って怖い。
車で迎えに来てくれたミドリに、感謝でいっぱいになる。
「気にしないで、一人じゃいろいろ大変だろ?」
私に家族や親しい友人がいないと分かってるからか、ミドリは細かな点まで気を配って世話してくれる。
こんなに良くして貰って良いのか戸惑いながらも、好意に甘えることにした。
強がるより、感謝して後で恩返しした方がきっといい。
「沙雪、早くアパートを移りたいだろ? 友人に不動産屋が居るから紹介するよ」
「え? いいの?」
「もうある程度候補を探してくれるように頼んでるんだ、明日にでも……」
ミドリの説明を聞いていると、それを遮るように、病室のドアが勢いよく開いた。
「あれ……蓮?」
ミドリと一緒に振り返ると、入り口には不機嫌そうに顔を強張らせた蓮が立っていた。
「……やっぱり来たか」
ミドリがボソッと呟く。同時に蓮がズカズカと近づいて来て、苛立ったような声を上げた。
「なんでお前が居るんだよ?」
ミドリは全く動じず、涼しい顔で答えた。
「沙雪を迎えに来たんだけど、見て分かるだろ?」
ミドリは、手にした鞄を蓮に見せながら言う。
「は? 何でお前が?!」
蓮はミドリに続いて私に視線を移した……異常に機嫌が悪い。
怯む私に、蓮は責めるように言う。
「お前も何で、ついて行こうとしてんだよ!」
「何でってミドリが送ると言ってくれて、私も助かるからお願いしたんだけど……なんで怒ってるの?」
突然やって来て、一人で怒っていて、また何か勘違いしてるのだろうか。
思い込みが激しいのは、もう治らないんじゃないのかな……。
「蓮はお見舞いに来てくれたの? 今日退院だって言わなかったっけ?」
様子を見にきたら、退院しようとしてるから不機嫌になっているとか? でも退院するって言ったはずなんだけどな。
首を傾げる私を、蓮が睨んでくる。
「聞いたから来たに決まってんだろ?!」
「え……でも来るなんて言って無かったよね?」
退院日が決まったと話した時、特に何の反応も無かったはず。だから来てくれるなんて思っていなかったのに。
「は? なんだよそれ?」
蓮は信じられないといった様子で、私をじっと見つめて来た。
さっきから訳が分からない。
「お前さ……この前言ったよな? 別れたく無いって、側に居て欲しいって」
「え? 言ったけど……」
確かに自分で言った台詞だけど、改めて言われるとなんだか恥ずかしい。
ミドリも驚いたような目を向けて来ている。
「あれはどういう意味だったんだよ? もう気が変わったのか?!」
カッとしたように言う蓮に、私は眉をひそめた。
「変わってなんてないけど……これからも友達で居て欲しいと思ってるよ?」
そう答えると、蓮は一瞬で顔を強張らせた。
……何この反応。
怪訝に思いながら、蓮を見ている内に、不意に気付いた。
『別れたく無い、離れたく無い、側に居て』
この台詞……良く考えてみれば告白したも同然な気がする。
もしかして、蓮もそう受け取ったのかも。
でもあの後何回か顔を合わせたけど、全くそんな話はしなかったし、蓮もいつも通りだったはず。
でも、これははっきりと確認しておいた方がいい。
「蓮、あの……この前言ったことだけど……」
気まずさを感じながらおずおずと話しかけると、蓮は最高に不機嫌そうな顔で答えた。
「何だよ?!」
……怖すぎる。
「ええと……もしかして誤解を与えちゃったかと心配になって。私の言い方まるで告白みたいだったし。蓮に側に居て欲しいって言ったのは本心だけど、変な下心は無くて……」
弁解するように言う私に「沙雪、下心って……」とミドリが突っ込む。
蓮は相変わらず怖い顔で仁王立ちしたままだ。
「……蓮?」
恐る恐る呼びかけると蓮はハッとした後に、顔を赤くして怒鳴った。
「そんなのいちいち言われなくたって分かってるに決まってんだろ?! 俺はそんな勘違い野郎じゃ無いからな!」
「あ……そうだよね、ごめん変なこと言って」
正直言って、最強の勘違い野郎だから不安になってたんだけど口にする勇気はもちろん無い。
「もうくだらないこと言うなよ?!」
素っ気ない蓮の言葉に、私はもう一度ごめんと謝った。
……本当に余計な気を回し過ぎてしまった。
そんな事を考えていると、ミドリが冷めた目を蓮に向けながらボソッと呟いた。
「悲惨だな」
「あ?! ミドリお前……」
小声だったけれど、蓮の耳にはしっかりと届いていた様で、鬼のような顔をしてミドリに詰め寄ろうとする。
けれどミドリはそれを無視して、私に爽やかな笑顔を向けて来た。
「そろそろ行こうか」
「え?! うん……」
いいのかな?
「……蓮も行く?」
一人置いて行くのも悪い気がして尋ねると、蓮はふてくされた様にそっぽを向いた。
「放っておいていいよ、行こう」
ミドリに手を引かれ、戸惑いながらも私達は病室を出た。
結局蓮は、散々文句を言いながらも着いて来て、ミドリの車に真っ先に乗り込んだ。
「……自分の車はどうするんだよ?」
後部座席にドカンと座った蓮に、ミドリは眉をひそめながら言う。
「お前に関係無いだろ? 」
愛想の欠片も無く言う蓮に、ミドリは溜め息を吐いてから私を見た。
「沙雪も乗って?」
「あ……うん」
ミドリが開けてくれたドアから身を滑り込ませようとすると、蓮の鋭い声が響いた。
「おい、こっち乗れよ!」
蓮は自分の隣のシートに目を遣りながら言う。
「俺は運転手じゃ無いんだけどな」
ミドリが少しムッとしたように応える。私はどうしたものかと悩んだ末助手席に座った。
ミドリの言う通り、二人が後部座席って何だかおかしな気がしたから。
文句を言い続ける蓮を無視して、ミドリはゆっくりと車を発進させる。
運転しながら、私に話しかけて来た。
「さっきの話の続きだけど、沙雪の体調さえ良ければ、なるべく早めに友人と会って部屋の打ち合わせをしよう」
「うん。私は大丈夫だから出来れば明日にでも会いたい」
ミドリの言葉に、私は迷わず返事をした。
一刻も早くアパートを移りたい。三神さんに監禁されていた時の恐怖は、決して忘れられない。本当は二度と戻りたくない。考えるだけで憂鬱になる。
口数の減った私に、蓮が声をかけて来た。
「お前、あのアパートで過ごすの嫌だろ? 当分違う所で寝泊まりした方がいいんじゃないのか?」
「うん……」
確かに蓮の言う通りなんだけど、現実には簡単にいかない。
ホテルに泊まるにしても、短期に部屋を借りるにしてもお金がかかる。
三神さんの事件や、入院で再就職の話は駄目になってしまったから、私には経済的な余裕が無い。
仕事がないのに、引っ越しで貯金が減ってしまうし、この先、生活していけるのだろうか。
はあ……思わず大きなため息を吐くと、ミドリが視線を感じた。
取り繕う気にもなれず、憂鬱な気持ちでいると蓮のじれったそうな声が聞こえて来た。
「おい、どうすんだよ?! 泊まるならアパートで荷物取って直ぐに移動するぞ」
「……行かないよ」
本当は行けないだけなんだけど。蓮は私の切羽詰まった経済事情など気付かないようで、納得いかないと話し続ける。
「でもこの前言ってたよな? アパートで一人は怖いって……だから予定では、しばらく泊まってやろうと思ってたんだけどな」
蓮は後半はボソボソと、独り言のように言った。
「何て言ったの? よく聞こえなかったんだけど」
後ろを振り返り聞こうとすると、ミドリに止められた。
「気にしなくていいよ、また馬鹿なこと言ってるだけだから」
「え?」
「ミドリお前さっきから……いい加減にしろよ!」
また喧嘩になりそうな流れに、私は深いため息をつく。
それに気付いたのか、ミドリが気遣いの言葉をかけて来た。
「沙雪、確かに鷺森の言うとおりだよ。あの部屋で夜一人では辛いだろう」
「……大丈夫だよ、心配してくれてありがとう」
「知人がやってる旅館が有るんだ、そこなら気楽に滞在出来ると思う。沙雪が良ければ頼んでみるけど」
ミドリは私の事情を察しているようだった。
はっきりとは言わないけど、気楽に滞在出来ると言うのは安く泊まれると言う意味なのだろう。
本当にミドリは気が利く。
ただ……申し出には感謝するけど、いつ新しい住まいに移れるか分からないのに旅館暮らしには踏み切る勇気は出ない。
少し心が揺れるのを感じながらも断ろうとすると、蓮が会話に入って来た。
「旅館より店に泊まれよ、あそこは仮眠室もシャワールームも有るしな」
「リーベルに?」
「ああ、飯は店で食べればいいし、金がかかんなくて沙雪向けだろ?」
なんか……言い方が気に入らないけれど、確かにあそこなら慣れているし、しかも殆ど経費をかけずに滞在出来る。
ただ、スタッフやお客さんが帰った店ってどんな状態なんだろう。ガランとしていて、寝泊まりする部屋は別としても怖そうな気がした。
でも、あの私にとっては呪われてるとしか思えないアパートに居るのも……。
しばらく考えた結果、リーベルに泊めて貰うと決めた。
同じ怖い思いをするなら、トラウマが無い方が良いだろう。
「じゃあ、申し訳無いけど、リーベルにお世話になるね」
後ろを振り返り言うと、蓮の機嫌が一気に良くなるのが分かった。
……物凄く顔に出てるから。
「じゃあ、アパートに帰ったら沙雪は当面必要な物を用意して。店まで送るよ」
ミドリは相変わらず気が利き、親切だ。
「ミドリ、本当にありがとうね」
心からの感謝を込めて言うと、ミドリは少し照れたように微笑んだ。
「気にしないで、沙雪の助けになりたいだけだから」
「ミドリ……」
優しい言葉に感激していると、蓮のイライラとしたような声が割り込んで来た。
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