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「おい、もう着いたぞ!」
「あ……ほんとだ」
いつの間にかアパートの前に着いていた。ドアを開け車から降りて自分の部屋を見上げた。
それから隣の部屋に目を遣った。
あの部屋に閉じ込められて、出る事が出来なかったなんて、今となっては信じられない。
「おい、大丈夫かよ?」
立ち尽くしていると、蓮が顔を覗きこんで来た。
心配そうな顔。
「沙雪、荷物を取りに行こう」
ミドリが穏やかに言いながら、先に歩いて行く。
「お前は、車で待ってろよ!」
蓮が言いながら、私を引っ張り歩き出した。
二人の背中を見ながら、不意に思い出した。
『初めは一人だけど、でも私も探したいと思ってる。側に居てくれる人を』
雪香に言った言葉……本心からの言葉だけど、あれは間違いだったと気がついた。
私は、今だって一人じゃ無い。側で支えてくれる人がいる。
何度も、大嫌いだと思った二人なのに、今私はこんなに心を許してる。
「どうしたんだよ?」
怪訝な顔で振り返る蓮に、首を振ってみせた。
「何でも無いよ」
蓮とミドリ、二人が居てくれることが、本当に嬉しくて幸せだと思った。
一ヶ月後。
私は、ミドリの友人に紹介して貰ったアパートに、無事引っ越しをした。
新しい住まいは、周囲の環境も良く、家賃も手頃で私にとってはこれ以上ないくらい良い部屋だった。
仕事は残念ながらまだ見つかって無いけれど、バイトを始めたからゆっくり探せる為焦りは無い。
何もかもが上手く行っていて、自分でも怖いくらいだった。
「沙雪、こっちだよ」
店に入ると直ぐにミドリに声をかけられた。
「お待たせ」
上着を脱ぎながら、急いで席につく。
待ち合わせ時間に遅れそうで、駅から早歩きで来たせいか少し汗をかいていた。
「もうすっかり暖かくなって来たね、暑いくらい」
「そうだね、上着は要らなくなってきたな」
運ばれて来たアイスティーを飲むと、やっと一息つく事が出来た。
「面接は上手くいった?」
「頑張ったけど、厳しいかもしれない。周りの人はみんな優秀そうに見えたし」
「その割には落ち込んでないみたいだね」
「うん、簡単にはいかないって分かってるし、まあ焦らないで探すよ」
笑顔で言うと、ミドリは優しい顔をして頷いた。
「今日は、兄のその後を報告しようと思って来て貰ったんだ、雪香についても……沙雪が嫌なら止めておくけど」
ミドリにも雪香と決別した事を話したから、気を使ってくれているようだった。
蓮もあの日以来、雪香の話を一切しなくなった。
隣に住んでいるんだし、会う事だって有るはずなのに、決して雪香の名前は口にしない。
逆に不自然に思えるけれど、蓮なりの気遣いなんだろうと思った。
「聞かせて、離れていても雪香を忘れた訳じゃ無いし、気にはなってるの」
「兄は秋穂と正式に離婚になったよ。子供も秋穂と一緒に実家に行った」
「そう……お兄さんは大丈夫? こんな時に離婚になって」
「離婚自体は元々兄も望んでいたから、特に動揺はしていなかった」
お兄さんが過度のショックを受けて無いのは良かったけど、あっさりとした夫婦の別れに少し寂しい気持ちになる。
「兄が気にしていたのは子供たちだ。秋穂が今後の交流を拒んでいて、子供との面会も許さないと言ってる」
「そう……」
夫に裏切られた秋穂が、頑なになる気持ちは理解出来る。
他の女性に心変わりし家族を捨て、更には犯罪者にまで成り下がった父親なんて必要無いと思っても無理は無い。
でも、ミドリの心配している姿を見るとお兄さんに同情する気持ちも湧いて来てしまう。
「秋穂さんの気持ちはよく分かるけど……でもいくら秋穂さんが拒否しても、面会の権利はお兄さんに有るんだから、もう一度話し合ってみたら?」
少しでも元気になって欲しくて、励ますとミドリは僅かに微笑んだ。
「ありがとう、それから兄の裁判はまだ始まって無いけど、横領した金額が多いことと逃亡した経緯から実刑は確実だそうだ」
「……そう」
苦しそうに言うミドリを見ていると、私も辛い気持ちになる。
お兄さんが悪いのは間違い無いけれど、早く罪を償ってやり直してもらいたいと思う。
「それから雪香だけど……」
ミドリが暗くなった雰囲気を変えるように、明るい表情を向けて来た。
「兄を待つ為に家を出る覚悟だったそうだけど、予想外に義父が助けてくれてるようで、この先も家に居るそうだ」
「え? あの義父が?」
信じ難かった。
「俺も意外だったよ、親なら縁を切らせようとするはずだと思ってたから……でも義父は雪香を追い出す事もなく、仕事まで世話をしたそうだ。雪香は今、必死に慣れない職場で頑張ってるそうだよ」
「どんな仕事をしてるの?」
「中小企業の一般的な事務だそうだ」
雪香が事務……しかも中小企業。イメージが全く合わない。
でも、きっと頑張ってるんだろう。
「良かった……ちょっとは気にしてたから」
「そうか、でも元婚約者とはまだ揉めてるそうだ」
「え? だって直樹とは別れたって……」
直樹にも雪香にも、直接そう聞いたのに。
今更何で揉めてるんだろう。
困惑しているとミドリが説明してくれた。
どこで調べたのか、事情を全て知った直樹が、雪香に慰謝料を請求して来たらしい。
直樹としてはプライドを傷つけられたから、雪香を許せない気持ちでいっぱいなんだろう。
「義父が対応してるから、金銭的には大丈夫だと思うけど、やっぱり噂が立つのは防ぎきれないからね、雪香もその辺では苦労してるみたいだ」
「そうなの……蓮もそんなことになってるなんて言って無かったから、何も知らなかった」
相槌を打ちながら言うと、ミドリは少し複雑そうな顔をした。
「鷺森は最近雪香と距離を置いてるみたいだ……聞いてなかった?」
私は驚き高い声を上げた。
「私何も聞いてない、どうして? 蓮と雪香の間で何か揉めてるの?」
「いや、そういうんじゃ無いようだけど……ただ前のように雪香に対して過保護じゃなくなった。雪香は兄との面会も一人で行ってるみたいだし」
「そうなんだ……」
なんだか信じられない話だった。
あの何があっても雪香の味方だった蓮が、こんな時期に雪香を放っておくなんて。
「俺は鷺森の行動がなんとなく分かるな」
考え込んでいた私はミドリの言葉に、顔を上げた。
「え…… 分かるって?」
蓮とはいつもいがみ合ってるミドリが、そんな風に言うなんて意外だった。
「鷺森も、考えが変わって来てるんだと思う。ただ側にいて庇うだけが雪香にとって本当に良いのかと考え始めたんだと思う」
「そう……なのかな、あの蓮が……」
蓮は表面には出さないけど、あれで深く考えているのだろうか。
そんなことを考えながらミドリに目を向けた。
途端、どこか寂しそうなミドリの顔が目に入って来た。そういえば……、
「ミドリ……秋穂さんとはどうなったの?」
独身になった秋穂に、ミドリは何か伝えたのだろうか。
「いや、秋穂とは会ってない。連絡は来るけどね」
「……会わないでいいの?」
お兄さんに遠慮をしているのだろうか。
確かに簡単にいかない関係だと思うけど、ミドリはあれほど秋穂を想っていたのに。
「いいんだ、沙雪が心配してるような理由で会わないんじゃない」
ミドリは私の心情を見抜いたように言った。
「じゃあ、どうして……」
「秋穂は俺に頼りたいだけなんだ。力にはなりたいと思ってるけど、この先いつも側に居てやる事は出来ない……秋穂の為を思えば今は自立するように、距離を置くのも必要だと思うんだ」
「そう……」
ミドリもいろいろと考えてるんだ。
みんな少しずつ変わっていっている。
雪香も、蓮も、ミドリも。
「沙雪、そろそろバイトの時間じゃないのか?」
ミドリに言われ、私は慌てて腕時計に目を遣った。
「あっ、本当だ!」
遅刻したら大変だ。
「車で来てるから送るよ、ついでに食事もしていこうかな」
「ありがとう、じゃあ食事は私の奢りね」
僅かに微笑んだミドリと、車に向かって歩き出した。
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