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第六話 天を裂く友
夕暮れの新都は、黄金色に沈んでいた。
高層ビルの窓が赤く染まり、冬木大橋の向こうから吹く風が、街の熱をゆっくりと冷ましていく。
人々はいつも通りに歩いている。
信号は変わり、車は流れ、店の看板には明かりが灯り始めていた。
だが、その日常の遥か上空。
人の目には映らない高さで、神話が向かい合っていた。
黄金の舟、ヴィマーナ。
その上に立つ王は、腕を組んだまま目の前の影を見つめている。
ギルガメッシュ。
人類最古の英雄王。
あらゆる宝の原典を所有し、神すらも見下ろす傲慢の王。
その彼が、今だけは黙っていた。
視線の先にいるのは、緑の髪を持つ美しい人影。
人とも、獣とも、神造兵器ともつかぬ存在。
性別という境界さえ曖昧で、しかしそこに立つだけで大地の息吹を思わせる。
エルキドゥ。
神々によって造られた、人と神を繋ぐ楔。
そして、ギルガメッシュが唯一「友」と呼んだ存在。
夕焼けの空の中で、二人は向かい合っていた。
言葉は、すぐには出なかった。
それは殺意ではない。
敵意でもない。
懐かしさ、怒り、喜び、警戒、そして長い時間を越えた痛みが、互いの間に静かに積もっている。
先に口を開いたのは、エルキドゥだった。
「久しぶりだね、ギル」
その声は穏やかだった。
かつて草原を渡った風のように。
かつて王の傍らにあった静けさのように。
ギルガメッシュは、わずかに目を細めた。
「その名を軽々しく呼ぶな」
「怒った?」
「当然だ。死んだ友が、勝手に戦場へ戻ってきたのだぞ」
エルキドゥは少しだけ困ったように笑った。
「君にだけは言われたくないかな」
「ふん」
ギルガメッシュは鼻を鳴らす。
その態度はいつもの傲慢な王そのものだった。
けれど、彼をよく知る者が見れば分かっただろう。
その声の奥に、ほんのわずかに混じる揺れを。
喜んでいる。
再会を。
友の姿を。
あり得ないはずの奇跡を。
だが、王はそれを喜びとして口にしない。
ギルガメッシュという男は、そういう存在だった。
「エルキドゥ」
王は低く問う。
「貴様は誰の命でここに立っている」
「神杯だよ」
「それは分かっている」
ギルガメッシュの背後に、黄金の門が一つ開く。
中から覗く刃は、まだ射出されない。
「問うているのは、貴様自身の意思だ。友として我の前に立つのか。敵として我の道を塞ぐのか」
エルキドゥは目を伏せた。
「難しい質問だね」
「答えろ」
「僕は君に会いたかった」
その言葉に、ギルガメッシュの表情が止まった。
エルキドゥは続ける。
「でも同時に、この戦争を止めたい。神杯は死者の縁を使っている。英雄の後悔も、神の未練も、人間の願いも、全部まとめて燃料にしている」
「ならば壊せばよい」
「簡単に言うね」
「簡単だ。気に入らぬものは砕く。それが王の裁定だ」
エルキドゥは笑った。
「変わらないな、君は」
「貴様は少し柔くなったか?」
「かもしれない。でも、君も少しだけ変わった」
「戯言を」
「今の君は、僕をすぐには撃たない」
ギルガメッシュの背後で、さらに十の黄金門が開く。
剣、槍、斧、鎖。
名だたる宝具の原典たちが、空中で静かに輝いた。
「撃てぬと思うか」
「撃てるよ」
エルキドゥは穏やかに言う。
「でも、撃つ前に聞いてくれる。昔より少しだけ、優しくなった」
空気が、わずかに震えた。
次の瞬間。
王の財宝から無数の宝具が放たれた。
黄金の雨が、夕空を裂いてエルキドゥへ殺到する。
剣は星のように降り、槍は雷のように走り、斧はビル風をねじ伏せる勢いで迫る。
だが、エルキドゥは動じなかった。
彼の足元から、大地の鎖が生える。
いや、ここは空中だ。
大地などない。
それでも鎖は現れた。
世界そのものを足場にするように、緑色の鎖が空を縫い、宝具群を絡め取る。
天の鎖。
神性を縛るための鎖。
かつて神々の思惑すら縛った楔。
宝具と鎖が衝突し、夕空に火花が散る。
ギルガメッシュは笑った。
「そうだ。それでこそ貴様だ」
「君もね。挨拶代わりに宝具を撃つのはどうかと思うけど」
「我なりの歓迎だ。ありがたく受け取れ」
「昔から重たい歓迎だなぁ」
二人の間に、懐かしい空気が流れた。
だが、それは一瞬で終わる。
空が鳴った。
雷ではない。
天そのものが、低く唸った。
ギルガメッシュとエルキドゥは同時に視線を上げる。
夕焼けの雲が裂けていた。
雲の奥に、もう一つの空がある。
人間が見上げる空ではない。
神々が座するための高み。
そこから、巨大な影が降りてくる。
人の姿をしている。
しかし、人間ではない。
白銀の髪。
蒼穹を閉じ込めた瞳。
全身を覆う薄い天衣。
背には翼ではなく、空そのものが広がっている。
彼が一歩降りるたび、街の上空に不可視の階段が生まれる。
天王。
神格側十五クラスの中でも、最上位に近い器。
天を司る王。
その手には、剣でも槍でもないものがあった。
杖。
いや、王笏。
先端には小さな球体が浮かび、その中に昼と夜、雲と星、雷と風が閉じ込められている。
神器。
空を支配するための神具。
天王は、ギルガメッシュとエルキドゥを見下ろした。
「英雄王。神造の楔」
声は静かだった。
だが、その一言でビルの窓が震えた。
「再会を楽しんでいるところ悪いが、この空は我の領域だ」
ギルガメッシュの口元が歪む。
「ほう」
その一音だけで、周囲の空気が変わった。
エルキドゥは小さく息を吐く。
「ああ、まずいな」
「何がだ、エルキドゥ」
「君が本気で怒りそうだ」
「怒る?」
ギルガメッシュは笑った。
だが、その笑みには一切の温度がなかった。
「雑種の上に神の残り香まで、我の前で領域を語るか」
黄金の門が百を超える。
夕空が金色に埋め尽くされる。
「よかろう。ならば教えてやる。空とは誰かの所有物ではない」
王は天王を見上げる。
「我が見上げた時点で、そこは王の視界だ」
宝具が放たれた。
数百の光が、天王へ向かって飛ぶ。
天王は王笏を軽く掲げた。
空が曲がる。
ただ、それだけ。
宝具群の軌道が逸れた。
真っ直ぐ進んでいたはずの剣が、槍が、斧が、空間の歪みに沿って曲がり、天王の周囲を通り過ぎていく。
ギルガメッシュの眉がわずかに動く。
「空間歪曲か」
「違う」
天王は静かに言った。
「空の命令だ。飛ぶものは、空の法に従う」
エルキドゥがすぐに鎖を伸ばす。
天の鎖は宝具とは違う。
神性を縛る概念そのものだ。
緑の鎖が無数に伸び、天王の四肢を狙う。
天王は王笏を回す。
風が生まれた。
ただの風ではない。
古代の人間が空を恐れ、風に神意を見た時代の風。
鎖はその風に弾かれる。
完全には弾けない。
天の鎖は神性を捕えるためのもの。
天王の神格が高ければ高いほど、鎖は強く作用する。
だが、空そのものが鎖の到達を遅らせている。
エルキドゥは静かに目を細めた。
「相性が悪いね」
「貴様が言うな」
ギルガメッシュは王の財宝をさらに開く。
「ならば、数で押し潰すまでだ」
宝具の雨。
天の鎖。
黄金と緑が、天王を囲む。
新都の空で、神話の三角形が成立した。
人類最古の王。
神造の楔。
天を司る神。
その戦いの余波は、街には見えない。
神杯の隠蔽が、人々の意識から異常を剥ぎ取っている。
だが、魔術師には分かる。
冬木の霊脈が震えている。
空が、戦場になっている。
◆
衛宮邸。
遠坂凛の宝石板が、悲鳴のような警告音を鳴らした。
「出力が跳ね上がった!」
凛は画面を睨む。
士郎、セイバー、アーチャー、リチャード一世が居間に集まっている。
柳洞寺から戻って間もないというのに、休む暇などなかった。
「新都上空、黄金反応、エルキドゥ反応、天王反応が交戦中。三つとも規格外!」
士郎が立ち上がる。
「行くぞ」
「待って」
凛が止める。
「今回ばかりは簡単に近づけない。戦場が空中よ。それもかなり高い。普通の足場じゃ届かない」
リチャードが楽しげに剣を掲げる。
「私は飛べないが、高いところは嫌いではない」
「精神論で飛ばないでください」
凛が即座に返す。
セイバーは冷静に問う。
「移動手段はありますか」
「宝石を使えば短距離転移でビル屋上までは行ける。でも、その先は状況を見て判断するしかない」
アーチャーは窓の外を見る。
「ギルガメッシュとエルキドゥが共闘しているなら、下手な介入は邪魔になる」
「共闘していると限らないだろ」
士郎が言う。
アーチャーは皮肉げに笑った。
「少なくとも、天王を前にして互いを優先して殺すほど愚かではあるまい。片方は王として、片方は楔として、戦況くらいは読む」
凛は宝石板の反応を確認する。
「問題は天王の権能よ。空間制御じゃない。空中で発生する現象そのものを支配してる可能性がある。飛ぶ、落ちる、吹く、鳴る、光る。そういう空に属する現象全部」
「つまり?」
士郎が聞く。
「空にいる限り、向こうの土俵ってこと」
士郎は窓の外を見た。
夕暮れの空。
黒い神杯。
そのさらに下で、見えない戦争が起きている。
ギルガメッシュとエルキドゥ。
過去に縛られた再会。
神杯は本当に、何もかもを戦争の燃料にする。
「行こう」
士郎は言った。
「止めるにしても、見るにしても、知らないままじゃ動けない」
凛は少しだけ目を細めた。
「……考えてる?」
「考えてる。近づいてすぐ突っ込むつもりはない」
「よし。ぎりぎり合格」
アーチャーが呟く。
「採点が甘くなったな」
「うるさい」
◆
新都中央部。
高層ビルの屋上に転移した瞬間、士郎は息を呑んだ。
空が割れている。
夕焼けの雲の上に、さらに青い神域が重なっていた。
その中心で、黄金の光と緑の鎖が荒れ狂っている。
ギルガメッシュの宝具が、星の雨のように降り注ぐ。
エルキドゥの鎖が、空そのものを縫い止めるように伸びる。
そして天王は、そのすべてを相手にしながら、静かに王笏を振るっていた。
天王が王笏を横に払う。
風が刃になる。
見えない斬撃が、ビルの屋上すれすれを通過した。
結界がなければ、建物ごと削られていただろう。
凛が即座に防御術式を張る。
「これ、離れてても危険すぎる!」
セイバーは空を見上げる。
「ギルガメッシュとエルキドゥが押し切れていない」
アーチャーが弓を作る。
「当然だ。相手が悪い。あれは空という領域そのものを盾にしている」
士郎は戦場を見た。
ギルガメッシュは苛烈だ。
王の財宝から次々と宝具を放ち、天王の支配領域を飽和させようとしている。
だが、天王は宝具をすべて避ける必要がない。
空の法を変え、飛翔物の軌道を曲げる。
落下の速度を変える。
風圧を逆流させる。
時には雲を盾にし、時には雷を迎撃に使う。
一方、エルキドゥは鎖で天王の動きを縛ろうとしている。
だが、鎖が届く前に空間の距離が伸ばされる。
十メートルだったはずの距離が百メートルになり、一瞬で掴めるはずの間合いが、空の深さへ沈められる。
「天王は、空にいる限り距離すら自分のものにできるのか」
士郎が呟く。
凛が頷く。
「おそらくね。厳密には空間操作じゃなくて、“空とは遠いもの”という概念を強制してる。人間が空を見上げた時に感じる、届かなさ。それを戦闘に使ってる」
リチャードは剣を抜き、楽しげではあるが真剣な表情で言った。
「ならば地上へ落とすしかないな」
「簡単に言いますね」
セイバーが言う。
「王は大抵、難しいことを簡単に言うものだ」
その時、空で黄金の光が一際強く輝いた。
ギルガメッシュが、新たな宝具を抜いた。
ただの宝具ではない。
彼の背後に開いた黄金の門、その中心から現れたのは、異様な形状の剣。
乖離剣。
天地を分かつ原初の剣。
凛の顔が青ざめる。
「ちょっと、まさか――」
アーチャーが低く言う。
「撃つ気だな」
ギルガメッシュは乖離剣を手に、天王を睨んでいた。
「天を名乗るならば、天地開闢の理を受けてみるがいい」
エルキドゥが鋭く叫ぶ。
「ギル、待って!」
「止めるな、エルキドゥ」
「ここは街の上空だ。全力で撃てば、隠蔽では済まない」
「我が手加減を知らぬと思うか」
「知っているから言っているんだよ」
ギルガメッシュはエルキドゥを一瞥した。
二人の間に、わずかな沈黙が生まれる。
その一瞬を、天王は逃さなかった。
「美しい友情だ」
天王は静かに言った。
「だが、戦場で過去を見る者は、空に呑まれる」
王笏が掲げられる。
雲が渦を巻く。
雷が集まる。
いや、雷ではない。
雷になる前の天意。
光になる前の裁き。
人間が空から受け取った最初の恐怖。
天王の神器が開帳される。
完全開帳ではない。
だが、十分すぎる。
「神器開帳」
天王の声が、冬木上空に響いた。
「蒼穹王笏――ウラノ・クラトス」
王笏の球体が開いた。
その内側から、青い天球が広がる。
空が、もう一つの空に上書きされる。
神域展開。
空そのものが神の王宮となる。
上も下もない。
右も左もない。
距離は天王の意志で伸び、風は命令に従い、雷は臣下のように傅く。
ギルガメッシュの宝具群が、一斉に停止した。
いや、止められたのではない。
空中に“置かれた”。
飛ぶという状態を奪われ、ただ天の展示物のように並べられている。
エルキドゥの鎖もまた、伸びたまま固定された。
「っ……!」
エルキドゥの表情が険しくなる。
天王は王笏を下ろす。
固定された宝具と鎖が、一斉に逆流した。
ギルガメッシュへ。
エルキドゥへ。
自分たちの攻撃が、空の命令によって戻される。
ギルガメッシュは舌打ちした。
「小癪な」
王の財宝が防御用宝具を展開する。
盾、城壁、神代の守り。
それらが黄金の層となって逆流する宝具を受け止める。
エルキドゥは鎖を自ら解体し、身体を大地の泥へ近い形に変化させた。
鎖に戻された衝撃を、肉体の変形で受け流す。
だが、完全ではない。
黄金の舟が大きく揺れる。
エルキドゥの身体が空中で弾かれる。
天王がさらに王笏を振る。
今度は雷が落ちた。
狙いはギルガメッシュではない。
エルキドゥ。
神造兵器であり、神の楔である彼に、天の裁きが集中する。
「エルキドゥ!」
ギルガメッシュの声が、初めて荒くなった。
王の財宝から鎖が飛ぶ。
天の鎖。
ギルガメッシュの蔵にあるそれが、エルキドゥの身体へ伸び、彼を引き寄せる。
雷が鎖を伝う。
黄金の火花が散り、ヴィマーナの外殻が焼ける。
ギルガメッシュは構わず、エルキドゥを舟の上へ引き上げた。
エルキドゥは片膝をつく。
「ごめん、助かった」
「無様だぞ」
「君に助けられるのも、久しぶりだ」
「二度と言わせるな」
ギルガメッシュは天王を睨む。
その怒りは、先ほどまでとは質が違っていた。
自尊心を傷つけられた怒りではない。
所有物を奪われかけた怒りでもない。
友を狙われた怒り。
英雄王の背後で、王の財宝がさらに開く。
空が黄金で埋まる。
天王はそれを見て、わずかに目を細めた。
「その怒りは、人のものだな。英雄王」
「当然だ」
ギルガメッシュは笑った。
「我は神ではない。神に造られた都合のよい王でもない」
彼は乖離剣を構える。
「我は人の王だ」
その言葉に、エルキドゥの瞳が揺れた。
かつてウルクで、王は人を見下ろしていた。
神の血を引き、人を支配し、世界すら自分の庭のように扱っていた。
だが友と出会い、死を知り、旅を経て、彼は人の王になった。
その変化を、エルキドゥは誰よりも知っている。
「ギル」
「何だ」
「僕も行く」
「当然だ。寝ていろなどと言うと思ったか」
「少しは心配してくれてもいいのに」
「心配などしておらん」
「うん」
エルキドゥは微笑む。
「知ってる」
二人が並び立つ。
黄金の王と、緑の楔。
その姿を見て、士郎は屋上で息を呑んだ。
ただ強いだけではない。
ただ神話的なだけではない。
あれは、二人だから成立する戦いだ。
ギルガメッシュの宝具は、世界のあらゆる原典。
エルキドゥの鎖は、神性を縛る楔。
王の財と神の楔。
その二つが重なる時、神にさえ届く。
凛が宝石板を見ながら叫ぶ。
「天王の神域、広がり続けてる! このままだと新都全体の空が支配領域に入る!」
「止める方法は?」
士郎が問う。
「地上から干渉するなら、神域の支点を狙うしかない。あの神域は天王本人と王笏、それに空中の三つの雷核で維持されてる」
「雷核?」
「雲の中にある魔力の結節点よ。あれを壊せば神域が少し緩む」
アーチャーが弓を引く。
「位置を出せ」
凛が即座に宝石板から魔力の線を投影する。
空に三つの点が表示された。
だが距離が遠い。
ビル屋上から狙うには、普通の弓では届かない。
アーチャーは静かに笑う。
「問題ない」
彼の手に、一本の剣が現れる。
歪んだ螺旋の剣。
弓に番えられた剣が、魔力を帯びて震える。
「偽・螺旋剣」
放たれた一撃が、空を貫いた。
矢ではなく、砲撃。
剣は螺旋を描きながら飛び、最初の雷核へ突き刺さる。
爆発。
雲の一部が吹き飛び、天王の神域がわずかに揺らいだ。
天王の視線が地上へ向く。
「地上の弓兵か」
凛が青ざめる。
「こっち見た!」
「当然だ。撃てば気づく」
アーチャーは平然と次の矢を作る。
天王が王笏を動かす。
空から雷が落ちる。
士郎たちのいるビルへ向かって。
セイバーが前に出る。
聖剣を構える。
だがその前に、リチャードが笑って飛び出した。
「空からの裁きか! ならば王が受けよう!」
彼の剣が輝く。
獅子心王の宝具ではない。
まだ真名解放ではない。
だが、その剣には王としての勇気が宿っていた。
リチャードは雷を斬った。
正確には、雷そのものを斬ったのではない。
雷が落ちる道筋に剣を置き、雷の進路を逸らした。
轟音。
ビルの隣を雷が通過し、空中で爆ぜる。
リチャードの腕が痺れたように震える。
「ははっ、重いな!」
凛が叫ぶ。
「無茶しないで!」
「無茶ではない。王の演出だ」
「演出で感電しないで!」
セイバーはその隙に、凛の指示した二つ目の雷核へ向けて魔力を解放する。
「アーチャー、次を!」
「言われるまでもない」
二発目の偽・螺旋剣が放たれる。
しかし、今度は天王が対応した。
空の距離が伸びる。
矢が雷核へ届かない。
いや、届くまでの距離が無限に近く引き伸ばされている。
アーチャーが舌打ちする。
「狙撃距離を歪められた」
士郎は空を見上げる。
雷核は見えている。
だが、届かない。
空にある限り、天王の支配下だ。
ならば、空でない場所から届かせる必要がある。
どうする。
考えろ。
また、剣だけでは足りない。
士郎は屋上の床に手を触れた。
ビル。
鉄骨。
コンクリート。
避雷針。
配線。
街そのもの。
雷は空から地へ落ちる。
なら、雷核は空だけで完結しているわけではない。
地上へ落ちる道を持っている。
「凛!」
「何!」
「雷核って、雷を落とすための支点だよな」
「そうよ!」
「なら、地上側にも道があるはずだ。避雷針とか、ビルの金属とか、雷が落ちる対象に接続してるんじゃないか」
凛の目が見開かれる。
「……ある。あるわ。雷核は空中支点だけど、放電経路は地上に伸びてる!」
「そこを撃てば?」
「雷核そのものじゃなくて、接地経路を壊す。神域のバランスが崩れるかもしれない」
アーチャーが士郎を見る。
「少しは頭を使うようになったな」
「褒めてるのか?」
「今日のところはな」
凛は宝石板を操作し、地上の放電経路を特定する。
「三つのビル屋上に接続してる! ここと、隣のビル、それから向こうの通信塔!」
「分担しましょう」
セイバーが言う。
「私が隣のビルを」
「私は通信塔へ行こう」
リチャードが笑う。
アーチャーは弓を構える。
「ここは私が撃つ」
士郎は立ち上がる。
「俺も行く」
凛が睨む。
「どこへ」
「通信塔。リチャードだけじゃなくて、投影で避雷経路を切る」
「……分かった。ただし、一人で突っ込まない」
「分かってる」
士郎とリチャードは走った。
ビルの屋上から屋上へ。
凛の宝石による足場が空中に作られ、士郎はそれを踏んで飛ぶ。
リチャードは軽やかに先行し、時折振り返って笑う。
「良い走りだ、衛宮士郎!」
「褒める余裕があるなら前見ろ!」
「王は前しか見ない!」
「落ちるぞ!」
「落ちても王だ!」
士郎は返事を諦めた。
通信塔の上空には、青白い雷の道が見えていた。
普通の人間には見えない。
だが魔術回路を開いた士郎には、空から地上へ伸びる細い魔力の柱が見える。
あれが放電経路。
天王の神域を支える地上側の杭。
「投影、開始」
士郎は双剣を作る。
干将・莫耶。
通信塔の鉄骨へ向けて投げる。
剣は鉄骨を切断する。
だが経路はまだ残る。
神域が別の鉄骨へ回り込む。
「なら、全部切る!」
士郎は次々と剣を投影する。
切る。
投げる。
砕ける。
また作る。
通信塔の先端で、火花が散る。
リチャードはその間、落ちてくる雷の枝を剣で弾き続けていた。
「急げ、士郎! なかなか刺激的だ!」
「分かってる!」
最後の経路。
太い主支柱。
士郎は剣ではなく、斧を投影した。
ヘラクレスの斧剣の贋作。
第四夜に作った不完全な偽物。
今度は武器としてではない。
重量と形だけを利用する。
巨大な斧剣が主支柱へ叩きつけられる。
轟音。
鉄骨が歪み、雷の経路が千切れた。
同時に、隣のビルでセイバーが聖剣の一閃を放つ。
アーチャーの矢が足元の避雷装置を撃ち抜く。
三つの地上経路が、同時に破壊された。
空の神域が大きく揺らいだ。
天王が初めて、明確に顔をしかめる。
「地上から、天を乱すか」
ギルガメッシュが笑った。
「見たか、神よ。雑種どもも時には役に立つ」
エルキドゥは鎖を伸ばす。
「今だ、ギル!」
「言われずとも!」
ギルガメッシュの王の財宝が一斉に開く。
だが今度は無差別な宝具雨ではない。
エルキドゥの鎖が、宝具の軌道を導いている。
鎖が空の歪みを縫い止める。
その隙間を、黄金の宝具が走る。
王の財と神の楔。
二つの神話が、一つの攻撃として天王へ迫る。
天王は王笏を掲げる。
空が命令を発しようとする。
だが、地上経路を失った神域は一瞬だけ反応が遅れた。
宝具が天王の防壁へ突き刺さる。
鎖が天王の腕に巻きつく。
天の鎖が、神性を縛る。
「っ……!」
天王の身体が初めて止まった。
ギルガメッシュが乖離剣を構える。
その刃が回転する。
世界を分かつ風が生まれる。
凛が地上から叫ぶ。
「出力抑えて! 本当に街が壊れる!」
ギルガメッシュは聞いていないように見えた。
だが、エルキドゥが静かに言う。
「ギル」
「分かっている」
王は不機嫌そうに答えた。
「我を誰だと思っている。必要なものだけを裂く」
乖離剣の風が収束する。
全力ではない。
だが、天王の神域を断つには十分な一撃。
「天地乖離す――」
その瞬間。
天王の背後に、もう一つの影が現れた。
人間。
黒い礼装を着た男。
年齢は三十代ほど。
細い眼鏡。
無表情な顔。
右手には、青白い神紋が刻まれている。
天王のマスター。
名は、玻璃堂カイ。
魔術協会でも教会でもなく、どの家系にも属さない謎の魔術師。
彼は静かに右手を掲げた。
「神紋、起動」
凛が叫ぶ。
「まずい! 神紋ブースト!」
天王の神気が跳ね上がる。
神紋は一度だけ、契約神格の限界を超過させる。
代償はマスターの魂。
玻璃堂カイの顔が苦痛に歪む。
だが、声は乱れない。
「天王。第二神器補助、解放」
天王の瞳が冷たく光る。
「承認」
蒼穹王笏の球体がさらに開く。
その中から、星空が現れた。
昼でも夜でもない。
天球そのもの。
ギルガメッシュの乖離剣が放たれる寸前、天王は王笏を振り下ろした。
「天蓋閉鎖」
空が閉じた。
比喩ではない。
ギルガメッシュとエルキドゥの周囲に、透明な天蓋が形成される。
内側と外側が分断される。
乖離剣の風が、天蓋の内側で暴れた。
ギルガメッシュは舌打ちする。
「小賢しい!」
乖離剣の一撃が天蓋を内側から裂こうとする。
エルキドゥの鎖が外へ伸びようとする。
だが天蓋は、空そのものを閉じた檻。
内側にいる限り、外へ届かない。
天王は二人を閉じ込めたまま、王笏を地上へ向けた。
狙いは、士郎たち。
凛が顔を強張らせる。
「こっちを消す気……!」
空から、青白い光が降りてくる。
雷ではない。
空の圧力。
天蓋の一部を地上へ落とし、ビルごと押し潰す裁き。
セイバーが聖剣を構える。
リチャードが剣を構える。
アーチャーが矢を番える。
士郎も双剣を作る。
だが、分かっていた。
これは重すぎる。
防ぎ切れない。
その時。
空の天蓋の中で、エルキドゥがギルガメッシュを見た。
「ギル」
「何だ」
「少しだけ、僕を撃って」
ギルガメッシュの目が細くなる。
「何を言っている」
「僕を宝具として使うんだ。天の鎖ではなく、楔として」
「ふざけるな」
「ふざけてない」
エルキドゥは穏やかに笑う。
「君の蔵の中で、一番神に届くものは何?」
ギルガメッシュは答えなかった。
答える必要はなかった。
エルキドゥ自身。
神に造られ、神を縛るための存在。
神性に対する最大級の楔。
「僕を天蓋に撃ち込めば、穴が開く」
「貴様はまた、勝手に己を道具扱いする」
「道具だよ。元々はね」
「黙れ」
ギルガメッシュの声が低くなる。
怒っていた。
だがエルキドゥは、静かに首を振った。
「でも、君が友と呼んでくれたから、僕は道具だけではなくなった」
天蓋の外で、青白い裁きが地上へ落ちようとしている。
時間がない。
「だから、今だけは信じて。僕は壊れるために言っているんじゃない。君と一緒に勝つために言っている」
ギルガメッシュは、長い一瞬の沈黙の後、笑った。
ひどく不機嫌に。
ひどく王らしく。
そして、ほんの少しだけ嬉しそうに。
「よかろう」
王はエルキドゥへ手を伸ばす。
「壊れたら許さんぞ」
「努力する」
「努力では足りぬ。命令だ」
「分かった。王様」
エルキドゥの身体が鎖へ変わる。
一本ではない。
無数の鎖が束ねられ、一本の巨大な槍のような形になる。
神を縛る楔。
ギルガメッシュはそれを王の財宝の射出口に重ねた。
黄金の門が、友を射出する弓となる。
王は叫ぶ。
「行け、エルキドゥ!」
緑の楔が放たれた。
天蓋へ突き刺さる。
空を閉じた檻が、内側から悲鳴を上げた。
天王の瞳が見開かれる。
「楔で、空を縫い破るか……!」
天蓋に亀裂が走る。
その亀裂から、黄金の光が漏れた。
ギルガメッシュが乖離剣を振るう。
今度こそ、狙いは一点。
天蓋の亀裂。
天王の神域の核。
地上へ落ちようとしている空の裁き。
「天地乖離す開闢の星」
収束された乖離の風が、亀裂を通って外へ放たれる。
全力ではない。
しかし、概念としては十分だった。
閉じられた空を裂く。
天蓋が砕けた。
同時に、地上へ落ちていた青白い裁きが途中で割れる。
二つに裂かれた空の圧力は、士郎たちのいるビルの左右へ逸れ、空中で霧散した。
凛はその場に座り込みかける。
「助かった……?」
士郎は空を見上げた。
砕けた天蓋の中から、エルキドゥが人の姿へ戻って落ちてくる。
ギルガメッシュのヴィマーナが急降下し、彼を受け止めた。
王は不機嫌そうに言う。
「無様に落ちるな」
「君が撃ったんだよ」
「受け止めた」
「ありがとう」
「礼などいらん」
二人は短く言葉を交わす。
それだけで十分だった。
天王は王笏を下ろした。
神紋による超過が終わり、玻璃堂カイは空中で膝をつく。
魂を削られた反動で、顔色が紙のように白い。
天王の神域も揺らぎ始めている。
ギルガメッシュは彼を見下ろした。
「終わりか、天を名乗る者」
天王は静かに答える。
「今宵は、な」
王笏が光る。
撤退術式。
凛が叫ぶ。
「逃げる!」
アーチャーが矢を放つ。
だが、空の距離が一瞬だけ伸び、矢は届かない。
天王は玻璃堂カイを連れ、青い光の中へ消えていく。
最後に彼は、ギルガメッシュとエルキドゥを見た。
「英雄王。神造の楔。次は、空のすべてを閉じる」
ギルガメッシュは笑った。
「次があると思うな」
天王は消えた。
神域が解ける。
夕暮れの空が戻る。
人々は何も知らない。
ただ、今日は雷が鳴りそうだったね、と話すだけだろう。
◆
夜。
新都のビル屋上に、士郎たちは集まっていた。
ギルガメッシュのヴィマーナはすぐ近くに浮いている。
エルキドゥはその端に座り、少し疲れたように空を見ていた。
ギルガメッシュは腕を組み、不機嫌そうにしている。
凛は警戒を解かない。
「で、あんたたちはどういうつもりなの」
ギルガメッシュは凛を一瞥する。
「雑種に説明する義務はない」
「相変わらず腹立つわね」
エルキドゥが苦笑する。
「ごめんね。彼は昔からこうなんだ」
「昔からで済む問題じゃないわよ」
士郎はエルキドゥを見る。
「お前は、神杯を止めたいんだよな」
「うん」
エルキドゥは頷いた。
「神杯は縁を歪めている。僕とギルの再会も、イリヤという少女の復活も、ヘラクレスの守護も、全部」
士郎の表情が変わる。
「イリヤを知ってるのか」
「直接は知らない。でも神杯の中で強く響いている。彼女の願いは、とても痛い」
エルキドゥは士郎を見た。
「君は彼女を助けたいんだね」
「ああ」
「なら急いだ方がいい。神杯は彼女の願いを核に近い場所へ引き寄せている」
凛が顔を強張らせる。
「核に?」
「うん。白い少女の願いは、死者の未練と神の終末性を繋ぐのに都合がいい。神杯は彼女を、終末神の契約者としてだけでなく、儀式の鍵にしようとしている」
士郎の拳が震える。
「また、器にするつもりなのか」
エルキドゥは静かに頷く。
「たぶん」
その瞬間、ギルガメッシュが口を開いた。
「ならば壊せ」
士郎は彼を見る。
英雄王は冷たい目で、黒い神杯を見上げていた。
「器にされることを望まぬ者を器にする。神も人も変わらぬ。実に不愉快だ」
凛が少し驚いたように見る。
「あんたが他人のために怒るなんて珍しいじゃない」
「勘違いするな、遠坂」
ギルガメッシュは不遜に笑う。
「我は我の気に入らぬものを砕くだけだ」
エルキドゥが小さく笑った。
「それでいいよ、ギル」
「貴様も笑うな」
「嬉しいんだ」
「何がだ」
「君がやっぱり君だったことが」
ギルガメッシュは答えなかった。
だが、その沈黙は拒絶ではなかった。
士郎は二人を見ていた。
再会。
ギルガメッシュとエルキドゥ。
士郎とセイバー。
士郎とイリヤ。
ヘラクレスとイリヤの残響。
神杯戦争は、失われたものを戻す。
だが、それは救いではない。
戻された者たちは、戦うことを強いられる。
再会は、別れをもう一度やり直させるための罠になる。
ならば、神杯を壊すとは何か。
再会そのものを否定することなのか。
それとも、再会を戦争の道具にする神杯だけを否定することなのか。
士郎はまだ答えを持っていなかった。
けれど一つだけ、分かったことがある。
イリヤに会わなければならない。
彼女の願いを聞かなければならない。
終わりたいのか。
生きたいのか。
会いたかっただけなのか。
それとも、まだ言えていない願いがあるのか。
それを聞くまで、救うなどと言ってはいけない。
その時、凛の宝石板が淡く光った。
新たな情報。
柳洞寺で得た智慧神の羽根が、イリヤの接続線解析を進めていた。
凛は画面を見る。
そして、息を呑む。
「士郎」
「何だ」
「イリヤの反応が出た」
士郎の心臓が跳ねる。
「どこだ」
「アインツベルンの森じゃない。新都でも柳洞寺でもない」
凛はゆっくりと画面を見せる。
そこには、冬木市地下の霊脈図が表示されていた。
その中心。
かつて大聖杯があった場所より、さらに深い場所。
「神杯の根に近い……地下霊脈深層」
セイバーが静かに言う。
「彼女はそこに?」
「たぶん、呼ばれてる。終末神と一緒に」
アーチャーの表情が険しくなる。
「罠だな」
「でしょうね」
凛は頷いた。
「でも、行かない選択肢はない」
士郎は立ち上がった。
「行く」
凛は彼を見た。
「何をするか、分かってる?」
「ああ」
士郎は答える。
「戦う。けど、その前に聞く」
セイバーが隣に立つ。
「私も参ります」
アーチャーが肩をすくめる。
「止めても無駄か」
リチャードは笑う。
「ならば、王の剣も同行しよう」
エルキドゥは穏やかに言った。
「僕も手を貸すよ。神杯の縁を縛るには、僕の鎖が役に立つかもしれない」
ギルガメッシュは不機嫌そうに目を細める。
「勝手に決めるな、エルキドゥ」
「嫌?」
「我の友が行くなら、我が見届けぬ理由はない」
凛が顔を引きつらせた。
「何この急に増えた大戦力……」
士郎は黒い神杯を見上げる。
そこに、イリヤがいる。
終わりを願った少女。
もう一度会いたいと願った妹。
神杯に利用され、終末神と契約した存在。
次に会う時、言葉だけでは届かない。
だから、方法を持っていく。
仲間を連れていく。
剣を持っていく。
そして何より、彼女自身の願いを聞きにいく。
夜が始まる。
神杯戦争、第六夜。
英雄王と神造の友は、再会を戦争の道具にされながらも、天を裂いた。
その空の下で、衛宮士郎は一つの答えに近づき始める。
救うとは、相手の願いを奪うことではない。
願いを選び直せる場所まで、手を伸ばし続けることだ。
そして地下深く。
黒い神杯の根に近い場所で、白い少女は目を開けた。
隣には、終末神。
イリヤは静かに空のない天井を見上げる。
「お兄ちゃん、来るかな」
終末神は答えない。
イリヤは小さく笑った。
「来るよね。だって、お兄ちゃんだもん」
その声は嬉しそうで、寂しそうで。
そして少しだけ、怖がっていた。
黒い神杯の鼓動が、地下霊脈に響く。
次の戦場は、空ではない。
願いの底。
死者の未練と、神の終末が絡み合う場所。
第七話へ続く。
コメント
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あおいです🤍 第6話、一気に読んじゃいました。 ギルガメッシュとエルキドゥの再会、「久しぶりだね」で始まるのに、すぐ宝具と鎖が飛び交う感じがもう…お互いの距離感が絶妙で。王の「エルキドゥ!」って声が初めて荒くなるあの瞬間、胸がぎゅっとなりました。地上からみんなが支える展開も熱くて、士郎の「救うとは願いを奪うことじゃない」という気づき、とても響きました。次が待ち遠しいです🌷