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気が付くと、由樹は紫雨をソファの下に突き落としていた。
「いててててて」
紫雨がムクリと起き上がり、頭を撫でる。
「ご、ごめんなさい。一瞬、その、牧村さんに見えて……」
言いながら由樹は紫雨に手を伸ばした。
「………お前さ。牧村でも俺でも関係ねぇよ。自分を襲った相手の手を取るバカがどこにいんの?」
紫雨が由樹を睨みながら続ける。
「………林―、もういいよー」
と、隣の客間から林が引き戸を開けて出てきた。
「え、あ、あれ?」
慌てて見上げると、林も私服姿で由樹を見下ろしていた。
「紫雨さん、やりすぎです」
彼が静かに言うと、紫雨は首を抑えながら頭を左右に振った。
「抵抗、できんじゃん」
のそのそと立ち上がると、由樹の隣に再度腰を下ろした。
「なんで抵抗しなかったんだよ牧村のとき」
紫雨が睨むように由樹を見据える。
反対側に林も座る。
「そんなに牧村さんって人の力は強いんですか?」
「………」
由樹は二人の顔を交互に見つめてから俯いた。
「俺……」
「うん?」
紫雨が覗き込む。
「篠崎さんに裏切られたと思って……」
「……はい」
林も頷く。
「じ、自暴自棄に……」
言うと、紫雨と林はそれぞれ息を吐きながら左右に倒れた。
「………ほんと、最低ですよね。呆れられるのもわかります」
由樹が言うと、
「ほんと、呆れ果てて言葉が出てこないです」
林が眉間に皺を寄せながら言った。
「そんな幼稚な理由で浮気されてたんじゃ、篠崎さんの身が持ちま――――」
「わかるなあ!」
紫雨が大声を出しながら起き上がった。
「信じさせない方が悪いんだよ!なあ?新谷!」
「え?」
由樹は思わぬ援護者に口を開けた。
「篠崎さんや林には、もし俺たちがいなくても輝かしい未来が持ってるだろうぜ。だって男も女もこの世には溢れているから。でも俺たちは違うだろ?」
紫雨が肩を抱いてくる。
「男なんて、人類の半分しかいない。しかもその中でゲイなんて、ほんの一握りだ、一握り!」
言いながら抱いた方に力を込めた。
「この不安がさ、ノンケにはわからないんだよな…」
一言にくくられた林が紫雨を睨む。
「あークソ。新谷がエロいからちょっと勃ったわ」
紫雨が自分の盛り上がったスウェットを見下ろして言った瞬間、林の平手打ちが空を切った。
紫雨が頭を抱えてよろける。
「痛えな!なにすん――」
「どっちが信じさせないんですか!ノンケが、ノンケがって言って、裏切るのはいつだって、あんた達の方でしょうが!」
言いながら由樹の頭上で、林が紫雨のスウェットの胸ぐらを掴む。
「あんたたちは、ノンケとひとくくりにして呼びますけどね、俺たち全員が、世界中の男でも女でもいいわけないでしょう!」
林が紫雨の顔に自分の顔を寄せる。
「他の男にも女にも興味なんてない……!それなのに、あんたたちはちょっといい男を見つけるとホイホイと……!」
「……おい林。落ち着けよ!今は俺たちの話じゃなくて……」
「紫雨さん!俺は男だからじゃなくて、あんただから……!」
「おい!!何ハズいこと言おうとしてんだよ!!」
「だってあんたが……!!」
「わかったよ。わかってるって!」
「わかってない!!」
由樹は黙って自分の頭上で交わされる会話を見つめていた。
『新谷じゃなかったら、絶対あり得なかった』
篠崎の言葉が脳裏に聞こえてくる。
『他の誰でもないお前だったから、俺は、男であるお前を好きになったんだ』
由樹は改めて怒りに紅潮する林を見上げた。
「俺の気持ちを、あんたが勝手に決めるなよ……!」
わなわなと唇を震わせ、愛する人を睨み上げている。
「落ち着けって。わかってるから」
紫雨は苦笑いをしながら林の頭を撫でた。
「…………」
由樹は尻を滑らせてソファから降り、両側の男たちの争いから抜け出ると、ローテーブルに突っ伏した。
「……あ、おい、新谷?」
紫雨がまだ怒りの収まらない林をなだめながら、由樹の脇に座った。
「……新谷君。どうしたんですか」
仕方なくソファに座って膝に肘を掛けた林も覗き込む。
由樹は顔をふっと上げて、2人を振り返った。
「………やっぱり。怒りますよね、そうやって」
「は?」
「え……」
2人が同時に口を開ける。
「普通、浮気をされたら、怒りますよね」
「…………」
「…………」
2人が顔を見合わせる。
「………もしそれが、好きな相手だったら」
由樹はもう一度ローテーブルに顔を突っ伏した。
「篠崎さんは、怒ってくれなかった……」
ガラスのローテーブルに由樹の涙が落ちる。
そう。
好きだから、怒るんだ。
盗られたくないから、怒るんだ。
怒らないってことは…………。
由樹は胸から腹から、全ての内臓と筋肉が剥がされるような痛みを覚えた。
「もう、俺のこと、どうでもいいってことだ……!」
あの夜から、篠崎と別れた夜から、我慢していた涙が一気に溢れ落ちる。
「……これは」
紫雨が林を見る。
「意外と深刻な事態かもな……」
林も由樹の震える肩を見つめながら頷いた。
◇◇◇◇◇
「うう……あ、ああ…っ」
林は新谷の震えるような変な声で目が覚めた。
「あ、わ。な…なんで……?」
ムクリと身体を起こす。
隣に寝ていたはずの紫雨の姿は―――ない。
「あ、無理。……これぇ!あ、また……ああっ!」
(あいつら、性懲りもなく……!)
林は飛び起きると、廊下に飛び出してリビングに飛び込んだ。
「……林さん。助けてください……!」
新谷が涙目で振り返る。
「何してんの。君」
林は目を細めた。
「一宿一飯の恩義を返そうと思いまして……」
「それで?」
林は目の前の焦げた黄色い塊を見つめた。
「卵があったので、卵焼きを作ろうかと……」
「あー、卵焼きかー」
ソファに座ってコーヒーを飲んでいる紫雨が笑う。
「スゲー匂いだから豚のクソでも焼いてるのかと思ったー」
「…………」
林は無言で新谷の手からフライパンを奪った。
「卵ってのは火を通すから焦げ付きやすいんだよ。いい?」
言いながら焦げ付いたフライパンを水につけ、違うフライパンを取り出すと、コンロに置いた。
冷蔵庫から慣れた手つきで卵を二つ取り出すと、ボールに片手で割っていく。
「甘いのが好き?しょっぱいのが好き?」
新谷を見ると、彼は泣きはらした腫れぼったい目で、
「甘いのが好きです」
と微笑んだ。
「了解」
みりんを卵に入れる。
「みりん…ですか?」
新谷が覗き込む。
「砂糖でもいいけど、だまになりやすいし、焦げやすい。苦手ならみりんの方がハードル低いよ」
「へえ…」
新谷は慣れた様子で卵を菜箸でかき混ぜていく話の手を見つめた。
「油は多めね。まずは中火で温める」
IHコンロのスイッチを入れる。
「温まったら弱火にする。あとは丁寧に巻いていく。焦げるのが怖かったら、フライパンをコンロから外して、ゆっくり。ね」
言いながら実際にコンロから外して、鍋敷きの上で巻いて見せる。
「巻き終わったら形を整えながら火が通るのを待つ」
言いながら四角いフライパンに押し付け、形を整えている。
「ほら。簡単」
林は新谷の前にあるフライパンに卵焼きを落とした。
「すごい……」
「こんなの普通で―――」
林は新谷の顔を見つめた。
「………普通に落ち着いてやったらできるよ、君でも」
言うと新谷は口元を上げて微笑んだ。
「はい!今度、家でもやってみます!」
言ったそばから、新谷の顔が曇る。
「あ、家、まだ見つかってないんだった……」
何と言っていいかわからず、林はまな板にあがった卵焼きに包丁を入れた。
「はい、味見」
それをしょげている新谷の口の中に突っ込む。
「熱っ、熱いですよ!」
みるみる新谷は涙目になっていく。
「でも、うまいです!」
親指を立てる。
客観的に見れば、ころころ表情が変わるこの男が可愛いのはわかる。
いいやつだし、意外に男気もある。
しかしどうだろう。
浮気されたとしたら、許せるだろうか。
「俺ももーらいっ」
いつの間にか脇に来ていた紫雨が卵焼きをつまんでいく。
自分ももし、愛する人に裏切られたらーーー。
「俺たちも家、探してんだよ」
紫雨が新谷に言った。
「あ、そうなんですか?」
「そう。一応裁判終わるまでは現状維持ってことで、傷も直さずにここに住んでたけどさ。もう終わるから」
「あ」
新谷は痛々しい部屋を見回した。
「そうなんですね」
紫雨は食べ終わった自分の指を嘗めながら、新谷を見つめた。
「ついでに、お前の部屋も、探してやろうか?」
「……え」
新谷の目が真ん丸に開かれる。
紫雨はまっすぐに新谷を見ると、はっきりと言いはなった。
「戻って来いよ。天賀谷に」
◆◆◆◆◆
臀部と腰に、違和感と痛みを覚えて牧村は目を開けた。
「お、起きたか?」
自分の足と足の間で、男がこちらを見下ろしている。
「ちょっと。勘弁してくださいよ。今日も仕事なんですから」
軽く突き放そうとすると、ぐいと足を高く持ち上げられた。
「くっ」
「……お前、セゾンちゃんとするときは、どっちするんだよ?」
男は牧村の太腿の下に自分の足を滑り込ませ、角度を固定すると、枕に押し付けられた牧村の顔を見下ろした。
「………あんたに関係ないでしょ。ホントにやめてくださいって」
硬いものが入り口に宛がわれているのを感じながら睨み上げる。
「つーか、家に帰らなかったんですか?」
「ああ。悪いか」
男がふっと笑う。
「平気なんですか?奥さんに不貞行為で慰謝料請求されるなんて、死んでもごめんですよ」
牧村が男を睨む。
「大丈夫だよ」
男が牧村の耳に口を近づける。
「男が男の家に泊まって、不貞行為をしてるなんて思う奴、そうそういねえだろ?」
「…………」
(この下衆男が……!)
「要はお前がバレなきゃいいんだ」
入り口に当てられたものがほんの数センチ挿入される。
「や、やめろって……!」
「お前が脇をちゃんと締めて、他の男との遊びもほどほどにして、ゲイであることを隠し通せばいいんだろうが!」
「う……っ」
一気に奥まで挿入され、牧村は顎を高く上げた。
「俺だけにしとけとは言わないけどなー、簡単に見られてんじゃねえよ!」
容赦ない挿送が繰り返される。
牧村は目じりに涙を浮かべつつ、強制的に与えられる不快な圧迫感に耐える。
「ん……ぐ…っ、んんっ…」
唇が合わせられる。
滑った舌が入ってくる。
(早く……)
「……が……んっ、は…」
(早く、終われ………!)
◇◇◇◇◇
ネクタイを締めると男は振り返った。
「お前もそろそろ起きないと遅刻するぞ」
牧村はやっとのことでベッドから足を下ろすと、男を見上げた。
「新谷とは……」
「ああ?」
「セゾンの新谷とはそういう関係じゃない。勘違いしないでくださいよ」
言うと、男はふっと鼻で笑った。
「お前たちのことに興味はない。ただ他の奴らに変な噂を立てられるなって言ってるだけだ」
上着を着て、コートを腕に引っ掛け鞄を持ち上げる。
「お前もカモフラージュに一旦女でも作ったらどうだ。勃たないわけじゃねぇんだろ?」
男は笑うと、牧村のマンションを出て行った。
「……この……クソ店長が……!」
その閉まったドアを睨み上げながら、牧村は舌打ちをした。