コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
――牧村が入社した6年前、仲野は店長ではなく副長だった。
36歳。バリバリと営業をこなしていた彼は、牧村を含む新人スタッフの教育係になった。
同期は4人いたが、この6年間で牧村以外みんな辞めてしまった。
ファミリーシェルターの企業としての成長のスピードが速く、それについていけない者たちは、老若問わずに振り落とされていった。
超特急新幹線のようなファミリーシェルターに、自分がなんとかしがみ付いていられたのは、自分の右手をいつも掴んでいてくれた仲野がいてくれたからに他ならない。
営業スタッフというのは総じて個性が強い。
自己顕示欲の塊とでも言うべく自分のスタンスを確立できた者だけが生き残るのだから当然だ。
そんな中で歯を食いしばって貪欲に成長しようとする新人に、老輩たちは揃ってアドバイスをしたがった。
ほっといても勝手に育っていくだろう有能な成長株に、“育ててくれたのは●●さんだ”と言ってもらいたいがためだけに。
しかし牧村は、技術の習得も、話術の形成も、知識の吸収も、全て仲野を選んだ。
一人の営業マンとしての技術を、スタンスとこだわりごと盗むことによって、それを吸収し、咀嚼し、自分の物にしようと決めた。
仲野は幸いにして既婚者だった。
ノンケの既婚者になんて自分は興味がない。余計な感情を持つこともないはずだった。
牧村は一心不乱に勉強し、仲野にべったりくっついて歩いた。
そして入社2年目にして、全国新人スタッフの頂点に立つと、4年目、仲野が店長になったタイミングで、彼の成績と肩を並べた。
その頃にはもう仲野にべったりくっつくこともなくなり、自分なりの営業スタイルを築き上げていたが、それでも仲野の動向にはいつでも気を配っていた。
仲野が新しくできたハウスメーカーの偵察に行くと聞けば同行し、メーカー主催の床暖房発表会に彼が呼ばれれば付き人としてついていった。
その帰りの車で、事件は起こった――。
季節は梅雨真っ只中。
激しい雨が降っていた。
仲野が運転する高級セダンの助手席に座り、牧村はワイパーが高速で左右を行ったり来たりするのをただ眺めていた。
「俺、実は、離婚したんだ。先月の今頃」
赤信号で停車中、仲野がハンドルを握りながら、唐突に話し出した。
「え、離婚?なんでですか?」
牧村は動揺しながら運転席に座る仲野を見上げた。
「うちのかみさん、子供出来なくてさ。知ってるだろ?」
仲野から直接聞いたことはないが、結婚は20代のうちだったと聞くし、周りのスタッフも彼に対して子供の話題は避けているように見えたため、なんとなくは感じていた。
「検査も、治療も、もう何百万とかけてやってきたんだけど――。ついにかみさんの心が折れちゃってさ」
「はい」
「俺は、要らないって言ったんだよ。子どもなんか要らない。お前さえいればいいって。お前と二人で旅行したり、おいしいもの食べたり、それでいいって言ったのに」
「…………」
「暴れ出してさ……」
彼の顔に、フロントガラスを滴り落ちていく雨と、それをせわしなく履き散らすワイパーの影が出来ている。
牧村は生まれてこの方、男しか好きになったことがない。
中高一貫の男子校を出ており、女とつるんだことがまずあまりない。
だから女の気持なんかわからない。
しかしこのときだけは、なぜかわかった。仲野の妻の気持ちが……。
「奥さんは……“子供なんか要らない”じゃなくて“お前がいればいい”じゃなくて、“そうだね、子供、欲しかったね”って一緒に泣いてもらいたかったんじゃないですかね…」
ポロリと言葉が零れた。
「………」
信号が青になった。
「知ったような口利きやがって」
その瞬間、仲野は左にウインカーを出し、国道から少し入った、タイヤチェーンを装着するための細い停車場に車を滑らせた。
初夏だ。
誰も他に車は停まっていない。
その駐車場に車を停車すると、仲野はこちらを見つめた。
「お前、男が好きなんだろ」
急に言われた言葉の意味が一瞬分からなかった。
「こんなにずっとくっついてくればわかる。お前、若くてこんなにイケてるのに、女どころか女友達の匂いもさせねぇなんて、そりゃ、バレるって」
言いながら肩に腕を回される。
「俺はお前が可愛いよ。なんでも素直に吸収して、子犬みたいにずっと後ろをついてきて、それでいて、気が強くてへこたれなくて」
「………」
牧村は何も言えずに、数秒前まで尊敬していた上司を見つめた。
「俺、女はもうコリゴリなんだよ」
その目から涙がじわっと滲んできた。
「なあ、牧村。いいだろ……?」
彼の手が牧村の頬に触れた。優しく包むと、4年間ずっと嗅いできたコロンの香りがした。
「……ッ!」
牧村は困惑して目を伏せた。
それを受入れられたと勘違いした仲野は、ぐいと肩を引き寄せ、唇にキスをした。
――その日から、不毛な関係が始まった。
一度そうなったら、仲野はタガが外れたように牧村を求めてきた。
夜の業務を疎かにしたり、朝遅刻したりするくらいの怠慢を期し、部下である牧村が戒めることもあったほど、彼は牧村との情事に溺れていった。
「……すげえ。女とするのと全然違う」
仲野は牧村の中に入る度、そう呟いた。
「気持ちいい…。なんでこんなに熱くてきついんだよ」
知るか。
牧村は鼻で笑いたくなった。
仲野のセックスは単調でつまらなかった。
ただ“男を抱いている”という仲野の背徳感に付き合うセックスだ。
どちらに問題があったのかは定かではないが、女性を妊娠させられなかったモノで、妊娠する可能性のない男の、妊娠をするはずのない臓器に挿れ、受精することのない精子を排出するだけの行為。
それが仲野を興奮させ狂わせていくのが、彼の血走った目から、浮き上がったこめかみの血管から、気づかずに爪を立てる指先から、何度吐き出しても終わらないその行為の異常性から、牧村にもわかっていた。
でも自分には彼への恩がある。
営業マンとして成長し、この世界で食べていけるようになったと自信をもって言い切れるのはこの男のおかげだ。
牧村はこの暴力的なまでの行為に耐えるため、身体を鍛え始めた。
傷つかないように。
壊れないように。
死なないように。
そんな牧村の努力を知ってか知らずにか、仲野は行為後、牧村を抱きしめて笑った。
「お前、こんなに身体たくましかったか?入社した時はあんなに華奢だったのに」
そして必ずこう続けたのだった。
「愛してるよ。ずっと一緒にいよう」
――仲野が若い女と再婚したのは、牧村と関係を持ってから、たった半年後のことだった。
牧村はベッドの上で1本煙草を吸い終えると、それを灰皿の上で潰し、ゆっくりと立ち上がった。
やはり昨夜散々抱かれた翌日にもう一度されると、さすがにきつい。
もちろん中も痛いのだが、何せ男には無理な体勢を強いられるのだから、腰と背中が痛い。
「あーくそ……」
ゴキゴキと音を立てて軋む身体を左右に振ると、牧村はバルコニーからこれでもかと注ぐ太陽の光を見た。
「……晴れてんなぁ。これでちょっとは雪も溶けるかな」
言いながらのびをする。
口から枯れた声が漏れる。
やっぱり――。
いくら肌を合わせても、
いくら刺激し合っても、
いくら欲望を吐き出しても、
いくら意味のない言葉を囁いても――――。
「愛がねえと、セックスなんて気持ちよくねえよな……。新谷」
その名前を呟いただけで、自分の中にあった真っ黒な感情が、身体に染み込んだ汚いヘドロが、少しだけ浄化されたような気がした。
吸い足りずにもう1本を口にくわえ、火をつけた。
なんとはなしに傍らに置いてあった携帯電話を手にする。
着信もメールも着ていないことを確認して、ため息をつく。
「………」
そのディスプレイには、青いマイクを模したアイコンがある。
セックスをする間、その行為を、息づかいを、囁き合う言葉を、録音するのは癖になっていた。
いつか仲野の妻が、自分を訴えた時、
仲野が自分に罪を全部なすりつけようとした、その時は、
この音声を妻に、そしてその弁護士に、聞かせてやるつもりだった。
牧村は録音されたファイルのうち、1つを見つめた。
【11月28日】
その字を見ながら、牧村は煙草を歯で噛んだまま、
「さて。どうしたもんかな」
唇の端から白い煙を吐き出した。