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第四話 正しい街の歩き方
朝の光は、すべてを正しく見せる力があると思う。
窓辺に立ち、庭に落ちる陽を眺めながら、私は小さく息をついた。空気は冷たいけれど、いつもの冬の刺すような寒さとは違う。太陽がいつもより顔を出しているからだ。
こんな日は外へ出かける、絶好の日だ。
「今日は城下町へ行きましょう」
振り返ってそう告げると、部屋の隅に控えていたウラシェルが、わずかに目を見開いた。
「町、ですか」
「ええ。ずっと館の中では退屈でしょう? 外の空気を吸うのも大切なことです」
本当は、退屈させているつもりなどなかった。けれど彼はまだ、この土地の生活に慣れていない。新しい景色を見れば、きっと心もほぐれるはずだ。
それが“正しい導き方”だと、私は信じて疑わなかった。
馬車が城門をくぐる。
石畳の振動が足元から伝わってきて、私はカーテンの隙間から外を眺めた。朝の城下町は、すでに賑わい始めている。荷車の音、呼び声、パンを焼く香ばしい匂い。
「ほら、見てご覧なさい」
向かいに座るウラシェルに声をかける。
彼は窓の外を見ているけれど、視線は景色ではなく、人の流れをなぞっているように見えた。誰がどこへ向かい、どこが空いているのかを測るような目。
緊張しているのだろう、と私は解釈した。
「怖がらなくていいわ。ここは守られた街ですから」
そう言うと、彼は小さく頷いた。
城門の兵士がこちらに敬礼する。その視線が一瞬だけウラシェルへ向いたことに、私は気付いた。
きっと見下している目。
なんということでしょう。
町へ降り立つと、色と音が一斉に押し寄せてきた。
露店に並ぶ果物の赤。布地屋に吊るされた青や金の布。子どもたちが走り回り、犬が吠え、どこかで誰かが歌っている。
「綺麗でしょう?」
私は思わず微笑む。
「あなたは、こんな場所を見るのは初めてかもしれませんね」
彼は答えない。ただ静かに周囲を見ている。
人混みの中でも、なぜか彼の周りだけ薄く空間ができている気がした。皆、無意識に距離を取っている。けれどそれは、きっと見慣れない風貌のせいだろう。悪意ではない。
私はそう考えることにした。
布地屋の前で足を止める。
「少し寄りましょう」
店の中は、柔らかな布の匂いで満ちていた。棚には色とりどりの反物が並び、光を受けて揺れている。
「このあたりが良さそうね……」
私は一枚の深い藍色の布を手に取った。夜空のような色。彼の髪に似ている。
「あなたに似合いそうだわ」
そう言って肩に当ててみせると、店主が愛想よく笑った。
「お嬢様の召使いですかな? ずいぶんと整った顔立ちで」
悪気のない声だった。
私は軽く微笑み返す。
「ふふ、ええ。まだこちらの暮らしに慣れていないのです。少しずつ教えているところで」
“教えている”という言葉を口にして、胸が温かくなった。誰かを正しく導ける立場にいることは、神から与えられた役目のように思える。
布を買い、彼に持たせる。
「ありがとうございます」と彼は言ったが、その声はどこか遠い。
広場を横切る途中、遠くの路地から怒鳴り声が聞こえた。
荒い男の声と、何かがぶつかる音。
私は眉をひそめる。
「まあ……朝から騒がしいこと」
治安の悪い区画ではないはずだが、酔っ払いか何かだろう。兵士に見つかればすぐに追い払われる。
ウラシェルは、そちらをじっと見ていた。
その横顔に浮かんだ表情の意味を、私は読み取れなかった。ただ、早くこの場を離れた方がいいと感じたらしいことだけは分かった。
「行きましょう。ああいうのは見なくていいわ。汚れてしまいます」
そう言うと、彼は何も言わずついてきた。
帰りの馬車の中。
私は満足感に包まれていた。
「今日は楽しかったでしょう?」
向かいに座る彼に微笑みかける。
「町はにぎやかですが、危ないことはほとんどありません。皆、神の教えのもとで生きているのですもの」
彼は少し間を置いてから答えた。
「……はい」
短い返事。
けれどそれで十分だった。
「少しずつ慣れていきましょうね。分からないことは、私が教えて差し上げますから」
守るように、導くように、言葉を重ねる。
窓の外で、城の塔が近づいてくる。
この子はもう寒さに震えなくていい。飢えることも、殴られることもない。正しい祈りと、正しい言葉と、正しい暮らしの中で生きていける。
それは疑いようのない幸福だと、私は信じている。
彼が窓の外ではなく、足元ばかり見ていることにも気づかないまま。