テラーノベル
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カイルの絶叫が、静かな寝室に響き渡った。
「あの侍従……! よくも……!」
そのとき、カイルはすべてを悟った。
今日一日、廊下ですれ違う使用人たちが妙ににやにやしていたこと。騎士たちまで、なぜか生温かい目でこちらを見ていたこと。
「…………ま、まさか!?」
――そう。噂はすでに、皇宮中に知れ渡っていたのである。
***
少し時間を遡る。事の発端は、カイルが侍従へ渡した一枚のメモだった。
『寝間着――柔らかい生地。着心地のいいもの』
ただ、それだけ。ところが命を受けた侍従は、よりにもよって夫婦や恋人御用達の高級服飾店へ直行した。
「皇太子殿下から、妃殿下への贈り物でございます」
「新婚の奥様への?」
「ええ。『柔らかく、着心地のいいものを』とのご命令です」
「でしたら、とっておきがございます!」
店主が満面の笑みで差し出したのが――例の寝間着だった。
そして──。
「あのカイル殿下が、妃殿下に寝間着を!?」
「政略結婚ではなかったのか……?」
「意外とお熱いのね……」
噂は瞬く間に広がり、今や皇宮中がその話題でもちきりになっていたのである。
***
「ただではおかん……!」
「まあまあ。落ち着いてくださいませ」
怒り心頭のカイル殿下とは対照的に、私はすこぶる上機嫌だった。
「私はこの寝間着、とっても気に入りましたわ。肌触りも抜群ですし……その優秀な侍従には、処罰どころか金一封を差し上げたいくらいですもの」
「何が優秀だ!」
(だって、あんたを動揺させて、こっちのペースに引きずり込むには最高の品なんだもの♡)
私はちらりと枕元へ視線を向けた。そこには、昼間アンナに用意させておいた高級香油の小瓶が置かれている。これこそ、昨日から準備していた『次の作戦』の切り札だ。
「ところで殿下」
「……何だ」
「せっかく素敵な寝間着をいただきましたし――今夜は私から、殿下をたっぷり『癒やして』差し上げたいですわ」
「……何だと?」
カイル殿下の眉が、ぴくりと動いた。
「私、本で学んだのですの。とっておきのマッサージを」
私は枕元の小瓶を手に取った。
(まずはマッサージで、身体と心をほぐす)
そして、気を緩ませたところで――。
(宝物庫へのチケットをいただくってわけよ♡)
我ながら完璧な作戦だ。
「これは皇室御用達の香油だそうですわ。公務に騎士団の演習に、今日もお疲れでしょう?」
手のひらに数滴垂らすと、上品な花の香りがふわりと広がった。
「さあ殿下。こちらに、うつ伏せになってくださいませ♡」
「…………」
「殿下?」
カイル殿下が、じろりと私を睨みつける。
「……何を企んでいる」
「まあ」
私は胸元に手を当て、悲しげに目を伏せた。
「せっかく妻が、愛する夫を労わって差し上げようというのに。人聞きの悪いこと」
「お前が何の見返りもなく俺を労わるとは思えん」
「…………」
ひどい。――と言わんばかりに、さらに目を伏せる。そして、瞳に、涙を浮かべてみせた。
「せっかく殿下がお疲れだと思って、わざわざ用意しましたのに……」
声まで今にも泣き出しそうに震わせる。
「そこまで信用していただけないなんて……私、悲しいですわ……」
「…………」
カイル殿下の表情が、目に見えて揺らいだ。
(ふふっ、効いてる効いてる♡)
「……もう結構です」
私はしょんぼりと肩を落とし、香油の蓋を閉める。
「少しでも殿下のお役に立てればと思った私が馬鹿でしたわ……」
(もちろん、嘘だけど!)
それにしても――。
(『愛する夫』なんて、自分で言っておいてゾワゾワするわね……)
私は小瓶を枕元へ戻し、そのまま立ち上がろうとした。
「では、私は自分の部屋へ戻らせていただきますわ」
「……待て」
(――かかった!)
危うく口元が緩みそうになるのを堪え、傷ついた妻の顔のまま振り返る。
「……何ですの?」
カイル殿下は、ばつが悪そうに視線を逸らした。
「……今のは、言い過ぎた。俺が悪かった。……そこまで言うなら、少しくらい付き合ってやる」
「まあ、嬉しいですわ♡」
(よし! 第一関門突破ね!)
「では、ガウンをこちらに。肩までしっかり揉みほぐしますから」
「…………」
「殿下?」
「……もっと灯りを落とせ」
「ふふっ。分かりましたわ♡」
私はベッド脇のランプを一つだけ残し、ほかの灯りを消した。
(……恥ずかしがりやなのね)
渋々とベッドへうつ伏せになるカイル殿下。私は香油を手になじませ、凝り固まった肩へそっと手を置いた。
「……っ」
「あら、力が入っていますわよ?」
「きゅ、急に触るな!」
「ふふ。では――ゆっくり触れればよろしいのですね?」
「そ、そういう意味では……っ」
(ふふ。いちいち反応が面白いわね)
笑いを堪えながら、肩をゆっくりと揉みほぐしていく。その時――薄暗い室内でも、彼の肩口にいくつもの傷跡があるのが見えた。
(……傷?)
一つや二つではない。白く薄れた古い傷から、まだ新しい細い傷まで。
カイル殿下は皇太子でありながら騎士団に所属し、日々の鍛錬を欠かさない。時には、自ら魔物討伐へ赴くこともある。
(そういえば、ゲームでもそんな設定だったわね)
(騎士として戦っているなら、これくらいは珍しくないのかしら)
私は再び肩へ優しく手を添えた。
「ずいぶん張っていますわね。今日も剣を?」
「ああ」
「騎士たちに任せて、後方から指揮なさるだけではダメなのですか?」
何気なく尋ねると、カイル殿下は少しだけ間を置いて呟いた。
「……後ろで命令しているだけでは、守れないものもある」
(……ふうん)
恋愛に関してはチョロいくせに、仕事では『氷の皇太子』と呼ばれているだけのことはあるらしい。
最初は石のように固かった彼の肩から、少しずつ力が抜けていく。 心地よい香りと温もりに、息遣いも穏やかになってきた。
(よし、だいぶほぐれてきたわね!)
私はそこで、ぱっと手を離した。
「では、今夜はこのくらいにしておきましょうか。お疲れ様でした、殿下♡」
「…………」
「あら? まだ何か?」
カイル殿下は顔を伏せたが、耳の先が真っ赤になっている。
「殿下?」
「……くそ、絶対に分かっていて言っているだろう」
「さあ? 何のことでしょう?」
首を傾げると、沈黙のあと――カイル殿下が消え入りそうな声で呟いた。
「……もう少し」
「え?」
「……もう少し、続けろ」
(……ふふっ。だいぶ、素直になってきたじゃないの♡)
コメント
1件
第7話読んだよ〜!カイル殿下、噂で皇宮中に知られちゃってるの笑った😂「氷の皇太子」のイメージが崩れ去ってる…!そして主人公の策士っぷりが憎いね。「涙で揺さぶる」作戦、まんまと引っかかる殿下可愛すぎる…。最後の「もう少し」は完全にノックアウトされてるじゃん♡ でも肩の傷跡の描写で、殿下の真面目な一面もチラ見せしてて、ギャップ萌えが止まらないよ…続き気になる〜!
ひより
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