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私は恵まれた環境ではなかった。
私は5人家族だった。母、父、兄、私、同い年の妹だ。それに発達がみんなより遅い方だと親から聞いたことがあった。私の母親は綺麗事やたられば話を嫌う人だった。
でも父親は私たちが生まれても、私たちの顔を伺うより、博打を打つことだと言っていた。それに父の母親が兄のことを、父親と顔がそっくりだわって言っていたと母から聞いた。
母は父親の母をとても嫌っていた。その理由は父親と同じく社会保護を受けて博打を打っているからだ。
それと同じく私は才能にも環境にも恵まれずに生まれた。
私と同い年の妹は、一卵性の双子だったため私たちは体が小さく弱かった。それで酸素を送る機械?の中にいれて治療していたこともあった。
私は心臓の血管が外れていて、放置していたら亡くなることも例外ではなかったため、すぐに血管を繋ぐ手術を行った。今もその手術跡は残っている。
私は小学生の1、2年生の時に分からない問題があって母親に聞いたことがある。だけど母親は待つことが嫌いな人のため、問題が解けなかったり遅いとよく叱られて殴られていたこともあった。
私は男性と話すことが苦手だった。理由は父親がよく母親や私たちに暴力を振るっていたからである。よく頭に残っているのが母親に父親が殴った時のことだった。その時は本当に死ぬほど怖かった。私は母親が泣く姿を見ていられなかった。
それに兄も殴られたことがあって鼻血を出していて急いでハンカチを渡して止血しようとした。今は父親とは疎遠なので大丈夫だが私自身は男性が怖くなってしまった。
私は怒られている時言葉を発せない理由は何か言ったら怒られるたり殴られたりする可能性があるからだ。それに母親は私たちが社会不適合者なのと父親の血を繋いでいてよく朝鮮人と言ってきた。
私だって親を選んで来たわけじゃない。才能や環境に恵まれたこともない。でも母親は私を産んでくれたんだから、少しづつでも恩返しはしようと思った。なぜか母親に感謝を言おうとすると自然と涙が出てしまう。母親が辛くてもしんどくても頑張って働いてくれてるのは死ぬほど見てきた。
父親が家の金盗んで博打打った時も、私たちが生まれて顔も見せに来なかった時も、全部母親がやってくれていた。
母親は本当に苦労してたんだと思った。でもいつも言える感謝の言葉は本当に思っている言葉。ここでも言うよ。
母へ父親が何もしなくても博打打ってお金盗んだ時も、いつも私達のために動いて働いてやってくれてたね。本当にいつもありがとう。心から感謝しているよ。私たちを産んでくれて社会に出た時の苦しさやマナーをしっかり教えてくれたね。ありがとう。
これからも苦労するかもしれないけど自分たちも少しずつ頑張っていくよ。いつもありがとう。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
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