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父の許しを得て、私はあくる日、いくと共に菊さんの元へ参りました。何ヶ月ぶりの菊さんでしょう! きっと、半年ぶりです。そう思うと、私はよく半年も監禁生活に耐えられたなと思いました。ですが、その程度のこと、へでもありません。菊さんにまた会えるなら。菊さんのお声をまた聞けるなら。どんな罰が下ったとしても、私は甘んじて受けるでしょう。それほどまで、あの方を慕っているのです。

久しぶりに訪れた日本様の屋敷には、菊さんの姿ではなく、綺麗な黒髪をした女性が菊の花の世話をしていました。

「あら、お客様かしら?」

その女性は私たちの方を見て、嬉しそうに微笑まれました。菊さんによく似た奥二重の賢そうな黒い目をしていました。

「……日本様に挨拶をしに参りました。日本様はご在宅でございましょうか。」

「あら、菊のお客様ですね。すぐ、菊を呼んできますから、どうぞお入り。」

女性は私たちを縁側に座らせ、優雅に奥へと入っていきました。いくが恥ずかしそうに私の着物の裾を握りました。

そして少し待っていると、奥の方から待ち焦がれていた声が聞こえました。

「初々しいお客様が来られたと聞いたから、いったい誰かと思ったら……こうちゃんのことでしたか。ふふ、久しぶりです。元気にしていましたか?」

菊さんは相変わらず美しくて、私は言葉を失ってしまうほどでした。

「……あ、お久しぶりです。すみません。なかなか、会いに行けなくて……」

「いえ、お気になさらず。どうぞ中に入りなさいな。今日は昔話をしにきたわけではないのでしょう。」

私たちは菊さんの後ろをついて、屋敷の中へ上がらせてもらいました。

私が初めて菊さんの屋敷の中に足を踏み入れた瞬間でした。

「それで、今日は可愛らしいお嬢さんを連れて、どんな用事ですか?」

やわらかく微笑んで、菊さんはたずねました。私は唾をごくりと飲み込んで、

「こちらの女性と婚姻を交わしましたので、挨拶に参ったのです」

と伝えました。すると、菊さんと菊さんに似ている女性が手を繋いで、自分のことのように嬉しそうに微笑まれました。

「それは、それはよかったですね!」

「おめでとうございます!」

「あ、ありがとうございます」

二人の勢いに押され、いくは些か気圧されたように微笑みます。少し、心がモヤっとしました。

「もう、結婚報告はいつ、何回聞いても嬉しいものですね! こうちゃんは、私の弟みたいなものでしたから……」

あの時の私の告白はまるでなかったかのように、菊さんは振る舞っていました。それがずいぶんとモヤモヤモヤモヤとして仕方がありませんでした。

「……ところで、あの、日本様。失礼ですが、そちらの女性はどなたでしょう?」

ついこぼれ出た私の質問に、二人は顔を見合わせ、おかしそうに笑い始めました。

「おや、挨拶していなかったのですか? まったく、あなたという方は……」

「そんなに怒らないで、菊。……わたくしは大日本帝國のもう一つの化身。大日本帝國をおさめるお国様の、実の姉ですわ。わたくしの老師は私を本田桜と呼ぶので、気軽に桜と呼んでください」

私は驚きのあまり、開いた口が塞がりませんでした。菊さんに姉君様がいらっしゃったことも、国の化身がまだいらっしゃったことにも驚いて、しばしの間、時が止まったかのように思えてしまいました。

「……知らないのは仕方がありませんわ。今の今までずっと家の中で隠れていましたから。本当に、開国した途端、弟の様子がガラリと変わったものだから、怖くて仕方がなかったですの……」

「え! 私、怖かったですか!」

表情豊かに桜さんと笑い合う菊さんが、今までに見たことのない鮮やかさで、目がチカチカと痛かったです。私の知る艶やかな菊さんではなく、大切なものを見る儚い菊さんでした。

「こうちゃんといくちゃんが、せっかく足を運んでくれたから、少しもてなそうかな。」

菊さんはゆっくりと立ち上がって、優しく微笑まれました。

「あ、わたくしの名前、ご存じなのですか……?」

「もちろん、私は国ですから。子供たちの名前はすべて覚えているのですよ。」

そうおっしゃった菊さんは、障子に手をかけ、廊下へ歩いていきました。

「お国様はすごいお方なのですね。国民みんなの名前を覚えるなんて、並程度のものではないでしょうし……」

「菊は子供たちを誰より愛していますから。」

いくと桜さんが可愛らしく顔を合わせて笑っていて、私はすくっと立ち上がりました。

「幸太郎様?」

「少し、日本様のもとへ行ってきます。……お世話になりましたから、少しでも恩返しをしたいのです。」

そんなでたらめを言って、私は廊下へと出ました。台所がどこにあるのかわかりませんでしたが、菊さんの影を追いかけて、私はやたらめったらとでたらめに台所へと向かいました。

幸い、向かった先がちょうど台所であり、そこで菊さんは羊羹やら和菓子やら、ちょっとした料理を盛り付けている最中でした。

「……菊、さん」

菊さんは私の方は振り向かず、陽気な声で言いました。

「おや、こうちゃん。着いてきたのですか? もう、あなたは昔からお菓子のことになると目がないのですから。今日もあなたのためにあなたの好きなお菓子を用意していたのですよ。ふふ。まさかお祝いで出すとは思いませんでしたが。……素敵な人にめぐり逢えて、よかったですねえ」

「……なぜあの時、父に聞けとおっしゃられたのですか。」

ふと、菊さんの動きがぎこちなくなりました。

「ああ……特に、意味はありませんでしたよ。」

「嘘ですよね。」

「……なぜ私が嘘をつかないといけないのですか?」

「だって、あの時、あなたは困っていらしたではないですか。だから、話をそらすため、父の名前を出したのでしょう。そうしたら、きっぱり諦めると思って。……ずいぶんと回りくどい駆け引きをなさるのですね。」

「こうちゃん……」

「なぜ、です? 僕のこと、好きではないのですか?」

「好きですよ。」

「国民としてでしょう。……人を恋愛的には好きになれないのですか。」

「……ええ、国ですから。恋慕より、愛慕の方が勝るのです。国民は私の大切な子供ですよ。」

「僕だけ、特別。それは、できませんか?」

「ええ、できません。……こうちゃんは諦めが悪い子ですね。」

少し苛立っているのが伝わって、下唇がふるふると震え始めてきました。

「なら、なら、それなら……どうして、思わせぶりなことをしたんですか? どうして僕だけが特別というようなそぶりを見せたのですか? 他の方にもそんなことをしているんですか? ひどい、ひどい方だ、あなたは。」

「こうちゃん」

「あなたのせいで、せっかくの婚約者ですらも愛しく思えない。あなたのせいで、僕の目が肥えてしまった」

私は何を思ったのか、菊さんの白くてしなやかな首に手を添えていました。それに驚いてか、菊さんは私の方をぐるりと振り向きました。

「こうちゃん……?」

菊さんの首は、まるで人間みたいに脈を打っていて、その脈を止めるように私は手に力を込めました。

「あぐっ……! こ、こうちゃ……!」

菊さんの苦しそうな喘ぎ声が、小さく、耳の中でこだましていき、つい目を瞑ってしまいます。

「あ、あなたが悪いんだ! あなたが、あなたが! あなたと出会わなければ……!」

「こ、こう、ちゃ……!」

苦しそうに顔を歪めて、口元からは透明な糸が垂れていっていました。その糸が私の手をつたって、床へ滴り落ちていき、菊さんの目が天を仰いで、ぷるぷると震えて、生きようともがいている。まるで本当の人間のようでした。

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