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・死ネタ注意
手が、痛い。雪を指先で触れるなんてずっとずっと前から慣れていたはずなのに、今日ばかりは突き刺す痛みを訴えていた。赤くなった指先は、もとから赤い手であっても良く見える。思うように動かない指先を無理に動かして、できるだけ上澄みの白い雪を集める。視界はゆらゆら揺れながら辺りを白く濁らせて、冬の空気が上着を無視して体の熱を奪っていく。息がうまく吸えないのは、真冬の空気が肺を蝕んでいるせいか、それとも。
答えは、出す気にならなかった。
「…しにたく、なっ…」
俺の周りは雪を集める音ばかりが響いて耳鳴りがする。だから、声は聞こえないふり出来なかった。ひどく力の入っていない手は温度を感じない。最後の抵抗かのように、俺の上着を引く。目は合わせられなかった。それでも、泣いていることは嫌でもわかった。
「っ…」
俺は何も言わなかった。否、言えなかった。喉元にビー玉でも詰まったように、頭だけが何か言わないとと忙しなく動いていた。温度を奪われた体は、唯一目元だけが熱さを訴える。下唇を噛み締めては、揺れる視界に気づかないフリをした。いやだ、死にたくないと訴える彼はこんなにこんなに憎らしいのに、おんなじくらいひどく愛おしい。愛おしいから、この決断をしたのだ。こんな状態の彼はきっと、自身の体ですら維持できない。ひどい痛みを伴って消えていくくらいなら、きっと。そうするしか無かったと何度も何度も自分に言い聞かせた。
俺はようやく寝転ぶ彼に向き合い、頬にそっと手をあてる。つい先程まで雪で冷やされた指先は、彼の頬でじんわりと溶かされていく。遠くをぼんやり見つめる瞳を眺める。妹や弟たちの面倒を見れば、ありがとうと頭を撫でられた。絵を描けば、父の部屋に飾られた。父の誕生日には、みんなで計画してプレゼントを渡した。あげたブーツは今だって綺麗な状態で履かれていて。
「…っ、とおさっ、しなないでよぉ…」
雪と土で薄く汚れたマフラーに染みが出来ていく。父の顔はもう良く見えなかった。ふと、頭に何かがのる。視界を袖口で拭えば、父が頭に手を乗せていた。優しく頭を撫でては、ひどく掠れた声が耳をくすぐる。大丈夫、大丈夫と根拠の無い言葉が俺をそっと宥めた。吐いた白い息は辺りに溶け込むように消えていった。
先程よりかは少しだけぬるくなった手で白い雪を掴む。でも、さっきよりずっとずっと手がうまく動かなかった。溶けてしまう前に、と願うように、無理やり動かした手で雪を彼の口に詰める。
「…ごめっ、ごめんなさい”…」
遠くを見ていた目と目が合って、それから彼はゆっくりと目を細め笑った。瞳には水の膜が張っていた。白い息が漏れる。やりたくないやりたくないと響く声がうるさい。頭は雪が積もるように考える隙間が埋まり、夢を見ているかのようにぼんやりと、ただ手だけを動かした。親は、いつまでも変わらず居るものだと思っていた。
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手が、痛い。
雪を指先で触れるなんてずっとずっと前から慣れていたはずなのに、今日ばかりは突き刺す痛みを訴えていた。赤くなった指先は、もとから赤い手であっても良く見える。思うように動かない指先を無理に動かして、できるだけ上澄みの白い雪を集める。視界はゆらゆら揺れながら辺りを白く濁らせて、冬の空気が上着を無視して体の熱を奪っていく。息がうまく吸えないのは、真冬の空気が肺を蝕んでいるせいか、それとも。
答えは、出す気にならなかった。
「…しにたく、なっ…」
俺の周りは雪を集める音ばかりが響いて耳鳴りがする。だから、声は聞こえないふり出来なかった。ひどく力の入っていない手は温度を感じない。最後の抵抗かのように、俺の上着を引く。目は合わせられなかった。それでも、泣いていることは嫌でもわかった。
「っ…」
俺は何も言わなかった。否、言えなかった。喉元にビー玉でも詰まったように、頭だけが何か言わないとと忙しなく動いていた。温度を奪われた体は、唯一目元だけが熱さを訴える。下唇を噛み締めては、揺れる視界に気づかないフリをした。いやだ、死にたくないと訴える彼はこんなにこんなに憎らしいのに、おんなじくらいひどく愛おしい。愛おしいから、この決断をしたのだ。こんな状態の彼はきっと、自身の体ですら維持できない。ひどい痛みを伴って消えていくくらいなら、きっと。そうするしか無かったと何度も何度も自分に言い聞かせた。
俺はようやく寝転ぶ彼に向き合い、頬にそっと手をあてる。つい先程まで雪で冷やされた指先は、彼の頬でじんわりと溶かされていく。遠くをぼんやり見つめる瞳を眺める。妹や弟たちの面倒を見れば、ありがとうと頭を撫でられた。絵を描けば、父の部屋に飾られた。父の誕生日には、みんなで計画してプレゼントを渡した。あげたブーツは今だって綺麗な状態で履かれていて。
「…っ、とおさっ、しなないでよぉ…」
雪と土で薄く汚れたマフラーに染みが出来ていく。父の顔はもう良く見えなかった。ふと、頭に何かがのる。視界を袖口で拭えば、父が頭に手を乗せていた。優しく頭を撫でては、ひどく掠れた声が耳をくすぐる。大丈夫、大丈夫と根拠の無い言葉が俺をそっと宥めた。吐いた白い息は辺りに溶け込むように消えていった。
先程よりかは少しだけぬるくなった手で白い雪を掴む。でも、さっきよりずっとずっと手がうまく動かなかった。溶けてしまう前に、と願うように、無理やり動かした手で雪を彼の口に詰める。
「…ごめっ、ごめんなさい”…」
遠くを見ていた目と目が合って、それから彼はゆっくりと目を細め笑った。瞳には水の膜が張っていた。白い息が漏れる。やりたくないやりたくないと響く声がうるさい。頭は雪が積もるように考える隙間が埋まり、夢を見ているかのようにぼんやりと、ただ手だけを動かした。親は、いつまでも変わらず居るものだと思っていた。
☆
手が、痛い。
でも、それよりずっとずっと心が痛かった。気づけば彼はひどく冷たかった。手を温めたくて触れた頬も、もうこれっぽっちも暖かくなかった。頭が痛い。これで良かった、これしか無かったといつまでも言い聞かせる。
「…とおさん。」
「もう、とおさんしかいなかったのに。」
妹も弟もみんな家を出た。ねぇ、出ちゃったんだよ、父さん。
冷たくなった父を抱く。パズルのピースがボロボロ外れていくんだ。家族、もう誰も居なくなっちゃった。もう、いくら願っても元には戻らない。
「っう”、やだっ、とおさん…!おいてかないでよぉ”」
空っぽになった彼に縋る。返ってくるものは何も無いけど、もう、縋れるものがこれしか無かった。まだ撫でてくれる気がしてならなくて、くたりと力ない手をそっと頭に乗せてみても、撫でてくれることはなかった。代わりの虚しさが染みていく。
「…あいしてるよ、とおさん。」
静かな雪に染み込んでいく。返事は聞こえなかった。