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イグアナ丼 様より、バルト三国
※残酷な描写あり、かなり史実含む
──20xx年某月某日行われた会議にて──
「…それでは、これにて会議を終えます。本日はお忙しい中、ありがとうございました。解散」
国際連合が機械的にそう告げると、集まっていた国々はガタリと椅子から立ち上がり、それぞれ散っていく。
「フィンランド、帰ろ」
「あ、エスティ…うん、いいよ」
エストニアとフィンランドは帰り支度を済ませ、今にも会議室を出ようというところだった。
「エストニア、ちょっとだけ時間をくれない?3人で話したいことがあって」
「…」
黙りこくるリトアニアと二人を止めたラトビアに、エストニアは氷のように冷たい視線を送る。
「話すことなんかないと思うけど。行こう、フィンランド」
「え、でも…」
袖を引くエストニアの力強さに躊躇いつつ、フィンランドは呼びかけられたラトビアとリトアニアを振り返った。
「行くの」
しかし、渋るフィンランドの袖をぐいと引っ張り、エストニアはそのまま会議室を出ていってしまう。
「…うん、わかったよエスティ」
名残惜しそうにしながらフィンランドも跡をついていくと、残された2人は呆然と立ち尽くし、密かに拳を握るばかりであった。
ヨーロッパ北部、バルト海に面した小さな三つの国々…
リトアニア、ラトビア、エストニア。
人々は、この国たちをバルト三国と呼んだ。
どの国も魅力に溢れ、北ヨーロッパ特有の自然からなる風景は特に美しいとされている。
文化も言語も似通った、バルトの彼ら。
仲も良いのかと思われているが、悲しいかな、そんなことはない。
むしろギクシャクして会話もほとんど交わさないくらい、三者三様の距離があった。
一体なぜか、それは約100年前にも遡る…
第二次世界大戦の初期。
ナチスとソビエトは奇妙な間柄で結ばれていた。
独ソ不可侵条約…それは領土を巡る秘密協定をも含んでいる。
表向きには、ヨーロッパ侵攻に手を伸ばすナチにとっては最重要であろう、互いに手を出さないという内容。
そして、秘密協定。
ポーランドは仲良く真っ二つ、バルト三国のうちラトビアとエストニア、フィンランドをソビエトが、残りのリトアニアをナチスが戴くことになっていた──しかし、後にバルト三国全てがソビエトのものとされる。
それはソビエトとナチスの間だけで交わされた、身勝手な契約。
北欧、バルト三国、その他ヨーロッパの事情など考えない、それらは書面上だけの固有名詞に過ぎなかった。
来る1939年の秋のこと。
ソビエトはエストニアに相互援助条約を持ちかけ、実質的な脅しをかけた。
エストニアはこの圧倒的な力量差に、是を返す以外の選択肢などありはしない。
赤軍が駐在するようになって場が整うと、ソビエトは併合の口実を作った。
そして翌年、ソビエトは侵攻し、独立したばかりだったエストニアを1ヶ月で降伏させ、『エストニア共和国』から『エストニア・ソビエト社会主義共和国』と名前を改めさせた。
それはラトビア、リトアニアも同様で、同じように相互援助条約を求め、駐在し、侵攻し、自らの構成国へと編入させていくのである。
併合された三国は、皆同じ境遇…とはいかなかったのが現実であった。
ほんの僅かとはいえど、リトアニアはソビエトから贔屓されていたのである。
リトアニアはメーメル地方をナチスに狙われており、同時にソビエトは港町を介してバルト海を支配しようと考えていたのだ。
当初ナチス側にリトアニアが帰属させられることになっていたのだって、ナチス、もといドイツがメーメル地方に影響力を持っていたことに由来する。
しかし、ポーランド分割後に独ソが行った交渉で、リトアニアはソビエトの勢力圏に組み込まれ、ナチス側がソビエトとの対立を避けたのもあるが、 リトアニアは“とあるもの”でソビエトの側についたのである。
ヴィリニュス。
それはポーランドが占領していた、リトアニアのかつての首都。
ソビエトはポーランドを分割していたため、リトアニアにその場所を渡すから、と誘ったのである。
タダで渡されるわけでもなく、結局は侵攻されて名前を改めることとなってしまったのだが。
リトアニアがソビエトと交渉し、ヴィリニュスと引き換えにしたこと。
これがまず、エストニアとラトビアの心を逆撫でた。
エストニアもラトビアも、抵抗すれば殺されるという思いからソビエトに併合されたのだ。
それなのに、リトアニアは念願のヴィリニュスを返還され、結局は併合されたとは言っても交渉をした。
扱いの差に、2人はモヤモヤと心の中を曇らせていたのである。
これだけで仲を壊すほどではなかったが、確かに亀裂は入りつつあった。
ソビエトに支配された国々は、ソビエトの子供として彼の家に軟禁されている。
もちろんソビエトは若者で、彼が軟禁している国より余程年下だ。
リトアニアたちだけじゃない。
ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンにアゼルバイジャン。
その他様々な国が、ソビエトより長く生きている。
だが、ソビエトはそのことを認めない。
子は親より長く生きているものだろうか?
20歳の親に、30歳の子はいるか?
否、存在しない。
ソビエトは彼らに“子供でいること”を義務付け、従わせた。
唯一、彼の実の子だろうと囁かれたロシアと呼ばれる少年だけを除いて。
真相なんて誰も知らないし、ソビエトにとってどうでも良いなら、それはゴミクズ以下なのである。
大切なのは、ソビエトの思う理想だけ。
ある冬の日、もう皆が寝静まった深夜に、リトアニアは一人で暖炉の前に座っていた。
小さな火が懸命に周囲を照らさんとしている。
薄暗く、凍えそうに寒い中で、けれどもリトアニアはその場を動かない。
ため息をつき、首を傾け、目線を下げる。
唸り、悩むような素振りをするが、その解決策はどこにもない。
「リトアニア、いい加減この生活には慣れた?」
「起きてたのか、エストニア…」
声をかけてきたのは、かつての隣国エストニア。
今となっては、同じ国の構成国だ。
「これあげるよ、ホットミルク。まあ…もうそんなにホットじゃないだろうけど」
「十分さ、ありがたく戴くよ」
エストニアは陶器のマグカップを渡し、隣に座り込む。
白くつやつやと光を跳ね返すミルクを口に含むと、冷え切った体に優しい甘さが広がった。
「…美味しいね」
「良かったわ。それで、質問に答えてくれる?」
「なんだっけ、もうこの生活に慣れたかって?」
「そうだよ。あいつに締め上げられる前に、早く慣れちゃいなよ」
この生活というのは、今のソビエトの子供を演じ続ける日々のことに違いない。
エストニアを含め、皆もう慣れたとは言うが、リトアニアにはまだモヤモヤとしたものがあった。
だって訳がわからないだろう。
なぜわざわざ年下の言うことに、子供のふりをして応えなければならないのか。
「…僕には無理そうだよ、エストニア。どうしても、やり方がよくわからないし…子供のようにだなんて、少し恥ずかしい」
「…本当に腹立つ言い方するね」
エストニアは怒りをにじませて低く言い、リトアニアに詰め寄る。
「エ、エストニア」
「あなたは大国だったから知らないし、初めてなんだろうけど、私たちはずっとこうしているのよ」
ぱち、と音を立てて、何かが燃えた。
「私たちみたいに弱くて小さい国はね、今みたいに大国の好みに沿って生きなきゃいけないの。だって逆らえないから」
「でも…倫理的に間違ってるよ」
「倫理が何?私たちは犬だと言われたら犬だし、子供と言われたら子供だし、問題が〜とか言ってたら、殺されて終わりなの」
ソビエトに買い与えられたマフラーを身につけ、エストニアはリトアニアを諭し続ける。
以前はポーランドと組んで大国を築いていたリトアニアだが、今はバルト三国と称される小さな国。
ロシア帝国に支配されていた期間もあるが、その時は召使いとして扱われただけで、特別なロールをさせられることはなかった。
小国の自覚はあっても、まだまだ甘い。
「いい?最低限ソビエトの前だけでもいいから、私たちに合わせて。死にたくないでしょ」
「…わかったよ、エストニア。ありがとう」
「別に。あなたがヘマしたら、私たちにまで迷惑被るもの。死なれたら夢見も悪いし」
ホットミルクは冷めきっていたが、エストニアの小さな手は温かい。
この優しさに報いよう。
リトアニアは、そのために生きることにした。
「おはよう、エストニア、ラトビア、リトアニア」
「おはようお兄ちゃん!お姉ちゃん!」
低く落ち着いた“父”の声と、高く無邪気な “弟”の声。
「おはよう!今日はいい天気ね、いつもより楽しい日になりそう!」
きらきらと目を輝かせ、楽しそうに振る舞うエストニアは、本当にただの少女にしか見えなかった。
「ん〜…まだ寝ていたかったのにぃ…布団を剥ぐなんてひどいよエスティ…」
眠たそうに目を擦るラトビアも、どこにでもいそうな少年のようだ。
「…」
何も言えずにいるリトアニアを密かに睨むのは、エストニアとソビエト。
ラトビアに肘で小突かれて我に返ると、ようやく口を開いた。
「お、おはよう…父さん…」
小さく、ぼそぼそと口ごもったが、ソビエトは満足したらしい。
射抜くように鋭かった目がふっと柔らかくなり、場の緊張も解けた。
エストニアも可愛い笑顔を振りまいて、にこにこと食卓へつく。
ラトビアとリトアニアもそれに続き、召使いの手によって飲み物が配膳される。
朝食は家族みんなが揃ってから。
ソビエトがそう言ったので、屋敷の者たちもそう動く。
渇きを癒そうと水を一口。
美味しくもなんとも思わないが、十分だ。
リトアニアはコップを置いて辺りを見回して、ソビエトの機嫌も確認しておく。
今のところは、なんの問題もなさそうだ。
「ねえパパ?こんなに良いお天気なんだから、午後にピクニックなんてどう?」
「ピクニックか…そうだな、今日は私も時間がある。サンドイッチでも作らせよう 」
「やった!私、卵を挟んだものがいいな!」
流れるような普通の親子らしい会話に、リトアニアは表情こそ保ったものの、驚いた。
今まではなんとも思ってこなかった、エストニアの会話術に気づいたのである。
昨夜、リトアニアを説得させたあの一人の女性としての姿とはまるで異なっていた。
彼女はこんなにも努力していたのに、それに気が付かなかった自分のなんと怠惰なことか。
「それは構わないが…ピクニックができるような場所はあるのか?」
エストニアはピクニックの場所を思案し、うーんと唸る。
それは純粋無垢で清らかな少女の仕草にしか見えない。
すると、ソビエトの横に座っていたロシアが手をぴょこんと挙げた。
「ぼく知ってるよ!この前ね、きれいなお花畑を見つけたんだ!」
「お花畑!ね、そこにしよう!ロシア、案内してくれる?」
それだ!と言うように身を乗り出し、エストニアはロシアにパスを投げる。
「うん!」
「では、決まりだな」
「た、楽しみだね」
混ざらなくては、と逸る思いを口に出し、リトアニアは皆の機嫌を伺う。
ラトビアは何も言わず、コップの水を傾けて遊んでいる。
極寒のこの場所で、ひやりと嫌な汗が伝った。
震えてばかりいる声は、ちゃんと“家族”に合わせられていただろうか。
かつての相棒が殺されてからも、大きな事件は起きていた、らしい。
悪名高い2つの国が手を組んでいること自体、既に大事件ではあるのだが。
情報規制があまりにも厳しいソビエト社会主義共和国連邦の中で、この屋敷は更に激しく、過剰に規制が行われている。
そのせいで、荒れに荒れた国際情勢の半分も真実を、または存在すら 知らないまま、ぼんやりと冷たく温かな屋敷で生活を続けていた。
ソビエトに考える力を吸い取られるような感覚。
事実、併合されてからは官僚たちもどんどん消されている。
「これ、いつまで続くんだろうね」
リトアニアがそう言ってしまうたびに、バルトの二人は彼を殴った。
万が一にでもソビエトに聞かれたら、ただじゃ済まない。
そんなことは誰もがわかっている。
ひどい折檻で体にも心にも大きな傷がつけられてしまうことくらい、わかっている。
でも、もう止められないのだ。
既にみんな限界を迎えつつある。
お互いにお互いを殴ってでも口を噤まなければ、ソビエトに対するヘイトが溢れて、ダムが決壊するように止まらなくなるだろう。
「みんな同じ気持ちだよ。でも、私達はまだ恵まれてる方。今は我慢しなきゃ」
「そう…だよね、本当、その通り…ごめん、最近頭が上手く回らなくて」
エストニアに強く握られた両手から、じんわりと彼女の温かさが伝わってきた。
頬に貼られたガーゼが痛々しい。
ついこの間酷い目に遭ったのに、エストニアはリトアニアの襟を正してくれるほど強かった。
「確かに、 最近のリトアニアはぼーっとすることが増えた気がする。気をつけてね、うっかりあいつの前でも同じこと言ったら、どうなるか…」
「心配してくれてありがとう。みんなで、ちゃんと生き残ろうね」
以前はどことなく張り詰めていた3人の空気感が、極限状態になってようやく和らいだ。
そうやって手を取り合って生活していた彼らの元に、一人の軍人が現れた。
名前をナチスという。
バルバロッサ作戦… 通称、独ソ戦の始まりである。
ソビエトが警戒を怠ったばかりに、本来なら十分に対策できていたはずのナチスから襲撃を受け、そのナチスはいとも簡単にソビエトを追い詰めていった。
片目を抉り潰し、領土を奪い取り、バルト三国も支配下に置いて、侵略者は暴れ回る。
鮮やかなまでの自殺行為。
されど、ソビエトの脅威に晒され続けてきたバルト三国の国民にとって、その姿は勇者に見えた。
ようやく危機は去ったと思われた。
皆がナチスを経由して独立できることを望み、救いを求めている。
しかしながら、一度立ち止まってみてほしい。
救われるだなんて、本気で思えるだろうか?
巨悪を打ち倒す圧倒的な正義…そんな子供じみた存在は、もはやこの荒れた世界には存在しない。
正義の反対はまた別の正義と言うように、悪の反対も、また別の悪なのではないだろうか。
「……僕の国のユダヤ人たちは、どう扱われるんだろう」
戦争初日、リトアニアでは既に反乱が起こっていた。
あれは悪魔なのだから、従うことは恐るべきことである。
いつの間にだか、 バルト三国はバラバラになった。
彼らの友情ごっこを嘲るかのように、ナチスはホロコーストに巻き込んだのである。
ナチスは改めて支配したバルト三国から、ユダヤ人を絶滅させようと試みた。
次々と捕縛し、酷い牢に入れ、家畜より簡単に殺していく。
その昔にあったフランスの恐怖政治では、毎日ギロチンが何度も何度もフランスの人々の首を落としたそうな。
本当に罪を犯していた人を処刑したのは最初期だけで、高貴な令嬢も、国のために働いたものでも、ただ平穏を訴えた主婦でさえも、皆等しく床に転がった。
昔からそうなのだから、国を動かすには悪者が要るのだろう 。
ナチスはユダヤ人こそが悪だと言った。
今度はソビエトが勇者に見えた。
ナチスにとっては悲しいかな、快進撃は続かない。
ソビエトの広大さから成る狂気的な人海戦術により、ナチスはもう勢いを保てなくなった。
徐々に後退していく戦線。
豊かさから一転、貧しいという声が出始める国内。
バルト諸国の人々は、またドイツに傾いた。
ソビエト社会主義共和国連邦は世界初の社会主義国家である。
西側諸国に独立の支援を頼み込むには、ドイツに加担すべきではないか。
それはもはや戦争末期で、蜜月の終わりも近いと囁かれる声が大きくなった頃のことだった。
バルト三国では、それぞれ国の独立や解放を求める組織が誕生もしている。
一方で、唯一エストニアはフィンランドの軍隊に無理矢理参加していた。
彼女はドイツに加担するより、ソビエトに対抗したかったのだ。
リトアニアとラトビアが国内で頭を働かせている間、エストニアは前線に立って国防に励み続けた。
バルト海の真珠と言われていたナルヴァ…戦火に巻き込まれ、その美しさは見るも無惨。
しかし、そこで行われた ナルヴァの戦いは、エストニア含むドイツの防衛が成功した戦いである。
その後もドイツの力を借りつつ赤軍を止め、ついにエストニアは独立を掲げた。
ドイツ軍に退去を命じ、旗も立てて、それがたった数日のことだとしても、エストニアは勝利を掴んだ。
そんな独立を諦めないエストニアに対して、リトアニアは少し異様であった。
実は1940年に一時的な独立を果たしているのだが、 その後はエストニアたちと同様に併合され、ホロコーストの被害はヨーロッパで最もユダヤ人の虐殺率が高いとされる。
それは一体何故か。
答えは簡単なもので、多くのリトアニア人が反ユダヤの姿勢を取り、ナチスに協力したからである。
全ての階級の多くの人々が協力したのだから、必然とその虐殺率は高くなっていく。
ヨーロッパで最も高いと申した通り、具体的には95〜97%と言われている。
身の危険を感じてソビエトに行けば、ソビエトを支持しているからと、協力するリトアニア人は増えた。
当初は自国の民を案じていたリトアニア本人も、見て見ぬふりをした。
もうソビエトのくだらないおままごとに付き合わされたくはない。
それに、ユダヤ人たちはソビエトの体制を支援していた“らしい”。
反ソビエト感情が強く煽られ、リトアニアは変わった。
恐怖が突き動かすままに、ナチスの植民地としては相応しい行動をせざるを得なくなっている。
長らく、ごめんねの一言すら口に出さなくなっていた。
時は流れ、とある年の4月のこと。
あのナチスが自殺したという旨が知らされた。
こんなに呆気なく?
まだ生きているのでは?
我々は負けるのか?
ようやく全てが終わるのか?
様々な思いが入り混じる中、ナチスの敗戦が決定された。
後に聞かされたところ、ナチスは彼の行動原理たる総統と同じ地下壕で、毒を飲んで死んでいたそうだ。
既にイタリアも傀儡にされていたし、日本もそろそろ限界だろう。
世界の終わりかと思われた戦争がついに終わる!
世界中の人々がそう思ったかもしれない。
だが少なくとも、再度ソビエトに併合されたバルト三国はそう思えなかった。
また屋敷に連れ戻され、軍服を捨てられ、ソビエトの用意した部屋に押し込められ、またソビエトの機嫌を伺わなくてはならなくなって、今度こそ終わりは見えない。
バルトの3人は久しぶりの再会であったが、その顔は悲壮感に満ちている。
おかえりと言うソビエトとロシアの声は、できれば聞きたくなかった。
嬉しそうな二人と、連れ戻された絶望が滲むバルト三国。
また家族ごっこの始まりである。
おままごとはまだまだ続く。
独り立ちなんて許さない、そんな厳しい“父”を持ち、みんな一つの屋敷にいる。
エストニアは独立を果たしかけたからと、早々に折檻部屋へ連れて行かれた。
信じていたナチスに裏切られたからだろう。
以前よりずっと精神が不安定になっていたソビエトは、些細なことでも怒鳴り、ロシアばかり可愛がっているような様子であった。
ソビエトの中心地とも言えるロシアに縋って、それ以外の構成国はワンランクダウンといったところ。
故に折檻の容赦もなくなって、エストニアは暫く歩くこともできなかった。
ラトビアは彼女を気にかけ続け、食事を食べさせたり、気が紛れるよう話しかけたり。
それでも大国ソビエトによる暴力は凄まじいもので、回復は遅い。
リトアニアに至っては、心配して時々見に来ることはあれど、ラトビアのように常に側にいるわけではなかったし、自ら孤立するような動きばかりをした。
会話は極端に少なく、自室として与えられている部屋に閉じこもる。
自分を守ることが最優先だからか、誰も気にしなかった。
きっと、全ての元凶たるソビエトすらも。
やがて、また一人ソビエトの屋敷に連れ込まれた。
東ドイツ名乗ったその子は、まさにナチスの息子。
ナチスに占領されていた者たちにとって、あまり近づきたくない存在である。
しかし、ここでもリトアニアは少し違った。
まだ慣れない東ドイツの手を進んで取り、毎日のように付き添った。
屋敷のルールを伝え、ロシア語を教え、手取り足取り。
まだ傷が残るエストニアより、新参者の…しかも、自分たちや周辺の国々に酷を強いたナチスの息子を優先するのか。
少なくとも、元来仲間思いなエストニアはひどく傷ついた。
「どうしちゃったの、リトアニア…?フィンランドに聞いたよ、ホロコーストの被害が1番大きかったって…なんでそんなに仲良くするの…?私たち、一緒に生き残ろうねって…」
「何か悪いことしたかな、僕。そもそも、東ドイツは何もしていないのだから、仲良くしてもなにか思われる筋合いはないと思うけど」
「…君の相棒を殺した男の、息子でも?」
ラトビアがそう言い切る前に、リトアニアは東ドイツの耳を塞ぐ。
不思議そうに、申し訳なさそうに両者を見比べている東ドイツは、ただの少年だった。
「エストニアもわかってるだろう?小国の運命は大国に握られてるんだ。レンキアのことは残念に思ってる。だけど、きっとレンキアはそこで終わる運命だったんだよ」
ふっと微笑んだリトアニアは恐ろしく綺麗で、決定的に何かがおかしい。
ポーランドの話題を出すたびに泣きそうな顔をして、家族ごっこも上手くできなかった頃の方が、今よりもリトアニアらしかっただろう。
「…リトアニア、ホロコーストのせいで変になっちゃったの?なんでそんなこと言うの?そんなこと言ったら、ポーランドが浮かばれないよ…」
「別に。僕はただ、ソビエトが嫌いなんだ。何よりもね。二人もそうだろ?だから、ソビエトを支援してたユダヤ人たちの肩を持ち続けることはできない」
リトアニアが言葉を述べ終えると、エストニアもラトビアももう何も言えなかった。
国民感情に自我のほとんどを委ね、感受性をも下げることで、心を無理矢理にでも守る。
国が存続する限り生き続ける化身たちが壊れないように、生物としてそうできていた。
けれども、その事実はもっとずっと後になってから初めて明かされる。
だからエストニアにもラトビアにもそれ以外の“家族”にも、リトアニアが冷たくなったようにしか映らない。
目つきは以前より鋭く、言葉はどれも冷徹な何かを含んでいて、それでも声だけが優しいまま。
変わりきってしまったことに、彼自身気づいていないのかもしれない。
「…とにかく、お互い気をつけようね。行こっか、東ドイツ」
ずっと耳を塞がれていた東ドイツは、リトアニアに促されるままについて行く。
残されたエストニアとラトビアは佇み、呆然と見ていることしかできなかった。
1989年、東ドイツが死んだ。
長いこと付き添っていたリトアニアは悲しむこともなく、時代の流れるままに生きている。
今こそ独立の機会だと、ラトビアはリトアニアを誘い、バルト三国は久々に集まった。
リトアニアは、やはり少しよそよそしい。
常に一歩下がって行動するのは以前と同じなのに、明らかな差が見られる。
エストニアたちの後ろでおどおどしていた頃と比べ、前に出るのを控えている、という感じだ。
念入りに準備を続け、自由への道を着々と組み立てていく。
ようやく全てが整った頃、3人でソビエトに独立を主張した。
直接言えば有無を言わさず折檻、もしくは今度こそ殺される危険がある。
そのため、皆が集まるあの食卓へ紙切れ1枚だけを残して、真夜中に屋敷から抜け出すのだ。
軍人としての経験が功を奏し、2階の窓から着地するなんてことは朝飯前。
庭の構造を把握できていたのも幸いした。
他の二人は知らないが、リトアニアはまだ国民感情を最優先の行動指針にしている。
国民が独立を求めているなら、リトアニアは独立のために努めた。
悲願の達成と自由の享受まで、後少し。
心の防御が役目を終えるまで、後少し。
それぞれの領地に戻ったその後も、計画は上手くいっていた。
またバルト三国の心が一致した瞬間である。
当然ソビエトは激怒し、バルト三国の政府転覆を企てたが、それも無駄に終わった。
今こそ、ソビエトを崩す最初の一歩を。
「歌う革命」と呼ばれたバルト三国の独立運動。
革命はリトアニア、次にエストニア、そしてラトビア、それぞれの独立回復という結果に終わった。
ソビエトももはや、3人を諦めざるを得ない。
独立は正式に承認され、ソビエト社会主義共和国連邦の各構成国に希望を与えたのだった。
もちろん破壊された建物が直るわけではない。
失われた人々が戻るわけでもない。
ただ、自由を得た。
喜びに満ち、希望が溢れ、心が軽くなる。
エストニアはフィンランドに喜んで報告し、ラトビアも珍しくはっちゃけるそう。
そしてそれは、リトアニアも同じ。
独立は素直に嬉しい。
大嫌いなソビエトの息子として生かされる苦痛は耐え難かった。
国民たちも安心したことだろう。
「…あ」
壊れた家。壊れた自然。遺族として括られる人々。
ふとそれらが目に入る。
今だけは目を逸らしたいと思って、別の方を向く。
喜ぶ家族の姿。
あの女の子はお姉さんと同じ髪型に結ってもらえて嬉しそうだ。
素敵な赤いリボンで編み込まれた、きれいな髪。
…あの時、ナチスの将校に追われていた少女もリボンで髪を結わえていた。
何も見なかったことにして、助けようとすらしなかった少女。
重なる。
風貌は似ても似つかないくらい異なっているのに。
白いリボンをつけていた少女はたった一つの銃声で消え去り、後に残っていたのは赤いリボン。
重なる。
あの子には素敵なご両親がいて、きっと温かい家があって、美味しいご飯を食べられるようになった。
あの少女もきっと素敵なご両親と、温かい家と、美味しいご飯を持っていた。
それを奪ったのは、誰だろう。
殺したやつか、指示したやつか、大元か。
きっとそれだけじゃない。
見殺しにした自分も等しく、同罪だ。
「なんで、今頃…気づいちゃったんだろ…?あれ…?僕は…国民のみんなが、大事で…ユダヤ人でもロシア人でも、みんな大好きで…あれ、あれ…? 」
みるみるうちに小さく蹲ったリトアニア。
何十年もしてきた自分の考えが、急によくわからなくなってしまった。
記憶がないわけではないのだ。
お屋敷でのことも、ちゃんと覚えている。
「あぁ…取り返しがつかない… レンキア…僕は、なんてことを…」
そのレンキアことポーランドにだって、ひどいことを口に出した。
心配してくれたエストニアにも。
友人でい続けてくれたラトビアにも。
「…僕は…僕はッ… あぁぁ…」
項垂れるリトアニアに手を差し伸べてくれる者は、その場にはいなかった。
コメント
11件
あけましておめでとうございます🎍 普通にコメント遅刻ですが!!! 前回の投稿にコメントできなかったのを引きずりまくってたのでコメントできて嬉しいです!! だんだんポ.ーランドへの思い…というか残酷な記憶が辛すぎて目を背けていく描写とか、リト.アニアの扱いに対する思いとか、もう色々情報量が多くて読むの楽しかったし流れが掴めて勉強になりました!!!!てか貴方様のおかげで興味持って勉強した歴史がありますので!! 初めて出会ったロア.ノークとかほんとに斬新で面白かったです!!今更ですが!本当に感謝と尊敬ばかりです!!! 家族ごっこは気味が悪いし、当時の人々の苦労は計り知れないな…と今回深く思いました。 最初だけ見るとエスティちゃん酷いけど全体を通してみるとよくここまで我慢できたな…っていう方が強くなりました…ラトくんはそれでもみんなで一緒にいたい… 許し合える日は来なかったとしても分かり合える日が来てくれたらいいなと思います! 投稿お疲れ様でした!!!

リトアニアくもらせだと、、、?久々の小説首を長くして待ってました!!感情の描写が神すぎやしませんか?良作画のアニメ映像が雪崩の如く押し寄せてきたんですが、これは魔法か何かですか?心の防衛戦兼感情のダムを解いたリトアニアに怒涛の畳みかけかましましたね、、、いやもうほんと、読んでて胸がキュッてなりました、、、折檻部屋に連れてかれるエストニアとか勝手に想像してしまって勝手に何ちゅーもんを見てしまったんだみたいな気持ちになってしまいました。つかエスティカッコ良過ぎるよ惚れてまう、、、 これからも小説待ってます!引き続きよろしくお願いします🙇あけおめです!🪭🍊
リクエスト本当にありがとうございました! 国としての防衛本能という設定がとても活きて、いい意味での胸糞の悪さというものが引き立てられていたと感じました💗 最後まで読んでから、最初の現代の部分を思うと、リトアニアの後悔、そしてバルトの他の2カ国の複雑な思いが感じ取られて、取り戻せない関係性というものがより強調されていて感動しました✨