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3月も、そろそろ終わりに差し掛かる頃。
「むむむ…………」
俺はコンビニで取ってきたバイト求人の雑誌を開き、当分の職場を探していた。というのも、4月から菊が本格的に働き始めるので、俺もそれに合わせたいのだ。自分の財産は、原則自分で稼ぐもの。ヒモになるなんて、もってのほかだ。
え?アイドルだから、わざわざ働かなくてもお金はたんまり持ってる方だろって?そんなことは全くない。引退の際に、「違約金」という名目で、稼ぎの殆どは事務所に巻き上げられてしまった。芸能事務所は、想像以上に中々のブラック企業なのだ。
取り敢えずは、ページをめくっていく。清掃員、検品、ピッキング…………色々あるが、どれが自分に向いていて、どれが一番報酬が貰えるだろう。如何せん、未成年のうちから芸能界という特殊な世界にいたこともあり、文字通り世間知らずで常識知らずの身なもんだから…………
そんなこんなで迷っていると、菊がやって来た。
「……迷われてますか?」
「ああ。普通の仕事をやるのは初めてだから……」
「貴方が良かったら……私の学生時代のバイト先、紹介しましょうか?」
「え……良いのか?それは助かるんだぜ!ツテがあるなら是非とも……!」
「分かりました。接客業になると思いますが、ヨンスさんならいけますよね?」
「ああ、いけると思うんだぜ。俺、人好きだし……」
すると菊はスマホを取り出し、誰かに電話を掛け始めた。
「もしもし耀さん?久しぶりです。いきなりなんですが、貴方の店で働きたいっていう人が、実は1人いまして……ええ、私の知人なんですがね……」
*
「あ…………あいやぁ…………」
目の前のその人は目を大きく見開き、俺の顔を見ては何度も瞬きをした。
「も、モノホン……モノホンあるよな?」
「ちゃんとご本人ですよ」
「すげぇあるな……まさかおめぇが『NAVY SKY』の元メンバーと友達だなんて……」
「彼とは韓国留学時に知り合ったんです。その時はまだ普通の学生さんでして……」
「成る程ある。デビュー前からの付き合いあるか」
此処は新大久保の一角にある、中華料理店。店内の裏にある客室にて、俺は面接を受けていた。隣には付き添いに来た菊。そして向かいには……店のオーナーで在日中国人(いわゆる「華僑」というやつだ)の、王耀という男性。
彼は俺に配慮してか、流暢な韓国語で(恐らくだが、新大久保という土地柄、朝鮮人と関わる機会が多いからだろう)こう話しかけてきた。
「確かヨンスだったあるな、名前」
「…………はい」
「我もよくテレビの音楽番組でおめぇを見てたから、知ってるある。いつも『格好良いあるなぁ』と思ってたあるよ」
「…………」
何も言わず、徐ろに俯く俺。それを見た耀さんは……何を思ったのか、俺にこうも言った。
「安心するよろし。少なくともこの国の奴らは……おめぇのことを悪く思ってねぇある。寧ろ『気の毒だ』とか、『勿体無い』とか……引退を惜しむ声が殆どだったあるよ。此処に住んでるおめぇの国の同胞も、多くがおめぇを擁護してたある」
「…………そう、ですか」
「それでも、如何せん有名人なものですから……働くにしても、何かしらの配慮は必要になるかと……一方的な我儘で、本当に申し訳ありませんが……」
「その辺の心配無用あるよ。従業員のプライバシーは基本ちゃんと守るし、ヨンス自身も気兼ねなく働けるよう、こちらも色々とサポートはするある。諸々のことは全部、我に任せるよろし」
「…………有り難う御座います」
菊と二人揃って、深々と頭を下げる。優しく頼りがいのあるオーナーで良かった。まぁ、菊の知り合いだったら大丈夫だろう、という確信はあったが。
「ところで菊……ヨンスは、日本語の会話とかは大丈夫あるか?」
「ええ、来日してから数日間猛特訓して、ある程度は……ただ、日本語独特の言い回しとかは、まだ難しいみたいですがね。挨拶自体はもうマスターしていますので、その辺の心配は要らないと思います」
「分かったある。で、働くのは4月初めからで良いあるな?」
「はい。それでお願いします」
「じゃあ話は決まりあるな。これから宜しくある、ヨンス!楽しみにしてるあるよ!」
「…………よ、宜しくお願いします」
耀さんが笑顔で手を差し出し、俺と握手する。
俺は終始、ガチガチだったけど……でも、この人のもとでなら、楽しくやれそうな気がする。
*
面接からの帰り。耀さんは今日の土産にと、当店自慢の肉まんを2人分、俺たちにくれた。
「有り難う御座います耀さん!私、此処の肉まん大好きなので……」
「美味しいのか?」
「ええ、とっても。帰ったら一緒に食べましょう」
「…………ああ」
そして俺は改めて耀さんに向き合い、ぺこりとお辞儀して、こう伝えた。
「来月から……何卒宜しくお願いします、耀さん」
「そんな堅くならなくて大丈夫ある。我のことは普通にお兄さんと思ってくれたら良いある。何なら『兄貴』と呼ぶよろし」
「…………あ、兄貴?」
何となしにそう呼んでみると、耀さんは嬉しそうな表情を浮かべた。慕われたいタイプの人なのかな。だとしたら、案外可愛らしい性格なのかもしれない。
「おめぇの方は確か、仕事は……大学の先生だったあるな」
「はい。来月から……」
「またゼミ生連れて、我の店でコンパするよろし。出血大サービスしてやるある」
「ゼミはまだ早いですよ、今年から新任なのに……」
「そうあるか。まぁ仕事以外でも、またうちに寄ったら良いある。我はいつだって……哥哥としておめぇを待ってるあるからな」
「…………はい////」
耀さん──兄貴にそう言われ、照れる菊。会話を聞くに、二人はアルバイターとオーナーという関係以前に、かなり旧知の仲であるようだ。
俺が働くのは4月から。まだ完全に、この国に馴染めているわけじゃないけれど……それはいずれ、経験を積むうちに、自ずと解決していくものなのだろう。勿論それは、自分自身の努力ありきだけど。
それから俺達は家に帰って、俺たちはあの肉まんを食べた。
菊の言う通り、肉まんは……チンチャマシッソヨだった。