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#不安障害
Side 野々宮果歩
「はぁー、イライラする!」
成明から離婚を言い渡されたわたしへの父の怒りは相当なもので、実家へ様子伺いに行っても、会ってはくれなかった。
幸い、今住んでいるマンションの退出期限は、言われていない。
いくら勘当と言ったところで、実の娘を追い出すような事はしないと思う。
ほとぼりが冷めた頃に、また謝りに行けば、父はきっと許してくれるに違ない。
きっと大丈夫だと自分に言い聞かせる。
だけど、困った。
父からのお小遣いの振り込みが途絶えている。
いままで、働いた事も無いのに、どうしろと言うのだろう。
緑原総合病院への出入りも禁止されている今、薬局製剤責任者としてのお給料ももらえない。
「とりあえず、買い物にでも行こうかな。カードは使えるはずだから」
デパートへ向かうため、マンションの地下駐車場に停めてある高級車に乗り込んだ。
アクセルと踏むと、滑らかに車は動き出す。
ハンドルを握りながら、思考はこの先の生活の事を考えていた。
どこかで働くという事を考えないといけないのかもしれない。
そんな不安が頭を過る。
自分が誰かに指図されながら、働くなんて考えたくは無かった。
このまま、父からの送金が無ければ、今乗っているスポーツタイプの高級車もいずれ、手放さなければならなくなるだろう。
その上、新作の服やバッグも買えない生活なんて、想像しただけでも惨めで、しょうがなかった。
「ちょっと、押しただけなのに|あの女《美緒》が、大げさにケガなんてするから……」
そう、あの日、|あの女《美緒》を階段で押した瞬間から、歯車が狂い始めていた。
夫の成明に離婚を突き付けられ、父には激怒され、挙句、健治には着信拒否をされている。
「本当、ムカつく!」
そうつぶやいて、アクセルを踏み込んだ。
デパートに入ると、煌びやかなショーウインドウが私を誘惑する。
いつも立ち寄るお気に入りのブランドでは、新作バッグが並んでいた。
綺麗な花に吸い寄せられる蝶のように、バッグを手に取り、そばに有った鏡に自分の姿をあてて見た。
鏡に映る『ハイブランドの新作を持つ自分の姿』に、多幸感を覚え、自然と口角が上がる。
今までのイライラが嘘のように晴れて、心が満たされた。
そして、馴染みの店員が近づいて来て「野々宮様、お似合いです」と声を掛けてくる。もちろん、マニュアル通りに言っているだけだと頭ではわかっているのに、悪い気はしない。
「これ、頂くわ」
そう言うと、店員は「ありがとうございます」とペコペコお辞儀をする。
行きつけのデパートでは、外商が付いていて、伝票にサインをするだけで買い物ができるのだ。
カウンターの向こうで店員は、そそくさと伝票に商品名を記載し、担当外商へと連絡を入れている様子が見てとれた。
すると、店員は、受話器を持ちながら、空いている方の手で口元を隠し、なにやら小声で、会話をしている様子だ。それに、時折、こちらをチラッと見ているのも気になる。
そして、電話を離すとわたしへと歩みより、小さな声で言った。
「野々宮様、申し訳ございません。ご都合により、外商扱いが難しい様子で……」
それを聞いた瞬間、ゾワッと鳥肌が立つ。
わたしが自由に買い物ができないようにと、父から外商へ指示を出したのだと察しがついた。
もしかしたら、カードも止められているのかもしれない⋯⋯。
もしも、カードが使えなかったら……。
外商が使えないのであれば、カードを止められている可能性は大きい。
不安が胸に広がる。
これ以上、恥をかきたくないという気持ちが強くなった。
「わかったわ。また、今度ね」
それだけ言うと、そそくさと店を出た。
たかがバッグを買うのに、こんなに恥ずかしい思いをするなんて……。
「なんで、わたしがこんな思いをしないといけないの?」
お財布の中の現金と、銀行の預金残高を思い浮かべると、ため息しかでない。
生まれてこの方、お金の心配などした事はなかった。
それが、バッグが買えないどころか、いつまで食べれるのか、考えなければならないなんて。
そんな自分がひどくみじめに思えた。
泣きたい気持ちで、エスカレーターを下り、地下の食料品売り場にやってきた。
お手伝いの美佐江さんも来なくなってしまった今となっては、自分で食事の心配をしなければいけないのだ。
今まで料理なんてした事がないのに……。
調理済みの総菜やお弁当を見繕うつもりでいる。
何を買おうか、辺りを見回した。
すると、左手をスリングで吊った女の姿を瞳が捕らえる。
「|あの女《美緒》だ……」
|あの女《美緒》は、ショーウインドウを眺めていて、わたしには気づいていないようだ。
「わたしをみじめにさせるイヤな女……」
別に美緒が、わたしに何かをしたというわけじゃない。
けれど、わたしが願っても手に入らないものを、美緒は、いつの間にか手にしている。
それに、今こんな状況に陥っているのは、美緒に関わったからだ。
この苛立たしさを抑えるなんて、無理だった。
ツカツカと足を進め、後をつけ始めた。
左手はスリングで吊られているものの、意外と元気そうだ。大ケガの末、入院したと聞いていたが、ぜんぜんそんな風には見えない。
「やっぱり、大げさに騒いだだけじゃない!」
もう、我慢ならない。
嫌味の1つでも言って、美緒の泣きそうな顔を拝ませてもらおうと、ほくそ笑む。
「ねえ、ちょっと待ちなさいよ!」
そう、声を掛けると美緒は振り返った。
美緒は驚きのあまり目を見開き、唖然として言葉もないようだ。
右手にA4の封筒を抱えている。その封筒に印刷された文字は、『山崎法律事務所』と書いてあった。
きっと離婚の相談にでも行ったのだろう。
「こんな所で会うなんてねぇ。そう言えば、離婚するんですってね。健治から聞いたわ」
わたしは、健治のマンションに行った時の事を思い出していた。
健治は確かに「別れることになりそうだ」と言っていた。
この女が離婚されるかと思うと溜飲が下がる。
しかし、意外にも美緒はわたしを真っすぐに見据える。
そして、冷静な声が却って来た。
「そうですか。いずれ果歩さんのところにも、慰謝料等々の書類が弁護士の方から届くと思いますので」
「はっ⁉ 慰謝料?」
思わず大きな声が出てしまい、周りの通行人からの注目を浴びてしまった。
そう、ここはデパ地下の通路だった。
美緒の泣き顔を見る予定だったのに、わたしの方が気圧されているなんて……。
それに、慰謝料だなんて、納得がいかない。
金銭的な不安を抱えている状態で、払えるわけがないのだ。
「勝手な事を言わないで!わたしが慰謝料なんて、払うわけないわ」
わたしの言葉に、美緒は呆れたように大きなため息を吐いた。
そして、聞き分けのない子供に言い聞かせるように、ゆっくりと話しだす。
「詳しいことは、担当の弁護士に聞いてください。私は果歩さんと関わりになる事を望んでいません。それとこの先、健治とは他人になるので、彼が誰と付き合おうが、私には関係ありません。ちなみに、今の会話は録音させて頂いています」
そう言って、わたしに向ってスマホを見せた。
なんだか美緒に負けたような感じがして、口惜しさでカッと顔が熱くなる。
「もう、勝手にすればいいわ!わたしを敵に回して、いずれ後悔するんだから!」
それだけ言い捨て、その場を離れるしかなった。
なんで、わたしがこんなに惨めな思いをしなければならないの……。
順調だった人生の歯車が狂ってしまった。
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