「へー、それでその子と同居してるの?
今度会わせてよ」
「嫌だね」
と自宅のカウンターで、七海が電話に向かって言ったとき、悠里が帰ってきた。
今日は友だちと食事をしてくると連絡が入っていた。
玄関を開ける音はしたが、こちらにはやって来ない。
猫でも見かけて、追っていったのかもしれない。
少し話して、
「じゃあ、切るぞ」
と言ったとき、ちょうどダイニングキッチンに入ってきた悠里が言う。
「あ、すみません。
お電話中でした?」
「いやいや。
学生時代の悪友からだから」
と言いながら、七海は悠里のために用意していたツマミを冷蔵庫から出す。
悠里の好きなチーズをコンビニで見かけたので、買ってきて、盛り合わせたのだ。
「……お前と住むようになって、俺は家事ができるようになった」
オリーブとチーズがいい感じに盛られている皿を見ながら、しみじみと七海は言った。
「いや、それ、家事なんですか?
盛り付けただけですよね?」
と頭の中の後藤が突っ込んでくる。
だが、目の前にいる悠里は、
「わあ、綺麗ですね~」
と手を叩いて喜んでいた。
北原に見せても、きっと喜んでくれたことだろう。
家事ではあまり動かない怠惰な二人は、人が作ってくれたものなら、なんでも美味しいらしいし。
すごく感謝してくれる。
……やっぱり、似てるとこあるよな、貞弘と龍之介さん。
恋かっ?
恋がはじまるのかっ!?
と七海は怯えていたが。
特になにも考えていない悠里の目は、ツマミと今、冷蔵庫から出したばかりのよく冷えたレモンサワーの缶に釘付けだった。
「そうだ。
大林が好きそうな感じなんだよ、さっきの友だち」
「修子さんに紹介しないといけない人、たくさんいますね。
モテモテですね、修子さん。
選び放題じゃないですか」
と悠里は言うが、
「待て。
そういうのモテモテって言うのか?
相手にだって、選ぶ権利があるだろうに」
と七海は言った。
「でも、修子さん、美人だし、面白いし、やさしいですよ」
頼りになる姉御です、と笑う悠里に、
「頼りになるあなごじゃなかったのか」
と言ってやったが、悠里は真顔で、
「……あなごが頼りになるのは、どんなときですかね?」
と考えはじめる。
「もう酔ってんのか、お前は。
先に呑むか?
風呂入るか?」
「あっ、じゃあ、急いで入ってきますっ」
と悠里は猫のように走っていった。
風呂上がりのユウユウは、いつも家にいるが。
色っぽいかと言われたら、ちょっと違うな、と思いながら、七海は目の前でグビグビ美味しそうに酒を呑んでいる悠里を見ていた。
学生時代には思いもしなかったな。
ただ笑っているだけだが、なにやら癒されるラジオ番組のアシスタントの女の子と、こうして一緒に住んだり、酒を呑んだりする日が来るなんて。
思っていたより美人だが。
その顔があまり意味をなしていないところが、なんとなく好きだ。
濡れた髪から滴った水滴が頬に向かい、伝い落ちる。
本来、どきりとするところなのだろうが。
悠里が首にタオルかけて、酒をあおっているせいか。
額に汗して働く工事現場のオッサン、休息の一杯を眺めている、という感じだ。
でも……
なんでだろうな。
そんなこいつを見るたび、こいつと一生共にいたいと願ってしまう。
まあ、全然、いい雰囲気にならないのは、大問題なのだが。
部屋のライトが明るすぎたかな。
調光できるのにすればよかった。
もっと薄暗くムーディにできるのに取り替えようか。
だが、こいつが工事現場のオッサンのままではな……。
いや、充分可愛いのだが。
よし、ちょっとなにかそれっぽいことを言ってみよう。
七海は家電量販店でもらったホワイトボードを出してきた。
「日々、忙しくて、コミュニケーションがとれなかったりするから。
これを置いてみよう」
「ああ、『今日は呑みです』とか書くんですか?」
「それも書いていいが。
今日の気持ちを書いてみるとか」
「今日の気持ち?」
「俺が好きとか、嫌いとか。
そろそろ結婚してもいいかなとか」
「……いや、日々、そんなに好きか嫌いかが変わったり。
突然、なんの脈絡もなく、結婚したいと思ったりとかしますかね?」
「『なんの脈絡もなく、結婚したい』は、お前を見てると、ときどき思うぞ」
と言うと、悠里は、えっ? という顔をした。
ちょっと赤くなって不自然にツマミの方を見る。
そういうところで、そういう反応をしてくれるのかっ。
もっとこういう言葉を捻り出さねば……
捻り……
捻り出せないっ。
こういうことに関しては、経験値が少なすぎるっ。
誰か助けてくれっ、と思ったが、後藤も北原も、この恋に関しては、味方ではなかった。
「と、とりあず、このホワイトボードに……
今の、お前の気持ちを書け」
「えっ?
何処にどうやってですか?」
と問われたので、
「ここに、スキかキライか書いてくれ」
と七海はホワイトボードに○を描く。
「あの、○、ふたつだと、スキしか書けないんですけど……」
ドチラデモナイ、はないんですか?
と悠里は言ってきた。
いや、どちらでもないってなんだ。
でも、まあ、キライよりはいいか、と七海は思う。
スキもキライもどちらも書けません……。
そう思った悠里は結局、どちらも書かなかった。
そろそろお開きにしようかというころ、七海が、
「そうだ。
そろそろ目覚めのメッセージを新しくしてくれよ」
と言い出した。
「え、いいですけど……」
「『おはよう、白玖』にしてくれ」
「誰ですか?
白玖さんって」
俺だろっ!?
と七海がキレる。
「いつも書類で見てるだろっ?」
と言われるが。
毎日、機械的に『七海白玖』という社長の名前を見たり、打ち込んだりしているだけだ。
なんて読むんだったかな~とたまに、ぼんやり眺めている。
「さあ、言ってみろ。
『おはよう、白玖』」
「呼び捨てはちょっと……」
「じゃ、『おはようございます、白玖さん』で妥協してやろう」
よし、言え。
さあっ、と急かされる。
「おはようございます、は……」
恥ずかしいな。
改めて名前呼ぶなんて……。
「は、はくさんって、白菜と言い間違いそうですよねっ」
と悠里は誤魔化そうとしたが、
「そんな小学校で何度も聞いたセリフはもう聞きたくない。
ほら、『おはようございます、白玖さん』だ」
言え、と真顔で見つめたまま言う。
そういう視線は困ります。
この人、意外にハート強いな。
「ほら、俺の名字って、名前っぽいだろ。
名字を名前。
名前を名字と思えば言えるだろ。
『おはようございます、白玖さん』」
はいっ、と急かされ、結局、言わされた……。
二人で聴いてみる。
「おはようございますっ、白玖さんっ。
今日も一日頑張りましょうっ。
はははははははははは」
「……私、笑ってません」
「……今、目の前で撮るとこ見てたから知ってる」
お前、ここにも霊つれてきてるぞっ!
と七海が叫ぶ。