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休養
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ある日、任務から帰ってきた僕を、兄さんが呼び止めた。お風呂を済ませたら話があるって。
何だろう。兄さんはものすごく、思い詰めた表情をしていた。それは両親が亡くなって、柊依さんと出会うまでの子ども2人きりの生活をしていた時と同じくらい…、いや、下手したらその時以上かも。
鬼の返り血でガピガピに固まった髪を丁寧に解いて洗う。顔も、身体もたくさんの泡で包み込んで入念に。
自分が満足いくまで全身を洗って湯舟に浸かる。いつもだったら温泉を引いてある花柱邸のお風呂のその気持ちよさに結構長い時間身を預けているけれど、兄のあんな顔を見せられてしまっては心配で堪らなくて、僕は早めにお風呂場を後にした。
「兄さん、お待たせ。話って?」
部屋の襖を開けると、そこには有一郎と、柊依さんが座っていた。
『無一郎くん、おかえりなさい。お疲れ様』
「柊依さん!ただいま」
大好きな人の優しい笑顔を見て、ほっと心が温かくなる。
すすめられた座布団に腰を下ろす。
「……無一郎」
「…兄さん、話って何?」
重々しく口を開いた兄。その思い詰めた表情に、また身体が強張る。
兄の口から発せられたのは、これからしばらく鬼殺の任務から離れることにしたという内容の話。少し前の任務をきっかけに、鬼と戦う前やその最中に身体に不調を覚えるようになったと。食べたもの全部吐き出してしまうし、それを抑えようと薬まで使ったら別の体調不良を招くことになってしまったと。
異変を見抜いた柊依さんにやっとの思いで白状し、今の状況やこれからのことをお館様と相談して、さっきの結論に至ったらしい。
話の途中から、声を震わせ始めた兄さん。俯いた顔からぽたぽたと透明な雫が零れ落ちた。
兄さんが泣いているのを見たのは、大怪我をして重体だった柊依さんが目を覚ましたあの日以来だった。
いつも強くて、僕を守ろうとしてくれて、剣にひたむきな兄さんがここまで追い詰められていたなんて、全然気付けなかった。双子の弟なのに、家族なのに。僕は兄さんがひとりで抱えているものに気が付いてあげられなかったんだ。
情けない。悔しい。悲しい。
僕もつられて泣いてしまった。ぎゅっと兄さんに抱きつく。そしてその細さにまた涙が止まらなくなってしまった。
黙って僕たちを見守っていた柊依さんが、そっと僕らを抱き締めた。
『…とにかく、今の有一郎くんに必要なのは休養ね。無一郎くんを喪わない為にずっと張り詰めていたものが崩れちゃったの。心と身体の均衡が上手く保てなくなった状態で無理して任務に行くのはかえって危ない。…無一郎くんのことは私もしっかり支えるから、今は有一郎くんにゆっくりさせてあげてね』
「うんっ…!」
柊依さんは優しく僕たちの頭を撫でて、静かに部屋を出て行った。
「…っ…兄さんの馬鹿!なんでこんなになるまてで無理したのさ…!」
「…うっ……。だって…!」
柊依さんから渡された手拭いに顔を押し付けたまま、兄さんが肩を震わせる。
「ごめん…、ごめんね兄さん。僕全然気付かなくて…!弟なのに。兄さんがこんなに苦しんでたなんて分からなかった。ごめんね…!」
「ちが、う…。無一郎は悪くないっ…」
面倒見がよくて責任感が強くて優しい兄のことだ。僕や周りに心配を掛けないように、自分ひとりで何とかしようと思ったんだろう。でもかえって悪いほうに事態が進んでしまった。
「僕のことは心配しないで、…って言っても無理なんだろうけどさ。とにかく兄さんは今はちゃんと休んで。柊依さんもいてくれるし銀子もついてるし。僕は大丈夫だから。…っ…、だから、ちゃんと休んで早く元気になって。ねっ…?」
後半はまた涙で喉がつかえて声が震えてしまった。兄さんは僕の言葉に黙って頷いた。
僕たちは、お互いの着物を涙と鼻水でびしゃびしゃにしながら長いこと抱き締め合っていた。
胡蝶さんをはじめとする何人かのお医者さんに診てもらって、今の自分の身体の不調が精神的な負担から来るものだと判明した。そしてお館様に事情を話し、俺は本格的に休養に入った。
任務に行かなくていい。ただそれだけで、こんなにも気持ちが楽になるのか。無一郎のことが心配なのは変わらないし、今の自分が情けないと思う気持ちも消えないけれど、任務に行かなくてよくなった途端、ずっと感じていた吐き気や不快な動悸がぴたりとおさまったのも事実なんだ。
屋敷で働く隠の人たちや無一郎は、俺の顔を見る度にちゃんと休んでくれと布団をすすめてくる。でも、柊依さんは布団で横になることを強要しなかった。一緒に料理をしたり、買い物に連れ出してくれたり、俺が比較的調子がいい日は木刀や竹刀で軽く稽古をつけてくれた。じっと布団で横になっているより、そういうふうにしていたほうが気が紛れてよかった。
食べたごはんも以前のように美味しいと感じられるようになって嬉しかった。気持ち悪くもないし、吐かなくて済んだ。落ちまくった体重も少しずつ元に戻っていった。
しばらくして、無一郎が霞柱に就任した。9人だった柱は異例の10人体勢となった。鬼殺隊に入ってから、めきめきと剣の腕を上げてどんどん強くなった無一郎。双子なのに、しかも自分が兄さんなのに、こんなにも差が開いてしまったことに悔しさや恥ずかしさを感じるけれど、いつまでもそれをうじうじ悩んでいたって仕方ない。
無一郎を応援するんだ。自分がいつかまた戦えるようになるまでは弟を全力で支えるんだ。それで、俺がちゃんと刀を振れるようになったら、お互いの背中を預けて悪い鬼をやっつけるんだ。だから今は自分にできることを精一杯やろう。料理でも洗濯でも掃除でも。柊依さんが言っていたように今はちゃんと自分を見つめ直して、心と身体を休めるんだ。
続く
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