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三日月さくら🎼🍵👑🌞
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読み終わりました……🥀 「正しい道」って、たぶんふたりらしいお別れだったんだろうなって思います。 好きだからこそ距離を置く、って本当に苦しい選択ですよね。 でも、あのホームで「嫌いになれない」って言った小柳くんの言葉と、星導くんが最後に残した温度——あれがずっと残るんだろうなって。 「さよなら」じゃなくて「また」って言えたのも、ちゃんとお互いを想ってたからだと思います。 未完成で終わるのも、ひとつの形だなって思いました。 報われなくても、選んだ未来を否定しないふたりの強さ、すごく伝わってきました。 この距離感、すごく好きです。届いてますよ、ちゃんと🥀
叶わないけど恋愛要素ほんのり
別れ道です
一万六千文字くらいです
初心者が書いてます
※以下は実在の人物を題材にした二次創作であり、本人・関係者とは無関係のフィクションです。
ALL星導side
終電が行ってしまったあとの駅は、昼間とは別の場所みたいだった。
人のいないホームには、必要以上に明るい照明だけが残っている。白い光が床を照らし、点字ブロックの黄色を妙に鮮明に浮かび上がらせていた。線路の向こう側では、誰も乗せていない回送列車が音もなく通り過ぎていく。
俺はベンチに座って、膝の上に置いたスマートフォンを何度も裏返した。
画面には、送信していないメッセージが表示されている。
『今日はありがとう』
たったそれだけの文面を、もう十五分くらい眺めていた。
送ってしまえばいい。そう思うのに、指は動かなかった。
ありがとう、なんて言葉は、便利すぎる。
楽しかったときにも使えるし、寂しいときにも使える。さよならの代わりにもなるし、まだ続けたいという気持ちを隠すためにも使える。
だから俺は、その5文字が嫌いだった。
「……星導」
背後から呼ばれて、俺はスマートフォンを伏せた。
振り返らなくても誰だかわかる。
少し低くて、落ち着いていて、でも俺を呼ぶときだけ、ほんの少しだけ声の温度が変わる。
「小柳くん」
「帰らないのか」
「小柳くんこそ」
「俺は、星導が帰るなら帰る」
そう言って、小柳くんは俺の隣に座った。
ベンチがわずかに軋む。肩が触れそうで触れない距離だった。近いようで、決して近くない。俺たちはいつもそうだった。
配信中なら、もっと近くにいられた。
くだらない話をして、互いに笑って、言葉を重ねていけば、何か特別なものに触れられる気がした。画面越しの時間は、現実よりずっと自由だった。
けれど、配信が終われば、俺たちはそれぞれの場所に戻る。
マイクを切れば、声は届かなくなる。
配信画面を閉じれば、隣にいるはずの人は、どこにもいなくなる。
「今日の収録、よかったな」
小柳くんが言った。
「うん。すごくよかった」
「星導、最後のところ、ちょっと笑ってただろ」
「え、そうだった?」
「笑ってた。あれ、よかった」
小柳くんは、たぶん何気なく言った。
でも俺にとっては、その一言がやけに重かった。
最後のところ。
今日、俺たちは一緒に歌を録った。
何度も打ち合わせをして、何度も歌い直して、何度も互いの声を聴いた。完成した音源を聴いたとき、俺は思った。
これで、最後にしよう。
小柳くんとこうやって何かを作るのは、これで終わりにしよう。
それは、今日突然決めたことではなかった。
数週間前から、俺の中にはずっとその考えがあった。
きっかけは、ひどく些細なことだった。
小柳くんに、新しい仕事の話が来ていた。
今までとは違う場所で、違う人たちと、違う形で活動する話。俺が詳しく知っているわけではない。ただ、彼がその話を受けるかどうかで迷っていることだけはわかっていた。
小柳くんは、俺に相談してきた。
『どう思う』
そう聞かれたとき、俺はすぐに答えられなかった。
行けばいいと思った。
行ったほうがいい。絶対に。
それは小柳くんにとって大きな機会で、今まで積み重ねてきたものを、もっと遠くまで運んでいける道だった。
でも、俺がそう言ったら。
小柳くんがその道を選んだら。
俺たちの時間は、今より少なくなる。
今までみたいに、突然連絡を取って、くだらない話をして、予定を合わせて、何かを作ることができなくなる。
俺は、それが嫌だった。
嫌だったけれど、俺の気持ちだけを理由に、小柳くんの足を止めるわけにはいかなかった。
だから俺は、笑って言った。
『小柳くんがやりたいなら、やればいいんじゃない?』
その言葉は、本心だった。
本心だったからこそ、苦しかった。
「星導」
「なに?」
「さっきから、ずっとスマホ見てる」
「見てないよ」
「見てた」
「見てないって」
「じゃあ、何をそんなに大事そうに伏せたんだ」
小柳くんが、俺の手元を見た。
俺はスマートフォンを握り直した。
送っていないメッセージが、ポケットの中で重くなっていく。
「小柳くんに送ろうと思ってたんだけど」
「何を」
「今日、ありがとうって」
「今言えばいいだろ」
「それだと違うんだよ」
「何が違う」
俺は答えられなかった。
言葉にすると、もう戻れない気がした。
今日ありがとう。
今までありがとう。
これからも頑張って。
どれも、さよならみたいだった。
「……小柳くんはさ」
「うん」
「新しい話、受けるんでしょ」
小柳くんは、すぐには答えなかった。
遠くで、踏切の警報音が鳴っている。けれど、ここまで電車が来る気配はない。別の路線の音なのか、それとも駅の設備が出した残響なのか、俺にはわからなかった。
「まだ決めてない」
「嘘」
「嘘じゃない」
「決めてる顔してる」
「どんな顔だよ、それ」
「覚悟を決めた人の顔」
小柳くんは小さく息を吐いた。
「……受ける」
「そっか」
「星導には言っておきたかった」
「うん」
「まだ正式に決まったわけじゃないけど、たぶん受ける。俺は、そっちに行きたい」
「うん。行ったほうがいいよ」
言えた。
ちゃんと、言えた。
自分でも驚くくらい、自然に言葉が出てきた。
「星導は、それでいいのか」
「いいよ」
「本当に?」
「本当に」
俺は笑った。
きっと、ちゃんと笑えていた。
「小柳くんが行きたい場所に行くなら、それが一番いいでしょ」
「……俺にとっては、星導と続けることも一番いいかもしれない」
その言葉に、胸の奥が一度だけ大きく揺れた。
けれど、俺は聞かなかったことにした。
「何それ。急に口説いてる?」
「口説いてない」
「じゃあ、どういう意味?」
「そのままの意味」
「困るなあ」
冗談めかして笑う。
小柳くんは、笑わなかった。
俺のことを見ていた。
真っ直ぐで、逃げ場のない目だった。
その目を見ると、いつも思う。
俺はこの人に、何度も救われてきた。
俺が何でもないふりをしているときに、何でもないふりをしていることを見抜いてくれた。俺が無理に笑っているときには、わざとくだらない話を振って、笑う理由を作ってくれた。
俺が一人でいることを選んだときも、無理やり隣に来ることはしなかった。
ただ、いつでも戻れる場所みたいに、そこにいてくれた。
だから俺も、小柳くんにとってそういう存在でいたかった。
でも、そんな願いは、時々ひどく残酷だ。
戻れる場所でいるためには、追いかけてはいけない。
引き止めてはいけない。
自分の寂しさを、相手に背負わせてはいけない。
「俺もさ」
俺は線路の向こうを見ながら言った。
「少し、考えてることがあるんだ」
「何を」
「活動の仕方を変えようと思ってる」
小柳くんの視線が、こちらに向いた。
「変えるって?」
「今までみたいに、誰かと一緒に何かを作ることを減らす。しばらく、一人でやってみようかなって」
「……どうして」
「自分のことを、ちゃんと見直したくて」
「星導は、今までだって自分でやってただろ」
「そうだけど。俺は、誰かといると、その人のことばかり考えちゃうから」
言ってしまってから、しまったと思った。
それは小柳くんに向けた言葉として、あまりにも正直だった。
けれど、小柳くんは聞き返さなかった。
「俺のこと?」
「小柳くんだけじゃないよ」
「でも、俺のこともだろ」
逃げられない。
俺は、笑えなかった。
「……うん」
「星導」
「小柳くんが悪いわけじゃない」
「そんな話はしてない」
「わかってる。でも、先に言わせて」
俺は両手を組み、膝の上に置いた。
指先が冷たい。
「小柳くんがいると、俺は安心するんだよ。何を言ってもいい気がするし、何も言わなくてもわかってもらえる気がする。だから、甘えてしまう」
「甘えればいいだろ」
「そういうところだよ」
「何が」
「小柳くんは、そうやって簡単に許すから」
小柳くんは黙った。
「俺は、ずっと小柳くんに寄りかかってた。小柳くんが隣にいるなら大丈夫だって思ってた。でも、それじゃ駄目なんだと思う」
「駄目じゃない」
「駄目だよ」
「俺がいいって言ってる」
「小柳くんがいいって言っても、俺が嫌なんだ」
初めて、声が震えた。
隠していたものが、少しずつこぼれていく。
「俺は小柳くんに、俺を選んでほしいわけじゃない」
「……」
「小柳くんが自分で選んだ道を、俺のせいで諦めてほしくない。でも、本当は、俺のことも選んでほしいって思ってる」
言葉にした瞬間、胸が痛んだ。
ずっと知らないふりをしていた気持ちだった。
小柳くんの前では、理解のある顔をしていたかった。背中を押せる人間でいたかった。彼がどこへ行っても、変わらず応援できる人間でいたかった。
でも、俺だって普通に寂しい。
置いていかれるのは怖い。
隣からいなくならないでほしい。
できれば、俺のために立ち止まってほしい。
そんなことを願ってしまう。
願ってしまう自分が嫌だった。
「俺は、そんなに器用じゃないから」
小柳くんが言った。
「星導が何を考えてるか、全部わかるわけじゃない」
「うん」
「でも、俺は星導にいなくなってほしくない」
「いなくならないよ」
「一人でやるんだろ」
「一人でやるだけ。消えるわけじゃない」
「今までみたいには会えなくなる」
「小柳くんだって忙しくなる」
「それでも、会おうと思えば会える」
「そうだね」
「なら、どうして終わらせようとする」
俺は返事をしなかった。
小柳くんは、終わらせようとしていることに気づいていた。
俺たちは、今日で終わる。
何かが正式に終わるわけではない。関係に名前がついていたわけでもない。約束をしていたわけでもない。
だからこそ、俺が一人で終わらせるしかなかった。
「小柳くんが新しい場所に行くから」
「それは理由にならない」
「俺にとってはなる」
「星導が勝手に決めてるだけだ」
「そうだよ」
俺は小柳くんを見た。
「勝手に決めてる。俺のことだから」
「俺は、星導の決めたことなら何でも納得できるわけじゃない」
「納得しなくていい」
「よくない」
「でも、納得してもらうために話してるんじゃない」
小柳くんの顔が、少しだけ歪んだ。
その表情を見たくなかった。
見たくなかったのに、俺は目を逸らせなかった。
「小柳くんが、新しい道を選ぶのは正しいよ」
「星導も、俺と続けることを選べばいい」
「それができないんだ」
「どうして」
「小柳くんの隣にいる俺が、今の俺のままじゃ嫌だから」
自分でも、何を言っているのかわからなかった。
けれど、小柳くんは黙って聞いていた。
「小柳くんは、これからもっと遠くに行く。たくさんの人に見つけてもらって、たくさんのことを任されて、たくさんの場所に呼ばれる。俺は、その隣で笑っていたい。でも、ただ隣にいるだけの俺にはなりたくない」
「星導は、ただ隣にいるだけじゃない」
「今はそう思えない」
「俺がそう思ってる」
「小柳くんがそう思ってくれても、俺自身がそう思えないなら、意味がない」
それは、正しい選択のように聞こえた。
自分を変えるために距離を置く。
相手の未来を邪魔しないために、身を引く。
依存しないために、一人で立つ。
どれも間違ってはいない。
むしろ、正しい。
正しいから、誰にも責められない。
誰にも責められない選択は、時々、最も救いがない。
「……星導は、俺がいないほうがいいのか」
「そういう聞き方、ずるいよ」
「答えてくれ」
「小柳くんがいないほうがいいわけじゃない」
「じゃあ、俺がいてもいいのか」
「いてほしいよ」
それは、本心だった。
「いてほしい。ずっといてほしい。でも、俺のためにいてほしいわけじゃない」
「意味がわからない」
「俺もわからないよ」
俺は笑おうとした。
今度は、うまくいかなかった。
「小柳くんには、小柳くんの行きたいところに行ってほしい。俺には、俺の行きたいところがある。だから、今は一緒に行けないんだと思う」
「星導の行きたいところって、どこだよ」
「まだ、わからない」
「わからないのに、離れるのか」
「わからないから、離れるんだよ」
言いながら、自分の言葉が空っぽに聞こえた。
先が見えているわけではない。
離れれば何かが見つかる保証があるわけでもない。
小柳くんと距離を置いたからといって、俺が強くなれるとも限らない。
ただ、今のままではいられないと思った。
このまま彼の隣で、安心して、甘えて、彼の未来を喜びながら、自分だけ置いていかれるのを怖がり続けるのは嫌だった。
だから離れる。
それが正しいと、何度も自分に言い聞かせていた。
「星導」
「なに」
「俺は、星導のことを待てる」
心臓が、嫌な音を立てた。
「待たなくていい」
「どうして」
「待っても、俺が戻るとは限らないから」
「それでもいい」
「よくないよ」
「俺がいいって言ってる」
「小柳くんは、そうやって簡単に言うけど」
「簡単じゃない」
小柳くんの声が、初めて強くなった。
「俺は、星導が思ってるほど簡単に言ってない」
俺は黙った。
「星導が離れたいなら、無理に引き止めるつもりはない。でも、俺が待ちたいと思うことまで、勝手に否定するな」
「……ごめん」
「謝るな」
「でも」
「謝られると、俺が悪いみたいだ」
「そんなつもりじゃない」
「わかってる。わかってるけど、腹が立つ」
小柳くんは、拳を握っていた。
怒っている。
俺に。
そのことが、悲しいのに、少しだけ嬉しかった。
どうでもいい相手には、怒らない。
どうでもいい相手なら、こんなふうに傷ついた顔をしない。
「星導は、俺に何も言わずに決めて、俺が納得する前に全部終わらせようとしてる」
「うん」
「それが星導の優しさなら、俺はそんなものいらない」
「優しさじゃないよ」
「じゃあ何だ」
「臆病なだけ」
やっと認められた。
俺はずっと怖かった。
小柳くんの夢を応援できなくなることが怖かった。
小柳くんの重荷になることが怖かった。
いつか小柳くんが、俺と一緒にいることを後悔するのが怖かった。
だから、後悔される前に離れる。
必要とされなくなる前に、自分からいなくなる。
そうすれば、少なくとも最後まで、俺は自分の意思で選んだことにできる。
「俺は、小柳くんに嫌われる前に離れたいんだ」
その言葉を聞いて、小柳くんはしばらく何も言わなかった。
駅の時計の秒針だけが、やけに大きく聞こえる。
「……俺が、星導を嫌うと思ってるのか」
「思ってるわけじゃない」
「じゃあ、どうして」
「怖いから」
「何が」
「小柳くんが、いつか俺を必要としなくなるのが」
声が震えた。
もう、止められなかった。
「今は、小柳くんの中に俺の場所がある。でも、小柳くんが進んでいったら、俺の場所はなくなるかもしれない。新しい人たちと出会って、新しいものを作って、俺より大切なものが増えていく。そのときに、俺だけが昔のまま残っていたら、きっと苦しくなる」
「星導」
「だから、今のうちに離れる。小柳くんがまだ俺のことを大事に思ってくれているうちに。俺が、小柳くんの幸せをちゃんと願えるうちに」
「それが、星導の選びたいことなのか」
俺は答えた。
「違う」
小柳くんの目が揺れた。
「俺が選びたいのは、小柳くんの隣にいることだよ」
その言葉を、ずっと言いたかった。
「でも、俺が選ぶべきだと思ってるのは、離れることなんだ」
言ってしまえば、ひどく簡単だった。
好きだから、離れる。
大切だから、手放す。
そんな聞こえのいい理由で、自分の寂しさに蓋をする。
俺はその蓋を、何度も押さえつけた。
「それは、良い選択なのか」
小柳くんが尋ねた。
俺は少し考えてから、答えた。
「たぶん」
「報われるのか」
「たぶん、報われない」
「じゃあ、選ぶなよ」
まっすぐな言葉だった。
子どもみたいで、でも、どうしようもなく正しかった。
報われないとわかっているなら、選ばなければいい。
離れないでほしいと言われたなら、離れなければいい。
一緒にいたいと思うなら、一緒にいればいい。
なのに俺は、正しさのほうへ逃げようとしていた。
「小柳くんは、俺が残ったら幸せ?」
「俺が決めることじゃない」
「じゃあ、俺が残ったら小柳くんは?」
「幸せかどうかなんて、そんな簡単に答えられない」
「でも、嫌じゃない?」
「嫌じゃない」
「負担じゃない?」
「違う」
「俺が隣にいても、小柳くんは進める?」
「進む」
迷いのない答えだった。
「星導がいても、俺は進める。星導がいなくても、俺は進む。でも、俺は星導と一緒に進みたい」
その言葉を聞いて、俺はとうとう俯いた。
泣くつもりはなかった。
泣いたら負けだと思った。
小柳くんを困らせる。引き止めてしまう。決めたことを覆してしまう。
だから、涙をこぼすわけにはいかなかった。
けれど、一度滲んだ視界は、もう元には戻らない。
「……ずるいなあ、小柳くん」
「何が」
「そんなこと言われたら、離れられなくなる」
「離れなくていい」
「それでも、離れるんだよ」
「星導」
「ごめん」
「謝るなって言った」
「じゃあ、ありがとう」
「それも言うな」
「どうして?」
「終わりみたいだから」
小柳くんの声が、少しだけ掠れていた。
俺は顔を上げた。
小柳くんも、泣いてはいなかった。
けれど、泣くのを堪えている人の顔をしていた。
それを見て、俺は思った。
ああ、同じなんだ。
小柳くんも、俺と同じくらい、この時間を終わらせたくないと思っている。
それなのに、俺は終わらせようとしている。
自分のために。
小柳くんのためだと言い聞かせながら、結局は自分が傷つく未来から逃げるために。
「今日の収録、最後にしようと思ってた」
俺は言った。
「俺たちで何かを作るのは、今日で最後」
「……そうか」
「うん」
「決めてたのか」
「うん」
「俺に言わずに?」
「言ったら、止めてくれると思ったから」
「止める」
「だから言わなかった」
小柳くんは、ゆっくりと息を吐いた。
「最低だな、星導」
「知ってる」
「俺の気持ちを勝手に決めつけて」
「うん」
「俺の選択を応援すると言いながら、自分だけ逃げて」
「うん」
「それでも、離れるのか」
「うん」
小柳くんは、俺を見た。
怒っているようにも、諦めているようにも見えた。
けれど、そのどちらでもなかった。
たぶん、ただ悲しかった。
俺も同じだった。
俺たちは、互いに相手を傷つけないために、互いを傷つけていた。
それが正しいやり方だと信じて。
傷つけることを選んだのは、俺だった。
「……わかった」
小柳くんが言った。
「小柳くん」
「星導がそこまで決めてるなら、俺は無理に引き止めない」
「うん」
「でも、俺は納得してない」
「それでいいよ」
「いつか、戻ってきてもいいのか」
俺はすぐには答えられなかった。
「戻る場所が残ってるなら」
「残す」
「小柳くんが、新しい場所でちゃんと前に進んで、それでも俺のことを覚えてたら」
「覚えてる」
「そんなの、約束できないよ」
「俺が覚えていたいと思う限り、覚えてる」
「小柳くんは、本当に頑固だね」
「星導に言われたくない」
小柳くんが、ほんの少し笑った。
その笑顔は、いつものものだった。
配信中に見せる、あの穏やかな笑い方。
でも、今はどこか壊れかけていた。
俺も笑った。
たぶん、俺の笑顔も同じだった。
「じゃあ、小柳くん」
「何だ」
「最後に、ひとつだけお願いしてもいい?」
「言ってみろ」
「俺のこと、嫌いにならないで」
言ってから、馬鹿みたいだと思った。
そんなお願いをするくらいなら、離れるなんて言わなければいい。
嫌われたくないなら、ずっと隣にいればいい。
でも小柳くんは、笑わなかった。
「無理だ」
胸が冷たくなった。
「……そっか」
「嫌いにはなれない」
小柳くんは、俺の目を見て言った。
「だから、無理だ」
俺は、今度こそ泣いた。
声を出さないようにしていたけれど、涙だけは止められなかった。
小柳くんは、何も言わずに隣に座っていた。
手を伸ばしてくることもなかった。
俺も、伸ばさなかった。
触れてしまったら、きっと離れられなくなる。
そう思っていた。
でも本当は、触れなくても、俺はもう十分にこの人から離れられなくなっていた。
時間は、俺たちの気持ちとは関係なく進んでいく。
駅の照明が一つ消えた。
清掃員がホームの端を歩いている。
始発まで、あと一時間。
「星導」
「うん」
「最後に作ったもの、公開されたら聴く」
「俺も聴くよ」
「感想、送ってもいいか」
「いいよ」
「返事は」
「……たぶんする」
「たぶんか」
「返事をしたら、また続けたくなるかもしれないから」
「俺は続けたいと思ってる」
「小柳くんは、そういうことを簡単に言うね」
「簡単じゃないって、さっき言っただろ」
「ごめん」
「謝るな」
また同じやり取りをした。
それが可笑しくて、少しだけ笑った。
小柳くんも、今度は笑った。
その瞬間だけ、いつもの俺たちに戻れた気がした。
くだらないことで笑って、隣にいることが当たり前で、明日もまた会えると思っていた頃の俺たち。
けれど、そんな時間は、もう戻ってこない。
それでも俺は、戻らないからこそ、きれいなまま残るのだと思いたかった。
もしこの先、俺たちが別々の道を歩いて、互いのことを思い出すことさえ少なくなったとしても。
今日のことだけは、なかったことにならない。
俺たちは確かに、一緒にいた。
互いを大切に思っていた。
同じ方向を見ていた時間があった。
そして最後には、同じ方向へ進めないことを選んだ。
「始発、来るな」
小柳くんが言った。
「うん」
「俺は、こっち」
「俺は反対側」
「知ってる」
ホームの両端に、それぞれ別の路線が入ってくる。
別れるには、ちょうどいい時間だった。
俺は立ち上がり、鞄を持った。
足元が少しふらついた。
小柳くんが手を伸ばしかけて、途中で止めた。
俺も見なかったことにした。
「小柳くん」
「何だ」
「新しい場所、頑張って」
「星導も」
「俺は、頑張らないかも」
「頑張れ」
「厳しいなあ」
「頑張らなくてもいい。でも、逃げるな」
俺は返事をしなかった。
逃げている自覚はあった。
それでも、今の俺には、これが必要だった。
「じゃあね」
俺が言うと、小柳くんは少しだけ眉を寄せた。
「またな、じゃないのか」
「また会えるかわからないから」
「会う」
「小柳くんが決めることじゃないよ」
「俺が決める」
「俺が会わないって決めたら?」
「そのときは、俺が待つ」
「待たなくていいって言ったのに」
「聞いてない」
俺は、泣きそうになりながら笑った。
「本当に、頑固だね」
「星導ほどじゃない」
「じゃあね、小柳くん」
「……ああ」
電車が入ってくる。
風が吹き、俺の服の裾を揺らした。
ドアが開く。
俺は一歩踏み出した。
乗り込む前に、振り返る。
小柳くんは、まだそこにいた。
俺を追いかけてくることもなく、手を振ることもなく、ただまっすぐに俺を見ていた。
その視線を、俺は最後まで受け止めた。
電車のドアが閉まる。
小柳くんの姿が、ガラスの向こうへ遠ざかっていく。
列車が動き出す。
駅が後ろへ流れていく。
俺は、スマートフォンを取り出した。
送信していなかったメッセージを開く。
『今日はありがとう』
その下に、文字を付け足した。
『今までありがとう』
さらに、指を止める。
何度も迷ったあと、最後にこう書いた。
『小柳くんのこと、ずっと応援してる』
送信ボタンを押す。
すぐに既読がついた。
返事は来なかった。
俺も、待たなかった。
待ってしまえば、また期待してしまう。
期待してしまえば、離れたことが間違いだったと思ってしまう。
だから俺は、窓の外を見た。
夜明け前の街は、まだ暗い。
どこへ向かっているのか、自分でもわからない。
この先に、俺が望んだものがあるのかもわからない。
小柳くんと離れたことで、俺が強くなれる保証なんてどこにもなかった。
ただ、ひとつだけ確かなことがある。
俺は、小柳くんの未来を邪魔しないことを選んだ。
俺自身が、隣にいることを望んでいたとしても。
それが正しい選択だったのかは、たぶん、最後までわからない。
良い選択だったのかもしれない。
間違った選択だったのかもしれない。
でも、そのどちらであっても、俺たちはもう戻れない。
完成しなかったものは、完成しなかったまま残る。
言えなかった言葉も、触れなかった手も、叶わなかった約束も、消えてなくなるわけではなかった。
ただ、行き場を失ったまま、胸の奥に残り続ける。
それは傷に似ていた。
痛みがあるうちは、まだそこに何かがあるとわかる。けれど時間が経てば、傷は薄い痕になる。ふとした瞬間に触れれば痛むのに、普段は忘れていられる程度のものになる。
小柳くんとのことも、いつかそうなるのだと思っていた。
忘れるわけではない。
忘れられるはずもない。
ただ、思い出さずにいられる時間が、少しずつ増えていく。
そうしていつか、俺は小柳くんのいない毎日にも慣れていくのだろう。
そのはずだった。
けれど、現実は俺が思っていたほど簡単ではなかった。
離れると決めた翌日から、俺たちの間に何か明確な線が引かれたわけではない。
連絡先が消えたわけでもないし、互いの活動を見なくなったわけでもない。共通の場所で名前を見かければ、今までと同じように画面を開いた。
小柳くんの新しい仕事が発表された日、俺は誰よりも早くその告知を見つけた。
たくさんの人が祝福していた。
期待しているという言葉が並び、楽しみだという声が重なっていく。
俺も、その中に混ざって短いコメントを残した。
『おめでとう。小柳くんらしく、頑張って』
送信してから、少しだけ後悔した。
小柳くんらしく、という言葉が、あまりにも遠かったからだ。
まるで、もう俺は小柳くんの隣にはいないのだと、自分から認めているみたいだった。
数分後、小柳くんから個人的なメッセージが届いた。
『ありがとう』
それだけだった。
俺も、それだけ返した。
そこから先は、何も続かなかった。
続けてはいけないと思った。
おめでとうの次に、寂しいと送ることもできた。楽しみにしているの次に、会いたいと書くこともできた。
でも、俺は何も言わなかった。
言わないことが、俺たちのためになると思っていた。
正しい距離を保つことが、俺にできる唯一の償いだと思っていた。
小柳くんが新しい場所で前へ進んでいくなら、俺はそこに余計な影を落としたくなかった。
それから季節がひとつ変わった。
春が過ぎ、雨の多い時期になった。
俺は一人で活動する時間を増やしていた。企画を考え、台本を書き、収録をして、編集されたものを確認する。
誰かと一緒に作る楽しさを知っているからこそ、一人で何かを作ることには思った以上の孤独があった。
間違えても、すぐに指摘してくれる人はいない。
迷っても、隣から意見をくれる人はいない。
笑ったときに、その笑いを拾ってくれる人もいない。
全部、自分で決めなければならなかった。
それは、俺が望んでいたことだった。
誰かに寄りかからず、自分の足で立つこと。
誰かの存在を理由に、選択を決めないこと。
小柳くんがいなくても、俺は俺の道を歩けると証明すること。
だから、苦しくても投げ出さなかった。
何度も小柳くんに連絡したくなった。
新しくできたものを見せたかった。
くだらない話を聞いてほしかった。
眠れない夜に、ほんの少しだけ声が聞きたかった。
でも、そのたびにスマートフォンを伏せた。
俺がいなくても、小柳くんは進んでいる。
俺がいなくても、小柳くんは笑っている。
俺がいなくても、小柳くんの世界はきちんと回っている。
それを確かめるたび、安心した。
同時に、どうしようもなく寂しかった。
夏の終わり頃、小柳くんから突然連絡が来た。
『星導、今週どこかで時間あるか』
短い文面だった。
俺は、しばらく画面を見ていた。
時間があるかどうかだけなら、すぐに答えられる。
けれど、その先に何があるのかが怖かった。
会いたい。
そう思った。
会いたくない。
同じくらい、そう思った。
俺は一度、入力した文章を消した。
『どうして?』
それでは、会いたいと言われるのを期待しているみたいだった。
『何かあった?』
それでは、心配しているふりをして距離を取っているみたいだった。
結局、俺が送ったのは、あまりにも無難な言葉だった。
『木曜の夜なら空いてるよ』
返事はすぐに来た。
『じゃあ、木曜。前に行った駅の近くで』
前に行った駅。
その言葉だけで、胸の奥にしまっていた記憶が一気に開いた。
終電後のホーム。
白い照明。
触れなかった手。
言えなかった言葉。
俺は、会うと決めたことを後悔した。
それでも、約束の日は来た。
木曜日の夜、俺は待ち合わせの時間より三十分早く駅に着いた。
早く来た理由は、別にない。
遅れるのが嫌だっただけだ。
そう自分に言い聞かせながら、改札の外に立っていると、背後から声をかけられた。
「星導」
振り返る。
小柳くんがいた。
前に会ったときより少し髪が伸びていて、服装もどこか雰囲気が変わっていた。忙しい日々を過ごしていることが、表情からもわかる。
けれど、俺を見たときの目だけは、何も変わっていなかった。
「小柳くん」
「久しぶり」
「うん。久しぶり」
それだけの会話で、喉が詰まる。
実際には、数か月しか経っていない。
それなのに、何年も会っていなかったような気がした。
「元気だったか」
「元気だよ。小柳くんは?」
「俺も」
どちらも嘘ではなかった。
どちらも本当でもなかった。
俺たちは近くの店に入った。
以前なら、席に着いた途端、どちらからともなく話し始めていた。最近あったことや、面白かったこと、どうでもいい失敗談。
でも今日は、最初の十数分を、互いに注文した飲み物を眺めて過ごした。
「新しい活動、順調そうだね」
俺が言うと、小柳くんは少しだけ笑った。
「見てるのか」
「見てるよ」
「全部?」
「全部は無理」
「嘘つけ」
「本当だって」
ようやく、少しだけいつもの調子が戻った。
「でも、ちゃんと見てる」
「そうか」
「うん。すごいと思う」
「星導にそう言われると、なんか変な感じだな」
「どうして?」
「星導は、もっと色々言うだろ。ここがよかったとか、ここはもう少しこうしたほうがいいとか」
「今は、そういう立場じゃないから」
小柳くんの表情から、笑みが消えた。
「誰が決めた」
「俺」
「またか」
「まただね」
「勝手に決めるなって言っただろ」
「言われたね」
俺はグラスの水滴を指でなぞった。
「でも、俺が口を出したら、小柳くんは気を遣うでしょ」
「気を遣うかどうかは、俺が決める」
「そうだけど」
「星導は、俺が自分で選べないと思ってるのか」
「思ってないよ」
「なら、勝手にいなくなるな」
胸の奥が、痛みに似た熱を持った。
小柳くんは、前にも同じことを言っていた。
俺がいなくなってほしくないと。
俺と一緒に進みたいと。
それでも俺は、彼の言葉を受け取らなかった。
受け取ってしまえば、俺はまた彼に甘えるからだ。
「小柳くんは、俺に何を求めてるの?」
できるだけ平静に尋ねた。
小柳くんは、すぐには答えなかった。
「何も」
「何も?」
「星導が俺に何かを返すことも、俺のために残ることも求めてない」
「じゃあ、どうして呼んだの」
「顔を見たかった」
あまりにもまっすぐで、俺は目を逸らした。
「それだけ?」
「それだけ」
「……ずるい」
「またそれか」
「だって、俺はずっと、小柳くんの顔を見ないようにしてたのに」
「どうして」
「会ったら、戻りたくなるから」
今度は、小柳くんが黙った。
俺は、隠しきれなくなった気持ちを、テーブルの上に並べるように話し始めた。
「俺、毎日ちゃんと考えてるんだよ。離れてよかったって。小柳くんは前に進んでるし、俺も少しずつだけど、自分でできることが増えてる。前より、一人で決められるようになった」
「そうか」
「うん。だから、これは間違いじゃなかったんだと思う」
「俺は、間違いだったとは言ってない」
「でも、寂しい」
小柳くんの指が、テーブルの上でわずかに動いた。
「毎日、寂しいわけじゃないよ。楽しい日もある。やってよかったと思う日もある。でも、何かあったときに小柳くんに話したくなる。面白いものを見つけたら、小柳くんにも見せたいって思う。そういう瞬間がまだある」
「俺もある」
「……そっか」
「星導に送ろうとして、やめたこともある」
「どうして送らなかったの」
「星導が、俺から離れたいと思ってるから」
その答えに、胸が締めつけられた。
俺は、離れたいと言った。
でも本当は、離れたくない。
その矛盾を、俺は小柳くんに押しつけていた。
「小柳くん」
「何だ」
「俺たち、どうしたらいいのかな」
「俺に聞くな」
「小柳くんにもわからない?」
「わからない」
小柳くんは、少しだけ視線を落とした。
「俺は、星導が戻ってきてくれたら嬉しい。でも、星導が戻ってきたことで、また苦しくなるなら、それは望んでない」
「優しいね」
「優しくない。俺も自分が傷つきたくないだけだ」
「そういうところ、好きだよ」
言ってしまった。
店内の音が、急に遠くなった。
小柳くんは顔を上げた。
俺は、もう取り消せないと思った。
「……星導」
「好きだった、じゃなくて、今も好き」
「それを、今言うのか」
「今しか言えない気がしたから」
「離れるって決めたあとに?」
「うん」
俺は、笑うしかなかった。
「無責任に愛してごめんね」
おかしいよね。もっと早く言えばよかったのに」
「そうだな」
「でも、言ったら何かが変わると思ってた。小柳くんが俺を選んでくれるとか、俺が小柳くんの隣にいてもいいって思えるとか。そういう、都合のいい奇跡が起こると思ってた」
「起きないのか」
「起きないよ」
小柳くんは、しばらく何も言わなかった。
やがて、静かに息を吐く。
「俺も、星導が好きだ」
その言葉は、思っていたよりずっと静かだった。
だからこそ、逃げられなかった。
「知ってた」
「知ってたのか」
「うん」
「なら、どうして」
「知ってたからだよ」
小柳くんの眉が寄る。
「小柳くんが俺を好きでいてくれるなら、俺はきっと、何も変わろうとしない。小柳くんの優しさに甘えて、隣にいる理由を探して、俺自身のことを後回しにする」
「俺は、星導を甘やかしたいわけじゃない」
「わかってる。でも、俺が勝手に甘えるんだ」
これ以上、小柳くんを責めたくなかった。
彼は何も悪くない。
俺が弱いだけだ。
俺は小柳くんの好きという気持ちを、受け止めるだけの強さを持っていなかった。
「俺たち、好きなのに一緒にいられないんだね」
小柳くんが言った。
「うん」
「それは、正しいのか」
「わからない」
「報われないな」
「うん」
小柳くんは、苦しそうに笑った。
「それでも、星導が選んだなら、俺は否定できない」
「否定してくれてもいいよ」
「嫌だ」
「どうして」
「星導が、自分を嫌いになるから」
俺は、息を止めた。
「俺が星導を責めたら、星導はきっと、俺を傷つけたことだけを覚える。自分が逃げたことを、ずっと罰し続ける」
「……」
「だから、俺は責めない。納得はしないけど、責めない」
それは、小柳くんらしい選択だった。
優しくて、正しくて、どうしようもなく報われない。
「小柳くんは、そういうところがずるいよ」
「何度目だ、それ」
「何回でも言う」
俺たちは、それからしばらく黙っていた。
話すべきことは、もうほとんど残っていなかった。
好きだと言った。
離れると決めた。
互いに相手を責めないことも決めた。
それでも、何ひとつ解決していない。
帰り道、駅へ向かう夜道を二人で歩いた。
昔なら、自然に並んで歩けた。
今日は、半歩分の距離が空いていた。
その距離を埋めることはできた。
けれど、埋めなかった。
駅の改札前で、小柳くんが足を止める。
「星導」
「うん」
「また、会ってもいいか」
俺は、すぐに答えた。
「いいよ」
それは、俺が初めて選んだ、正しさではない答えだった。
小柳くんが少し驚いた顔をする。
「いいのか」
「うん。でも、たぶん、また離れたくなる」
「そのときは、離れればいい」
「小柳くんは?」
「俺は、また会いたいと言う」
「何度でも?」
「何度でも」
俺は笑った。
今度は、少しだけ自然に笑えた。
「じゃあ、次は小柳くんが店を選んで」
「わかった」
「俺、辛いもの食べられないからね」
「知ってる」
「あと、あんまり騒がしいところも嫌」
「知ってる」
「甘いものは遠慮中」
「それも知ってる」
「小柳くん、俺のこと詳しすぎない?」
「星導が自分で話してただけだろ」
「そうだっけ」
「ああ」
改札の向こうに、小柳くんの乗る電車が到着した。
アナウンスが流れる。
俺たちは、また別々の方向へ進まなければならなかった。
「じゃあ、また」
小柳くんが言った。
「うん。また」
今度は、俺もそう返した。
小柳くんが改札を通っていく。
何度も振り返ることはしなかった。
俺も、追いかけなかった。
ただ、見えなくなるまで、その背中を見送った。
その夜、家に帰ってから、俺は新しいメッセージを送った。
『今日は会えてよかった』
すぐに返事が来る。
『俺も』
短い言葉だった。
でも、今度はそれで十分だった。
俺たちは、まだ何も完成させていない。
きれいな結末も、約束された未来もない。
好きだと言ったのに、一緒にいることを選べなかった。
会いたいと言いながら、また離れる日が来るかもしれない。
小柳くんがいつか、本当に俺を必要としなくなる可能性もある。
俺が別の場所で、別の誰かと歩き始める可能性だってある。
それでも、今はまだ。
俺たちは完全に終わってはいない。
報われなかった気持ちを、報われないまま抱えている。
それは幸福と呼ぶにはあまりにも不確かで、悲劇と呼ぶには、少しだけ温かかった。
俺は、窓の外を見た。
夜の街に、遠く小さな明かりが灯っている。
あの日、俺たちは別々の電車に乗った。
同じ場所へ行くことを諦めて、別々の未来を選んだ。
けれど、別々の未来を歩くことと、二度と会えないことは、同じではなかった。
それだけが、今の俺に残された小さな救いだった。
言えなかった言葉も、触れなかった手も、叶わなかった約束も。
すべては未完成のまま、俺たちの中に残っている。
未完成だから、終わらない。
終わらないから、いつかまた続きを探せる。
たとえその続きを、同じ物語として書けないとしても。
たとえ最後まで、報われないままだとしても。
俺はいつか、小柳くんにもう一度会う。
そのとき、俺はきっと笑って言う。
「久しぶり、小柳くん」
小柳くんも、きっといつものように答える。
「久しぶりだな、星導」って
それだけでいい。
それだけしかできなくてもいい。
俺たちが選んだ道が、正しかったのかどうかは、まだわからない。
ただ、あの日、手放すことを選んだ俺の手のひらには、今も確かに、小柳くんと過ごした時間の温度が残っている。
それを忘れない限り、俺はきっと、どこかで歩き続けられる。
報われなくても。
完成しなくても。
俺たちの物語は、終わったのではなく、ただ余白のまま置かれている。
??END
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こういうのって何ENDって言えばいいんでしょうね
報われないけど お互いが望んだ未来です
こういうのもたまにはいいんじゃないですか