翌日、理科室で雨と会った。
「で、答えは分かったの?」
雨は、手の甲をノックするように、黒板を叩いた。
「……大切な人がいるから」
「……」
俺が言うと、雨は黙ったまま、俺の方を見た。
「……あの、その人とまだずっと一緒に居たいとか、まだやり残したことがあるから、とか」
俺は何か言葉足らずだったのかと思い、いくつか説明を取ってつけたように説明したが、雨の表情が変わることはなかった。
「……残念。不正解だよ」
雨は俺に近づいて、言ったのだ。
「私は医者として、多くの患者にあってきた。ここではっきり結論を言ってしまえば、きっと、本能なんだろう。君に課題を出すまでもなかったと思ったんだが」
雨は、黒い机に腰掛けると、偉そうに言ったのだ。
「生命は本能的に生に執着しているんだ。子孫を残したいとかね。人間の心理的にきっとそうなんだろう。でも、人間っていうのは、危機に立たされた時、全てがどうでもよくなる、諦める傾向にある。だから死ぬ寸前、死ぬのが怖くなくなるの」
「何が言いたいんだよ?」
俺がイライラして雨の事を睨みつけると、雨はそれに応じるように、机から腰を下ろした。
「……あのさ。さっきも言ったけど、私、この答え、君ならわかると思ったんだよ。こんな答えも分からないなら、この研究を辞めるのを勧める」
「……いいや、やめない。俺はこの研究を続ける」
「……答えは変わらないのか。まあいいよ。後悔するのは君じゃない」
雨はそう言って白衣を取りに、準備室に向かった。
「雨、お前、俺の事心配してんの?」
「……まあうん」
曖昧な返事に俺はついに、堪忍袋の緒が切れてしまった。
準備室に向かう雨の腕を掴んで、俺は叫んだ。
雨は、驚いて振り返ると、俺の顔を見て物悲し気な表情を見せた。
「似てるんだよ。私が昔、死なせてしまった患者に」
「え?」
「そっくりなんだ。交通事故で亡くしたんだよ。だから、お前だけは死なせたくないって思ったから、忠告したの」
予想外の答えに、俺は黙り込んでしまった。
「アンタさ、怪しいやつらから電話が来てるんでしょ?」
「あ、ああ」
「いつか殺されても仕方ないよ?」
プルルルル……
雨が言いかけたとき、廊下から突然電話が鳴り響いた。
「もしもし?」
『夏田海か?そろそろ答えは決まったか?』
「決まったも何も、最初から俺は協力しないって」
『分かった、なら、お前の相棒に手を出してもいいってことだよな』
「は?」
機械で加工された奇妙な声は俺の恐怖を一層煽ってきた。
「ねえ、また……」
「雨、逃げろ」
「え?」
俺は受話器の送話口を押さえ、俯いて言った。
「今すぐ逃げろ!!このままじゃお前が……!!」
俺は焦って廊下に出てきた彼女の顔を見たとき、後ろに、綺麗な顔立ちの女が立っていた。
「あ、見つけた」
女は雨に聞こえるような声でそう言った。
「……!誰!?」
雨は俺の視線に気が付いたのか後ろを振り返った。
「待って、海には手を出すな!!」
雨の声に驚いた俺は後ろに後退りしてしまった。
女は早歩きで俺たちのところに近づいてきた。
「海、早く逃げて! ねえ海!!」
俺は恐怖で少しも動けなくなっていた。
雨の焦る声が途切れたのは、一瞬だった。
女は雨の腹部を刺していた。
「うっ」
「あーあ。残念、君が素直に言うこと聞いてれば、こんなことにはならなかったのに」
赤色のパーカーからは赤黒いそぐわない血が流れ出ていた。
「雨!」
俺がその名を叫んだ時、雨は倒れてしまっていた。
雨に駆け寄った時、女はもうそこにはいなかった。
俺は雨を起こすと、雨は、口から血を流していた。
「……あー。これダメだね。死ぬ奴だわ」
雨は呆れたような言い草だった。
「まだ!まだだ!!俺が何とかしてやる、何とかするから!!頼むから死なないでくれ!!」
「……もう、いいよ。海」
雨は震える手を床に当てると、床を強く押した。
身体を起こし、膝をついた俺に頭をもたれさせた。
「あーこれ……逆だったら良かったのになあ」
「……え?」
「私が科学者で、アンタが医者だったら、助かったかもしれないなあ」
雨の声は震えていた、俺はその声に煽られるようにめまいがしそうになった。
「……ねえ、海。約束して」
「……何?」
「この研究諦めて」
「な、なん……で?」
俺が雨を抱きしめる力を強くした時、雨は震える声を大きくした。
「……だって、さ。海ともう会えなくなるじゃん。海は死なないでほしい。けど、向こうでまた会いたいからさ……」
「……嫌だ!!俺はお前の分まで生きてやる!!だから!」
俺が雨の手を取った時、雨は言った。
「海、君は、生きて、最後まで生きて……それから死んで。君がこれからするのは、生きることだけ。私の事なんか忘れて生きるだけで良い。……良い人と結婚して、子供と一緒に遊んで、それから死ねばいい」
「ダメだ!!まだ、生きていて欲しい。俺は……!誰も死んでほしくないから、この研究を始めたんだ!お前、一緒に……お前が、一緒じゃなきゃ意味ねえだろ……」
俺は大きく息を吸って、雨に向かって言った。
「じゃあ……お前が居ないなら俺は死んだって良い!」
「……海、良くないから。死なない、でね」
雨は俺から出て行った涙を拭うと、電源が切れたように、手を下した。
「……雨」
「……」
名前を呼んだのに、彼女はもう返事をしてくれなかった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!