コメント
3件
あの時、なんと声をかけてあげればよかったのだろう。何をしてあげればよかったのだろう。最後に見た彼の笑顔が、焼きついて離れない。
彼を見送ったその数時間後、彼の死の知らせを聞いた。よく話し、とてもアクティブだった彼は遺体となり、残酷なほどに何も語らなくなった。ただひとつ、この世にはもういないということだけが、横になった彼から伝わる、強いメッセージだった。
好きな人の死を受け入れることは容易ではなかった。いや、その時は容易では無いどころか、不可能だとすら思えることだった。彼がいなくなってから、私の周りの色も音も、何もかもが、意味を失った。銅像のように頑として動かず、冷たくなった私を解き放ったのは、また他の人の死だった。
人の死は、残された人に大きな影響を与える。どんな人間もいずれ死ぬ。我々は自身の最期まで、人の死に直面し、揺り動かされ生き続ける。だから私は、遺族に寄り添う仕事を作り出した。これが私にとっての、新たなスタートだった。
20代の終わりに婚約者を失ったその女性は、そこから立ち直ることができず、毎日を死んだように生きていた。
「お辛い経験をしましたね。」
私がそういうと、彼女はぴくりとも表情を動かさず、答えた。
「辛いなんて言葉で片付けられるほど、私の感情は軽くないわ。」
「大変失礼致しました。」
このような返しはもう慣れたものだ。人が抱える苦しみを、言葉などという不完全すぎるもので表現をすることは、侮辱にあたる。しかし、その不完全性をはらんだ言葉を言うことにも、意味があるのだ。その時は相手の感情を逆撫ですることになっても、こちらが相手を心配しているということを伝えなければ、事態は進展しないのだ。
「婚約者のことについて伺っても構いませんか?」
彼女の表情は相変わらず愛想のかけらもなかったが、その言葉にはどこか感情があった。
「彼はどこまでも優しかった。感情的な私を、様々な欠点があった私の全てを、包み込むように許してくれた。彼のおかげで私は人になったの。以前は自分とそれ以外で完結していた世界が、いつしか彼がいて、母がいて、兄弟がいて、友達がいる世界に変わった。なのに、、、。」
彼女をこれ以上話させるのは辞めた方が良いと判断した。話し始めて、感情が爆発してしまうことは誰しもあることだ。
「あなたの周りの人は、今のあなたを心配はすれど、どう接していいのか分からなかったようです。突然仕事を辞めて、連絡が途絶えてしまったあなたをなんとかしたくて、彼らは私に連絡をくれました。」
私は続けた。
「亡くなった人はもう帰ってはきません。ですが、その故人が大事な存在であればあるほど、その事実がとても憎らしくなりますよね。人間がどう足掻いても決して変わることのない事実がどれだけ理不尽なのかを、絶望の中で人は悟ります。」
その女性は答えた。
「ええ、確かにそうだわ。死人に会うことができないことは当たり前なのに、その当たり前が、どれだけ残酷な当たり前なのかを目の当たりにしたわ。」
彼女の警戒心は比較的和らいだ。自身の感じたことを他人が理解しているということは、とても有効な処方箋になる。
彼女は自嘲気味に言った。
「この世にありふれている人の死に、こんなにひどく躓いてたら、人は私のことを馬鹿にするでしょうね、、、。」
「そんなことはありません。再起不能なほどの傷を心に負うことだってあります。誰しもがそのようなことに直面する可能性はあります。誰もあなたを笑ったりすることはできないです。」
私が、人の死に直面し打ちひしがれた誰かと話す時は、聞き手になる事が多い。しかし、それがいつも最適解というわけではない。稀だが、時には相手の懐に土足で入る必要があることもある。とても稀なケースだが、、、。
その女性とは、また会う約束をした。
もう一度会えるということは、希望だ。少なくとも彼女は次に会うまで、死を選択しないだろうから。