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翌朝と言っても真夏の太陽はすでに天高く昇っていて正確にはお昼前の時間、ホテルが手配してくれたレンタカーの運転席でサングラスを掛けたリオンが浮かれ調子に鼻歌を歌い、助手席で同じくサングラスを掛けたウーヴェがその鼻歌に呆れつつも車窓の景色に見惚れていた。
前日、リオンの腕の中で結局目を覚まさなかったウーヴェは、ルームサービスで晩飯を食べたかったと嘆きつつもウーヴェをベッドに運んで寝かせてくれたことを起き抜けに教えられて珍しいこともあるとも笑われたのだが、自身でも確かに珍しいと思っていた。
飛行機での旅で疲れが出たと笑ったウーヴェにリオンも頷き、今日はレストランかルームサービスが良い、何なら支配人と食事をしても良いと伝え、ファウストと名乗った支配人が食事を一緒にしたいと言っていたことも思いだし、今日彼の都合が良ければ一緒に食事にしようかと笑うとリオンも素直に頷いた。
だが夕食までまだまだ時間があることから、観光する為にレンタカーの手配をホテルに頼もうとリオンが提案し、一瞬ウーヴェが考え込むものの、そうだなと頷いてリオンの頬を撫でたのだった。
その結果のドライブにどちらも浮かれていたが、ホテルから海岸沿いを走って行くといつの時代のものかは分からない塔が一つ立っているのが見え、上ることは不可能でも下まで行けるだろうとリオンが問いウーヴェが頷いた為、車をそちらへと走らせる。
その塔は中世かその辺りの建造物と思われ、主にこのカナリア諸島を行き来する船舶から税を徴収したり武力による侵攻を受けた時の見張りになっていたようだった。
二人が暮らす街は海に面していない為に海洋国家や群島国家の悩み故の建造物について深く理解する機会はなかったが、それでもこの千年近く建っている塔が堅牢なものである事は理解出来た。
塔の近くにある建設の由来をスペイン語と英語で記されたプレートを撫でたウーヴェは、リオンが大あくびをしている姿に退屈かと問いかけてみるが、風の音に声が掻き消えてしまい、ついでにウーヴェの身体が少しだけバランスを崩したように傾いた瞬間、離れた場所にいたリオンがウーヴェの背後に立っていて、どんな雨風であろうとも凌ぐことも出来るし立っていられる堅牢な塔よりも頑強なものに支えられていることを実感しつつ寄りかかるように力を抜くとしっかりと支えてくれる。
この支えは救出された直後にリオンが約束と告げて誓った事の一つだったが、退院してからはより一層その効力が発揮されていて、どれほどありがたく心強いものかを改めて気付かせてくれる反面、結婚式の時にも感じていた、このままで良いのかという疑問が不意に脳裏を過ぎる。
こんな風に今支えてくれるリオンだが、半年前までは仕事で街に暮らす人達を陰ながら支えていた筈で、また刑事になる前まではスラムと称される地区にある小さな教会に救いを求めて駆け込む人達を支えていたはずだった。
その人達からリオンを奪い取り独占しているのは良いことなのかと過去の誰かの声を装ったウーヴェの本音が疑問を発し、頭を一つ振ってその疑問を追い払おうとするが、背後から緩く抱きしめるリオンの腕が胸の前で交差し、耳元に顔を寄せられて囁かれる声は海風の強さに負けてもおかしくない声なのにウーヴェの心の奥底に届けられる。
「……まーた変な事考えてただろ、オーヴェ」
「……」
今は元がつく刑事だったが嘘をつく人達を相手にメシを食ってきた俺の目を甘く見るなと睦言のように囁かれてウーヴェの肩が竦み、何を考えたか教えてくれとも囁かれて口を開こうとするが、お前がいることでリオンは自由になれない、お前の存在は本当に邪魔でしかないと今度は明確に誰だか分かる声が嘲笑し、ケージの中に閉じこもっていればこんなことにはならないのにと二人の男の声が脳裏で響く。
「……っ……ぁ……!」
「オーヴェ、大丈夫だ。ここには俺しかいない」
目の前は海で海鳥が飛んでいるだけだし背後の道路には車も通っていないと告げるリオンの声も耳に入らない様子でリオンの腕に手を掛けて力を込めたウーヴェは、脳裏で響く二人の男の声に意識が囚われそうになるのを何とか押しとどめようとするが、風の音よりも声の方が大きくて自然と身体が震えてしまう。
「オーヴェ」
震えだした身体を支えつつ回り込んでウーヴェの蒼白な顔を見つめたリオンは、眼鏡の下のターコイズが不安と恐怖に揺れている事に気付き、額を重ねて何度も名を呼ぶ。
幾度目かの呼びかけの後に震える手が上がってリオンの背中に回された為にひとまずは安堵の溜息をついたリオンだったが、それでも不安を感じてしまい、ウーヴェの頬を両手で挟んで顔を少し上げさせる。
「オーヴェ、俺が見えるか?」
「……リーオ……っ……!」
「うん」
名を呼ぶ声は震えているがそれでも恐怖に囚われるのではなく、過ぎ去った事だと己に言い聞かせようとしている事を察したリオンが安堵に目を細めてそっとキスをする。
「────ん」
「……お前とキスをして良いのは俺だけだよな、オーヴェ」
「あ……あ」
その声からウーヴェが胸の奥の扉を閉めるために葛藤している事も見抜くと車に戻ろうと声を掛けて身体を支えるように腰に腕を回すが、リオンの力を借りるのではなく自力で車に戻ろうとしている事に気付いて軽い衝撃を受けたリオンは、何とか車に帰り着いたウーヴェが寄りかかって空を見上げて何とも言えない笑みを浮かべた為、頭を一つ振って大股にウーヴェの前に駆け寄る。
「大丈夫か?」
「……ああ、大丈夫だ」
少しふらついただけだが万が一のことがあれば怖いのでこのままドライブしないかと誘われて目を細めたリオンは、ウーヴェの手が眼鏡に触れていないことに気付き強がりを言ってるわけではないと察する。
頼れば良いし支えになると言っているのにとの不満がリオンの胸の奥で急に頭を擡げるが、せっかくの新婚旅行でケンカやケンカ寸前の口論など避けたい思いから苦笑一つで霧散させる。
「ドライブも良いな」
「ああ」
リオンの言葉に心底安心した顔で頷くウーヴェは車に乗り込んで更に安堵したのか、ステッキを後部シートに置くと海岸線の道路に沿って島を一周してみようとも誘い、運転手を務めてくれるリオンが快く了承してくれたためその頬にキスをする。
「ダンケ、リーオ」
「ん、良いぜ」
さっきも今も我が儘を聞いてくれてありがとうと胸の奥で礼を言ってシートに深く寄りかかったウーヴェは、疲労感から目を閉じて窓から入る風の心地よさに疲労感も吹き飛ばしてくれと願っていたため、運転席でリオンがまるで刑事の時のような顔で見つめてきている事に気付かないのだった。
海岸沿いの道をのんびりと走り、ホテルの門とはわかりにくいそこをレンタカーで潜ってエントランスに車を止めるとドアマンがタイミングを見計らって近寄ってくる。
「お帰りなさいませ」
「ただいま。ありがとう」
ドアマンの声に笑顔で頷いてステッキをついたウーヴェだったが、塔の麓での出来事が予想外の衝撃と緊張を与えていたのか、左足全体に疼痛を通り越した鈍痛が走る。
「────っ!」
その痛みを極力顔に出さないように気をつけつつドアマンに頷き運転席から降り立ったリオンを振り返ったウーヴェは、部屋に戻る前にロビーで少し休憩しないかと苦笑するが、同じような顔で頷いてくれると思ったリオンが少しだけ心配そうな顔で部屋に戻って休んだ方が良い、腕に捕まれと言ってきた為、感謝の思いを抱きながらも素直にその言葉に従うことが出来なかった。
「……少し休んでいけば大丈夫だ」
「そうは見えねぇけどなぁ」
その顔色からは大丈夫だとは思えないがと目を細められ、大丈夫だと言っているとその言葉に反発するように強く返してしまったウーヴェは、たった一言が与える影響をリオンの蒼い目に浮かんだ光から思い知らされてしまう。
「そっか。じゃあ俺は疲れたから先に部屋に戻ってる」
そこでゆっくり休んでから戻って来るのも良し、このまま一緒に帰るも良し、お前の好きにしろと極低温の声で囁きながらも幾度となく交わした温もりを思い出させるキスを頬に残し、リオンが手を上げて亜熱帯の植物が囲む園路へと姿を消してしまう。
その背中を呆然と見送ったウーヴェは、スタッフの呼びかけにもすぐさま反応できないでいたが、何度目かの声に我に返り、みっともないところを見せたと微苦笑しつつステッキをつきながら園路へと向かうが、退院してから今日まで手に馴染んできたステッキの細さが不意に不安を覚えさせ、頭を振ってそれを追い払い、リオンの後を時間を掛けて何とか追いかけていくのだった。