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これから何があっても支えると誓ったウーヴェをロビーに残して一人部屋に帰ったリオンだったが、昨日は静けさが心地よいと思っていた広い部屋が無性に腹立たしく感じてしまい、テレビを付けてソファに飛び乗る。
だが、テレビを見ても苛立ちが解消されるどころか全く分からないスペイン語で捲し立てられるそれに更に苛立ちを感じてリモコンを投げつけるようにソファに置くと、ふて腐れた態度でソファに寝そべる。
支えると誓ったのだから何も考えることなく頼ってくれれば良いのにとの言葉が不意に芽生え、己が何に対してここまで苛立っているのかを察してしまう。
さっき塔の下で随分と酷い顔色で寄りかかっていて、車に戻ると告げたときも同じ顔色だったためにまた強がりを言っていると思い、苛立ちや腹立たしさではなく頼ってくれない事への寂寥感にも似た思いを感じていたのだ。
ウーヴェが事件で受けた傷から立ち直り己を頼らずに一人で歩き出す、それは喜ばしいことだし誇らしいことではあったが、一方では己の存在意義をそのことによって喪失してしまうのではないかという、絶対にあり得ないと断言できるはずの疑問も芽生え、それがドライブをしている時にも脳裏に渦巻いていたのだ。
滅多に考えることのないものを考え慣れない土地での運転で疲労が溜まっていたリオンだったが、同じく疲労しているウーヴェを支える事はまた別のもので、愛する人を支えられる実感は疲労感を吹き飛ばしてくれるものだった。
なのにあんな風に拒絶されてしまえばただ悲しくて、ついじゃあ一人で帰ってこいと言い残してしまったのだ。
何故あんなことを言ったのかという後悔の念が芽生え、その痛みを堪えるように身体を丸めたリオンだったが、後悔の念と向き合うことになれていない為に寝返りを打って頭を抱え込む。
「……あーあ」
何であんなことを言ったんだろう、俺の馬鹿と自虐的に呟いても胸の中の空洞に吸い込まれていくだけで、言葉ではだめだと気付いたリオンがむくりと起き上がり、短くなった髪をがしがしと掻きむしると、諸々の思いを込めて握った拳をソファに叩き付ける。
「……よし」
己が愛しまた愛してくれているウーヴェならば今胸の奥で渦巻いている思いを伝えるときっと己以上に読み取ってくれるだろう、だからそのために思いを伝えよう、そして一人で帰ってこいという言葉を謝罪しようと決めてソファに飛び起きたが、その時、控え目にドアベルが鳴らされて目を見張り、何かに気付くと同時に現役の頃からほとんど変わらない素早さで玄関ホールへと突進する。
「オーヴェ!」
ドアを開け放ち声も放ったリオンの前、肩で息をしながら顔を少し紅潮させたウーヴェがいて、置いてこなければ無駄に疲れさせなかったのにとの後悔の言葉が口から出てきそうになるが、それを押しとどめたのはウーヴェの弾んだ息の下で告げられた言葉だった。
「……お前の、もとに、帰って、これ、た」
「……うん」
ドアを押さえる腕から力が抜けるほどの衝撃を受けたリオンは少し足が疲れたから座りたいと苦笑され慌ててウーヴェをソファに連れて行こうとするが、その手を撫でて遮ったウーヴェが自らステッキをついてリビングのソファに座ると、盛大な安堵の溜息を吐く。
「オーヴェ……」
「……うん。リオン、リーオ。旅行に来て真面目な話は嫌だろうが、聞いてくれないか」
これを聞いて貰えなければきっと俺たちは本当に思っていることを口に出来ない関係になり、気がつけば二人の間には家族間にあったもの以上に深くて広い溝が出来かねないと、ソファの肘置きに座って苦笑するウーヴェに無言で頷いたリオンは、ここで話をするのかと問いかけて小首を傾げられる。
「テラスのカウチに行かないか?」
リビングからメインのベッドルームを通り抜けて出ることの出来るテラスはテラコッタが夏の日差しにほどよく温められていて、もう一つのベッドルームの壁際にはテラスからも室内からも入る事の出来るバスルームがあり、メインとサブのベッドルームの間の壁際にカウチソファが一つと、同じデザインの丸いテーブルと同じく丸いチェアが置かれていた。
そのカウチに行かないかと誘われて頷いたリオンは、ウーヴェが考え込むようにやや俯き加減になったため、その顔の前に手を差し出すと先ほどのように拒絶はされずに手を載せて立ち上がる一助にされる。
掌に感じるウーヴェの温もりと重みからやはりこうして傍にいて一緒に手を繋いでいたかったと強く感じ、そのまま腰に腕を回したリオンは、肩にウーヴェの頭が軽く寄せられて無意識に安堵の溜息を吐く。
テラスのカウチは真夏の太陽を遮る庇の下で風だけを受けて心地好かったが、太陽が西に傾きつつある今は直視出来ない眩しさの中にあり、座ってみたもののあまりにも眩しかったために中に入ろうと二人同時に声を掛け、それがおかしかったのか同じように肩を揺らして笑ってしまう。
「太陽に向かって座るようなもんだもんなぁ」
「そうだな」
まだまだこの時間は危険だなと笑い、リビングのソファで良いかとリオンが毒気の抜かれた顔で呟くとウーヴェも素直に頷く。
ソファに並んで座った二人だったが、どちらが口を開こうかと思案するように黙ってしまうものの、程なくしてじれたリオンがウーヴェの右手を取って薬指のリングにそっと口付ける。
「……さっきさ、一人で帰ってこいって言って悪かった」
「……うん。驚いた」
どのような思いがあったにしてもあの言い方はするべきじゃなかった、反省していると口にしたリオンにウーヴェが頷いて目を伏せるが、聞いて欲しい話は何だとも問われてもう一度頷くと、リオンと向き合うように座り直す。
「……さっき、ここまで一人で歩いてきた」
「うん」
「……家の外で、初めて、お前がいない場所を一人で歩いて帰ってきた」
ウーヴェの真意が分からず、一人で歩いてきたを繰り返されて先程の己の言動を責められている気がしたリオンは、顔を上げて言い訳しようと口を開くが、ウーヴェの指がリオンの唇を上下に封じるように宛がわれて目を丸くする。
「一人で、歩いてこられたんだ、リーオ」
「……うん」
ウーヴェの顔には幼い子どもが今まで何度挑戦しても失敗していた事に初めて成功した時のような誇らしさが浮かび、歩けたことが嬉しいのかと問いかけると、一度首を傾げた後に小さく左右に首を振ったウーヴェだったが、でもと言いながら頷く。
「事件の後、お前に甘えてばかりだったけど……、歩く事が、できた」
一人で歩けたんだと今度は紛れもない誇らしい顔で頷くと、お前が先に帰ってしまった後、色々考えながらでも頑張って歩いてきたがやれば出来ることが分かったと笑うウーヴェに何も言えずに右手を再び握って撫でると、優しいキスが頭に降ってくる。
「俺は、お前がいないと何も出来ない、なんて、思われたくないし思いたくない」
だから一人で歩けるようになり、さっきのように手を借りるのは時々だけにしたいんだと囁かれ、ウーヴェの手に誘われるように身体を傾けて肩に額を宛がったリオンは、そんなに俺に支えられるのは嫌かと小さな小さな声で問いかけてしまって瞬間的に後悔するが、聞こえてきた否定の言葉と情のこもったキスを耳朶に受けて目を瞠る。
「さっき、ここに帰る為に歩いていた時、お前が傍にいないだけで足下の地面が薄い氷のような不安をずっと感じていた」
「……」
「お前が傍で支えてくれることは本当に嬉しいし心強い。でも……お前に寄りかかってばかりは、イヤだ」
過去の事件の後遺症から己の本心を口にする時は患者を診ている時とは比べられないほど口べたになって上手く言葉を選べなくなるウーヴェが、それでも思いを伝えようと途切れたり繰り返したりしながら伝えたのは、リオンという存在が傍にいるだけでどれほど強くなれるのかという思いだった。
「……俺は、お前に比べれば遙かに弱いし情けないけど、男だから……一人でも出来ることを見せたかった」
男なのだ、好きな人の前では格好いいところを見せたいだろうと笑うウーヴェにリオンも釣られて笑うと、情けない姿ばかり見せている俺がこんなことを思うのはやはり物笑いの種だなと自嘲する声が聞こえたため、リオンが慌てて顔を上げてウーヴェの目を真っ直ぐに見つめると、そんなことはねぇと強い口調で断言する。
「お前は俺なんかよりずっと強い」
お前を生涯支えると誓ったのにあっという間にその誓いを破るような俺よりも強いと眉根を寄せて泣きそうな顔でリオンが伝えると、ウーヴェの顔が泣き笑いのような顔になる。
「ダンケ、リーオ」
「……もしかしてさ、ドライブの前からずっとそれを考えてた?」
リオンがウーヴェの様子から思い当たることがあったのか、そっと問いかけるとウーヴェが苦笑しつつ頷き、あの時、あの二人の声が聞こえていて不安だったがお前に頼ってばかりではダメだと思ったから一人で何とかしようとしたと教えられ、目の前の頬に手を宛がうとその手に手が重ねられる。
「……さっきのようにお前がいない時に何も出来なくなる、そんなのはイヤだし、お前に本気で……俺がいないと何も出来ないと思われたくない」
「そんなこと思わねぇのに」
「うん。でも事情を知らない人達に思われるかも知れないだろう?」
自分達二人のことを詳しく知る人達ならば構わないが、少しだけ知っているような人達が賢しげに何かを言ってきたりするかも知れない、それも不愉快だと苦笑するウーヴェに周囲の言葉など聞かなくて良いのにとリオンが吐き捨てるように告げてウーヴェの頬を今度は指の背で撫でるが、いつかの誰かの言葉ではないが、お前の横にはお前に相応しい人が立っていて欲しいため、そうなりたいんだと己の胸の奥の思いを伝えたウーヴェは、目を瞠るリオンの頬を逆に撫でて額にキスをする。
「世界一格好いいお前の横に立つんだ、格好良くなりたいだろう?」
そう思うことはやっぱりおかしな事かなと自嘲未満の笑いにリオンが首を左右に振り、そんなことねぇと再度言葉で否定をする。
「なあ、リーオ。お前には、好きなことを、して欲しい」
ウーヴェが穏やかな顔で笑いながら告げた言葉にリオンの蒼い目が見開かれ、好きなこととオウム返しに呟くと、ウーヴェの目が眼鏡の下で細められる。
「うん。刑事として働いている時のお前は本当に格好良かったし、色々あってもそれでも楽しそうだった」
それは日々充実した時間を過ごしていたことの証で、その顔を見るのが好きだったと伏し目がちに呟くが、唇を噛み締めて見つめて来るリオンと視線を合わせるように顔を上げたウーヴェは、だからそんな顔をまた見せてくれと笑みを浮かべ、震える指先が己に向けて伸ばされるのを見守る。
「……オーヴェ……っ」
「好きな人が、いつも笑っていたり充実した時間を過ごしているのを見ていたい」
俺を支える事が夢になったと言ってくれたが、他に夢が出来ればそちらを優先して欲しいと、俯くブロンドに語りかけたウーヴェがリオンの右手を掴んで薬指にキスをする。
「この指輪は、お互いだけを見て向き合うためのものじゃない」
「……」
「横に並んで同じ先を見るためのものだ」
あの事件で封印して今は暖炉の上で静かに眠っているあの指輪とは違い、これは二人が同じ未来を見て歩いて行くためのものだと思っている事を伝えながらもう一度キスをしたウーヴェの頭をリオンが抱き寄せ、何度か深呼吸をした後に吐息のような声でウーヴェを呼ぶ。
「お互いだけを見ているような関係は……きっと、もう俺達には無用のものだ」
互いの胸の中にあった決して癒える事のなかった傷の存在を知らない間ならば良かったが、もうその傷も曝け出して手厚かったり荒かったりする治療を終えた今ならば、前を見ていたり横を見ていたとしても心の在処は分かりつつあるからとリオンの胸板に告白したウーヴェは、背中をそっと撫でられてそのまま抱き寄せられ、俺もそんな関係はもう要らないと告白されて安堵の溜息を吐く。
「……俺も、お前の傍で前を見ている方が好き」
「ああ。だからリーオ、本当にやりたいことが出来ればそれをすれば良い」
「……良いのか?」
今回の事件は元を辿れば姉や元同僚が絡み、ただ巻き込まれただけのお前の足を機能不全にしてしまったのに、そんなお前の傍を離れて良いのかと不安が強く滲む声に問われて力強く頷いたウーヴェは、さっきも言ったが好きなことをして毎日楽しそうにしているお前が好きだし見ていたい、そんなお前の横で俺も負けないように楽しく毎日を過ごしたいと逆にリオンの背中を撫でると、震える呼気がウーヴェの手の動きに合わせて迫り上がってくる。
生後間もなくの頃から育った児童福祉施設ではある程度物心がつけば己よりも年下の存在の世話をするのが当たり前で、その結果、我が儘を言ったところで聞き入れてもらえないだろうし、己よりも心身共に弱い存在の世話をすることが体中に染みこんでいただろう。
弱い立場の人を助ける事はリオンの中では考えるよりも先に行われる事だろうし、また深く考えた事もない筈だった。
だから今、ウーヴェの傍を離れても良いのかという疑問が芽生えたものの、本当にそれを口にして良いのか、その結果ウーヴェを傷付け落ち込ませるのではないかとの疑問が脳裏で渦を巻いていたのだ。
ホームと呼ぶ児童福祉施設で同時代に育った兄弟姉妹のような存在やシスターらから何故そこまで面倒見が良いのかと問われた事があったが、リオンは咄嗟に何も返せずにいた。
己を信頼している人が悲しむ顔を見たくない、己の言動でこれ以上悲しませたくないという思いが心の奥底に存在している事をリオンよりもウーヴェが見抜いていた為、お前が俺の傷を思って傍にいてくれるのは本当に心強い、でも、それ以上に楽しそうにしているお前を見ていたいんだと囁くが、珍しく悪戯を思いついた子どものような顔で笑うと、青い石のピアスが填まる耳朶に口を寄せる。
「……毎日、俺の傷にキスをしてくれるんだろう?」
「もちろん!」
自分で言い出したことだしそれは本当にやりたいことだから必ずすると宣言して顔を上げたリオンは、目の前にある端正な顔を初めて見るような思いで見つめてしまい、小首を傾げられて犬が濡れた身体を振って水滴を飛ばす時のような強さで頭を左右に振る。
「じゃあ、今まで通り、俺はお前が仕事から帰ってくるのを、家やクリニックで待ってる」
そして、疲れた身体で帰ってきた時は少し気が引けるが、寝る前に背中や足の傷にキスをして事件の傷を薄れさせて欲しいと囁くとリオンの頭が上下する。
「うん……うん」
「ダンケ、リーオ……俺の、太陽」
まだ少し先だが、水平線の向こうに隠れようとしているあの太陽よりも眩しくて直視出来ない光を放つただ一つだけの太陽と囁いて目を細めると、楽しげに持ち上がった唇の端にキスをされる。
「……ダンケ、オーヴェ」
お前と出会ってから幾度も互いの心を試されるような事があったし自ら命を絶ちたいと思うような辛い出来事もあったが、お前と一緒だからこそ乗り越えられたしこれからもあるかも知れないそれを乗り越えていきたいと、ウーヴェの額に額を重ねて素直な思いを告げたリオンは、その勢いを借りるように心の最奥で眠っていてウーヴェが揺り起こした思いを口にする。
「……俺を……一人に、しないでくれ……っ」
「しない。もうお前を一人にしない。だからリオン、お前も――」
俺を一人にしないでくれと俯く耳に囁きかけ、背中の傷が痛みを訴えるほどの強さで抱きしめられたウーヴェは、肩口から聞こえてくるあの夜と同じ声に気付いてきつく目を閉ざし、次いで開いた時には絶対に一人にしないことを誓うと囁いてリオンの頬を両手で挟むが、顔を上げることを拒絶するように頭を振られて苦笑する。
「リーオ」
お前が今見せたくないと思っている顔だがそんな顔をこそ俺は見たいんだと笑うと、全世界で最低最悪の趣味だと羞恥からリオンが声を荒げるが、でもそんな俺が好きなんだろうと囁いて胸の裡でカウントを始める。
そのカウントが十を越える直前にリオンが顔を上げ、ロイヤルブルーの双眸がまるで澄んだ湖の底で煌めいているように潤んでいて、ピアスが填まった耳朶と目尻だけを赤くしていたため、その赤くなっているところにキスをしていく。
「ぜってー悪趣味! オーヴェのイジワルっ!」
「そうか?」
「そう! あの時もそうだった!」
ゾフィーが死んでようやく行えた葬儀の夜、もう止めてくれと懇願しても止めてくれずに抱き続けていたあの時と同じでイジワルだと吼えるリオンの口を封じるように人差し指をそっと宛がったウーヴェは、驚きつつも口を閉ざすリオンに良い子だと目を細めた後、指の代わりに唇で口を封じるようにキスをする。
「……ん、オーヴェ……」
口封じのようなキスの後にリオンがうっとりした顔でウーヴェを呼び、それに答える代わりにリオンの頬から手を滑らせて後頭部へと辿り着くと、そのままそっと引き寄せる。
「世界一格好いいリオン、これからもずっと一緒にいたい。良いか?」
事件後、絶望のあまり自ら命を絶とうとするだけではなくお前も危うく道連れにしてしまうような事や人であることを暴力によって忘れさせられた結果、ナイフとフォークを使ってテーブルで当たり前のように食事をする事も難しくなったりもした情けない姿をさらした俺だが、これからも一緒にいてくれるかと問いかけたウーヴェにリオンが鼻を啜って何度も頷くが、一つだけ訂正があると涙混じりの声で叫んでウーヴェの腕から抜け出すと、子どものように腕で目元を拭い破顔一笑。
「俺のダーリンはホントに男前だ。世界で一番強くて優しい男だ」
そんな男が傍にいてくれる事実は世界中に言い触らしたいほど幸せだと笑うリオンに頷き、もう一度頬を撫でて顔を寄せると蒼い目が期待に閉ざされる。
その期待に応えるように再度唇を重ねたウーヴェは息が上がりそうなほどキスをした後、リオンがぼそぼそと聞き取りにくい声で何かを囁いたため、何だってと問い返すと間近にある耳朶が一気に赤く染まる。
そのことからある想像をしたのだが聞こえてきた言葉に己の思いは間違っていない事に気付くと、言葉で返事をする代わりにリオンの胸元にキスをする。
「……ここさ、もう一つベッドルームがあるだろ、オーヴェ」
「ん? ああ、あるな」
「そこにもバスタブがあるんだよなぁ」
そのバスタブに湯を張りたいと思うんですがどうでしょうか陛下と目元を赤らめつつも男の顔で笑う伴侶に一瞬驚いたウーヴェだったが、言葉と表情の意味を先程想像して的中させた為太い笑みを浮かべて頷くと、リオンの右手を取ってその手の甲にキスをした後手首に吸い付いてくっきりと痕を残す。
「あー、こんなとこにキスマーク残してー」
「良いだろう?」
「むー。じゃあ俺にも付けさせろ!」
「どうしようかな」
リオンが悔しそうに胡座を掻いた足を掴んで身体を前後に揺さぶり、ウーヴェがイジワルと言われても仕方の無い顔でどうしようかと呟きソファから立ち上がろうとするが、いくら羞恥から顔を赤らめていてもウーヴェの支えになるとの言葉は守らなければならないもの-何しろつい先程破ったばかりなのだから-と考えているリオンが慌てて立ち上がり、その手を掴んで己の腰に回させる。
「もう一つのバスルームを見てみたいな」
「ん、良いぜ。昨日お前が寝た後に少しだけ見てきたけど、じっくり見てねぇ」
だから今から見に行くのも良いと頷き、二人同じ早さでリビングの左手にあるドアを開けて中に入る。
その部屋はメインのベッドルームに比べれば落ち着いた雰囲気で、あちらが青空とその空を反映させた海の色ならば、こちらは日の光が差さないほどの深い海の色のようで、ベッドシーツや枕カバー、壁際のソファのカバーも深い青が多用されていた。
「こちらも落ち着くな」
「そーだな。こっちで寝ても良いな」
ベッドにウーヴェを座らせ傾いた太陽が染める床へと足を踏み入れたリオンは、ガラス張りのドアを開けてバスルームに湯を張る準備をする。
「もう入るのか?」
「……あ、そうだな」
本当ならば今夜の食事は支配人であるファウストと一緒にレストランで食べる筈だったと思いだし、二人顔を見合わせて今夜は断って明日か明後日に一緒に食べに行こうと苦笑すると、昨日食べられなかったルームサービスが良いとリオンがバスルームから駆け戻ってベッドに飛び乗る。
「オーヴェ、パエリア!」
「……サングリアとスパークリングワインを付けても良いか?」
パエリアが食いたいと昨日から言い張っていたことも思い出すが、ならば食前酒のサングリアとシャンパン、当たり前のようにビールは外せないとウーヴェが綺麗な笑みを浮かべてリオンを見ると、上目遣いに睨んできたもののウーヴェのその顔には絶対に勝てないと悟っている為に渋々頷く。
「デザートも良いか?」
「ああ。……もし、可能だったら、コース料理を運んで貰おうか」
父と母が利用するホテルなのだ、そのぐらいのサービスはあるはずだとお互いにその顔には絶対に勝てないと分かっている顔で頷き合い、今日のルームサービスはパエリアと後は適当なもので、明日か明後日はファウストと食事をしようと決め、ソファ横にあるサイドテーブル上の直通電話でスタッフに連絡を入れ、支配人に明日か明後日食事をご一緒したいが都合を窺っておいて欲しいと伝言し、返事については明日の朝で構わないともウーヴェが伝えると、リオンが嬉しそうにベッドに寝転がる。
寝そべったままガラス張りのバスルーム越しに沈む夕日を昨日のように見つめていたリオンは、背中にそっとキスをされて愛しい重みが掛かったことに目を閉じる。
「オーヴェ」
「何だ」
「うん。さっきさ、置いて帰ってごめん」
これだけは謝っておきたいと顔を擡げたリオンに苦笑したウーヴェは、その心をしっかりと読み取っているために謝罪は不要だと思っているが、それでも敢えて謝罪をしてくれたリオンに応えようと頷いた後、あんな風に冷たくされてしまえばどうすれば良いか分からなくなって戸惑ってしまうから出来れば止めて欲しいと控え目に申し出ると、リオンの身体が反転しごめんと泣きそうな顔で謝罪をしてくる。
「もう良い」
あの時ロビーでケンカ寸前の口論をしてしまったが、その結果こうしてまた深いところを知れるようになりこれから一緒にいる為の方策も認識し合ったのだからと笑うと、リオンの顔が今度は笑みに彩られる。
「オーヴェ大好き、愛してる」
「ああ。俺のリーオ」
結婚式の時にも誓ったが今度はお前に誓う、愛していると囁いて目元を赤らめるリオンの額にキスをすると、そのまま力を抜いてリオンに覆い被さる。
「……ダンケ、オーヴェ」
言われ慣れたがそれでも大切な言葉を伝えて背中を撫でたリオンは、部屋でパエリアと好きなチーズと酒で食事をした後もっともっと仲良くなろうと囁き、ウーヴェの無言の返事を額ではなく唇へのキスで受け取るのだった。