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四月の江南水郷は、すでに初夏のような蒸し暑さに包まれていた。
川沿いに整然と並ぶ楼閣、軒を反らせた屋根の家々、青々と茂る柳の木。街道には様々な商店が軒を連ね、活気に満ちていた。
その喧騒の中心、ひときわ目を引く豪華な楼閣の三階——最も上等な部屋は、まるごと貸し切られていた。厚手の絨毯が床を覆い、窓は川に面して大きく開け放たれており、涼風が絶え間なく吹き込んでくる。まさに、高談闊論にふさわしい場所だった。
だが、奥まった一室には、ただならぬ雰囲気を纏った人々が集まっていた。
主座の左手に座るのは、端正に仕立てられた中山装を纏った壮年の男。手元の資料を手に話を進めている。対する右手には、烏青色の唐装を着た男が静かに座っていた。硬い髪はきちんと後ろに撫で付けられ、額をくっきりと露わにし、冷たくも整った顔立ちには一切の感情が読み取れなかった。ただ、その視線は鋭く、彼らの議論を一言一句聞き漏らさぬ勢いで注いでいた。
左右の下座には、同じく中山装や唐装に身を包んだ各地の商人たちが座り、沈黙のうちにも緊張が漂っていた。
これは、まさしく“大口の商談”だった。未踏の分野、誰も足を踏み入れたことのない新たな市場。可能性とともに、計り知れぬリスクが隣り合わせに存在する。
霍震庭——霍家の現当主は、外見こそ不動のように悠然としていたが、心中はすでに苛立ちを隠せなくなっていた。江南人特有のゆったりとした気質に、どうにも歯痒さを感じていたのだ。
席の最前で進行を担う霍利明は、霍家に仕えて久しく、主の気配を敏感に察知していた。今が限界に近いと見て取った。
今回の南下は、往復を含めてすでに一ヶ月近くを費やしている。話は尽くされ、条件も整理され、霍家としては最大限の譲歩を行っている。旗はすでに掲げられ、販売ルートの構築、経営の一元化、収益の分配——すべてが明瞭だ。南方商人はあくまで出資と供給を担い、実務は霍家が一手に引き受けるというのが提案だった。
しかし、発注量の多さが彼らを躊躇させていた。生産体制を整えるには、膨大な機械投資が必要となる。準備が整っていない今、即断即決を求められるのは酷だった。
すでに数日を要したこの交渉。もはや結論を出す時だった。
「諸位、他にご要望があれば、どうぞ遠慮なくお申し付けください。霍家にできることであれば、必ずお応えします。この一件、霍家として全力を挙げて臨む所存です。」
霍震庭の声は淡々と、しかし確かな威圧感をもって場に響いた。
長年、彼は表立って商談に出ることはほとんどなかった。しかし今回の取引は、長江沿いの数百の企業、そして京・滬を繋ぐ大動脈に関わる。上海の港はすでに開かれ、物流の基盤は整っている。もしこの貨物が国外に向けて一斉に輸出されれば——それは、想像を絶する利益を生むこととなる。
霍当主の直々の宣言と、彼の揺るぎない自信の姿勢。そして、北方・慶城で名高い霍家の若き当主が、果断にして老練、勇猛にして周到であるという評判。
そのすべてが、南方商人たちの心を固めさせた。
「——やりましょう。霍家と手を組めば、世界に打って出られる。」
そのひと言を皮切りに、合同書が署名され、場の空気は一気に和やかさを取り戻した。
豪勢な料理が次々と運ばれ、珍味佳肴が卓を埋め尽くす。商人たちの顔には一様に笑みが浮かび、まるで黄金が目前にぶら下がっているかのように、盃を重ねて歓声を上げた。
宴が終わる頃には、すでに外は薄暗くなっていた。
楼閣を出ると、霍家の黒塗りの車が静かに待機していた。商人たちに礼を尽くして別れを告げると、霍家の三台の車は、闇を裂くようにして帰路へと走り出した。
中央の車の後部座席。霍震庭は目を閉じ、静かに身体を預けていた。
前席の霍利明がちらりと後ろを振り返る。このまま夜を通して走り抜ける予定だ。商談を纏めたその足で即座に帰京とは、さすが霍家の当主。休む間もない。
夜が明け始めた頃——空が徐々に薄明るく染まり、京の街に夜明けが訪れた。
その頃、京城の一軒の屋敷では、少女が早くも目を覚ましていた。
整然と布団を畳み、制服に身を包み、静かに部屋を後にする。リビングに出ると、家政婦の張嫂が朝食の支度をしていた。
湯気を立てる小籠包を運びながら、彼女は笑顔で声をかけた。
「小葵ちゃん、もう起きたのね。できたての小籠包よ、熱いうちに食べて。処長ももう座ってるわ。」
側室に入ると、そこには新聞を広げる男性——喬国文の姿があった。
「三叔。」
少女は静かに呼びかけ、席に着いた。
喬国文が顔を上げる。十七歳の少女。まさに花のような年頃、小柄で楚々とした佇まい。日常ではまるで子鹿のように軽やかに動き回るが、その中には芯の強さが宿っている。長く一緒に暮らしてきた彼は、それを知っていた。
だが——何よりも、彼女にはもうひとつの、忘れてはならぬ顔がある。
霍震庭が将来の伴侶として定めた、婚約者という顔が。