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『無事に帰ったか?』
……無事ではないです。
ベッドに腰掛け、京平からのメールを見ながらのぞみは思う。
嘘のつけないのぞみは、
『帰りました。
今、家です』
とだけ入れる。
『そうか、おやすみ』
短いよっ。
いや、私もなんだが。
『おやすみなさい』
と入れて、迷う。
ハートマークを打ってみた。
贖罪を兼ねて。
返事はなかった。
……寝たのか?
それとも、ハートマークとか入れて、こいつ、俺にメロメロなんじゃないか、とか調子に乗っているのか?
うむ、と悩みながら、のぞみは目を閉じた。
一応、今まで清く正しく生きてきた気がするのだが。
専務、今日、私は汚れてしまったようです……。
いろいろ思いわずらっていたせいか、翌朝早く、目が覚めてしまった。
昨日、カラオケで呑んでしまったので、車を置いて帰っていた。
バスと電車を乗り継いでいくのに、手間かかるし、ちょうどいいか、とむくりと置きて、部屋で支度していると、ドアを開けた浅子に、
「あんた、今日は早く起きな……
どうしたのっ!?」
と驚かれる。
いや……、ちょっと早く起きただけで、親にこれだけ驚かれるとかどうなんだろうな、私。
「行ってきますー」
と歩いてバス停まで向かいながら、のぞみは、いろいろと考えていた。
しかし、こんな悩みなど、永井さん辺りに言ったら、笑い飛ばされそうだな、とも思う。
『なんなのよ、あんた。
ちょっとキスされたくらいどうなのよ』
とか言われて。
……まあ、相手が御堂さんでなかった場合に限るだろうが。
鹿子たちだったら、
『御堂さんにキスされたって、なにそれ、自慢ーっ!?』
……かえって、ボコボコにされそうだな。
社外の友だちでも、あまり同情してくれなさそうだ、と思う。
なにせ、相手は、天下のエリートイケメン様だからな。
うーむ、と思いながら、早足になっていると、
「こらっ」
と真横から声が聞こえて、びくりとした。
京平の声だったからだ。
見ると、濃紺の大きな車が窓を開けてゆっくり走っている。
「なんで気づかないんだ。
お前、もしかして、今日は、電車じゃないかと思って来てみたのに。
マラソ大会で並走する車みたいになってしまったじゃないか」
と京平が文句を言ってくる。
「さっさと乗れっ。
脅かそうと思って、内緒で出てきたのに、もうお前が出てて、俺の方が驚いてしまったじゃないか」
なんだか笑ってしまったが、今、京平の車に乗る気にはなれなかった。
こんな汚れてしまった私など、専務の車に乗る資格はありません、とか思ってしまったからだ。
「あ、ありがとうございます。
でも……」
と言いかけたのだが、京平が振り返りながら、
「いいから、早く乗れっ。
後ろから車が来たじゃないかっ」
と言ってきたので、仕方なくのぞみは急いで乗った。
「心配するな。
今日も会社の手前で降ろしてやるから」
と京平は言ってくる。
はあ、ありがとうございます、と頭を下げると、
「……今朝、愛が深まったからな。
空振りでも内緒で迎えに来てみようと思ったんだ」
と前を見たまま、京平が言ってきた。
何故、急に愛が深まりましたか、と思っていると、
「朝、お前のメールを見たんだ」
と京平は言う。
いや、朝見たんですか……。
帰りました、と確認しただけで、寝てしまったようだ。
迷って迷って、送ったのに~とは思ったが、のぞみの初ハートマークを喜んではくれたようだ。
やはり、永井さんの言う通り、男の人はハートマーク送られると、嬉しいものなのかな?
……まあ、イチコロというほどではないようだが、と思いながらも、なんとなく和やかな空気のまま送ってもらった。
しかし、職場にはこの人が居ましたよ、と秘書室に入ったのぞみは固まる。
だが、
「おはよう」
と祐人は極普通に挨拶してくる。
そのまま、素知らぬ顔でノートパソコンの画面を確認すると、すぐに立ち上がり、何処かに行ってしまった。
……いつも通りだ。
もしや、記憶がないとか?
いや、記憶がないなら、そのままの方がいいのだが――。
専務用秘書室に行って、祐人と二人きりになっても、祐人はなにやら、急ぎでチェックする原稿があるようで、そっちにかかりきりになっていて、なにも言わない。
よしよし、忘れてるんだな、とホッとしたとき、ガチャリと専務室側の戸が開いた。
「御堂、さっきの原稿だが」
と入ってきた京平が、うわっ、と声を上げる。
祐人の後ろの棚にそびえる大きな金色の円柱の箱を見たようだ。
赤いリボンまで巻いてある。
「なんだ、それはっ」
祐人がパソコンから顔を上げ、
「昨日のボウリング大会三位の景品です。
チョコですよ、おひとついかがですか?」
と言う。
「いやいい。
男からチョコもらう趣味はないから」
と京平が言ったときには、祐人は、すでに箱から一本出していた。
中の長いチョコ棒も金色の紙でラッピングされている。
高級感を出したいのだろうか。
「坂下には二本やったんですけどね」
と言う祐人に、
「散々、それで私をつついたり、しばいたりした後にですよね~?」
と言ってやる。
京平は、
「……お前、もてあましてんだろ、それ」
と祐人に言っていたのだが。
なんだかんだで人がいいので、結局、もらわされていた。
しかし、御堂さんが私に二本目をくれたのは、カラオケから帰る前なんだが、その辺の記憶はあるのだろうか?
と京平が消えたドアの方を見ていると、
「ところで、俺、昨日、お前になにかしたか?」
と祐人が訊いてきた。
「なに、しれっと訊いてんですか……」
「いや、すまん」
と祐人は軽く謝ってくる。
一言で、すまされましたよ……。
まあ、このまま、この話題は流した方がお互いのためか、と思い、
「悪い酒ですね」
と言って、話を終えようとしたのだが、祐人はノートパソコンを見たまま、
「お前もな」
と言ってくる。
「え?
私もですか?」
「昨日のことは、お前も悪い。
お前、酔うとなんか可愛いんだよな」
そう祐人はこちらを見ないまま言う。
「……普段は?」
とつい訊くと、
「可愛くない」
とあっさり言って、祐人は立ち上がった。
祐人は、そのまま、専務室のドアをノックし、ちょうどこちらに来ようとしていたらしい京平とドアのところで、原稿を手に打ち合わせていた。
……この人、私にあんなことしておいて、平然と専務と話してますよ。
でもまあ、ってことは、あれは、御堂さんにとっては、たいしたことではないってことだよな。
このまま、なかったことにするのが一番だろう。
そう、このときは思っていた。