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「まだ変わらず、という感じですか」
ヤマナカ先生は私の目をしっかりと見て話す。私は静かに頷いた。部屋を失ってから、このチップ機能不全施設精神科に定期的に通っている。ヤマナカ先生は最初の頃から私を診てくれている先生だった。
「あの、先生」
「うん?」
「不躾な質問ですが、部屋というのは何のために存在していると思われますか。」
ヤマナカ先生は1度驚いたような、考え込むような仕草を見せたが、すぐに私の目を見つめた。今日、ヤマナカ先生はよく私の目を見てくれる。
「それはやはり、精神的な繋がりが確立した社会が豊かであると考えられているからでしょう。」
「…そうなんですか。」
「ただ、部屋で繋がる手段を知ってしまった世の中では、部屋を失ってしまった方々の心や思いやりが伝わることが難しくなってしまったと。それが…とても残念なことだと思います。」
約1000年前までは、この世に”部屋”なんてものは存在しなかったという。歴史の教科書には、大きく世界を変えたのはこの”部屋”を開発したヘンリーという男だったと、ページの殆どが彼の偉業や人生についてだった。まるでそれは歴史の教科書なんかではなく、ヘンリーの自伝であるかのように。
部屋というものが、人の心や気持ちを考えることを奪ってしまったのか。部屋のない世の中にも、きっと愛や人情は存在していたはずだったのに。
「昔の人々は…どうやって、愛や人情を見つけていたのでしょうか。」
「…分かりません。ですが、この仕事をしていて思います。部屋が無くなられた方々が失ったのは、”形”だけであると…心は失っていないんだと。」
「…私も、そう思います。」
ヤマナカ先生は、私の目を見てくれる。部屋のない私は形のない世界を生きなければいけない。私と同じように、部屋を失ってしまった他の患者も。
「先生、本当に今までありがとうございました。」
「いえ、こちらこそ。私はユウナさんの決断を尊重します。」
私はしっかりとヤマナカ先生の目を見つめた。彼の瞳の奥は、とても柔らかく暖かかった。今日で最後となる診察で、ヤマナカ先生はきっと最初の診察の時から、いつも私の目を見てくれていたのだと気づく。そうか、私が、目を見ていなかったのだ、と。
診察室を出て、真白い廊下を歩いていると、壁にぺたりと貼られた見覚えのある顔が見えた。彼は部屋を開発した偉人。
ヘンリー、私は貴方を尊重する。私はポスターの中のヘンリーの目をしっかりと見つめた。
ユイくん
お久しぶりです。元気かな?
今更かもしれないけど、
話したいことがあります。
もし良かったら、連絡ください。
待ってます。
ユウナ
形のない世界を教えてくれた。最愛の貴方に、今だからこそ会いたい。たとえそこに生まれるものが、形のあるものでなかったとしても、愛する心は存在しているのだから。