陰陽師と政治は
切っても切れぬ関係。
時也は、それを知っていた。
それを知った上で
自ら政治の駒となる事を選んだ。
雪音を守る為に──
雪音を
ただの座敷牢に閉じ込めるのではなく
この先も生かし続ける為には
時也が〝必要不可欠な存在〟と
ならねばならない。
ならば、選択肢はひとつだった。
己を、政治に捧げること。
ー櫻塚家の嫡子であるからー
ではない。
ー陰陽師であるからー
でもない。
ただ
〝雪音を守る為〟に
自らを捨てるしかなかった。
それ以外の理由は、何もない。
その瞳に光はなかった。
時也は、淡々と人の心を読み
彼らの欺瞞を暴いていく。
10歳にして
帝の側近であり
陰陽頭となった少年。
歴代陰陽師の
最高峰とまで称された。
しかし、そんな称号など
時也には何の意味もなかった。
雪音は⋯⋯
耐えられなくなっていた。
時也が
日々どんな想いで
政府に関わっているのか。
彼が見ているのが真実などではなく
嘘を暴かれる事への恐怖や
憎しみなのだという事を。
彼の耳に届くのは
「助けてくれ」でも
「信じてくれ」でもなく
「読まれる恐怖」と
「恨み」だけだった。
人々は、時也を
〝読心術を持つ陰陽師〟として
崇めながらも
その心の奥では彼を畏怖し
時には心の中で
〝化け物〟とすら
呼んでいた。
雪音には、それが耐えられなかった。
顔を合わせる度に
時也から
生気が失われていくようだった。
けれど
それを止める事はできない。
彼は、もう⋯⋯
ーそうならなければ生きられないー
場所にいる。
彼は、もう
ーそうしなければ雪音を守れないー
と知っている。
だからこそ
雪音は⋯⋯決断した。
その夜。
「琴⋯⋯頼みがあります」
座敷牢の中で
雪音は小さな箱を手にしていた。
「これを、お父様にお渡しください」
琴は、ふと違和感を覚えた。
「⋯⋯雪音様?」
それを渡してはいけない。
漠然とした不安が
琴の胸を締めつける。
「⋯⋯中を覗いたら」
雪音は
その鳶色の瞳を真っ直ぐに琴へ向けた。
「私には⋯⋯解りますからね?」
幼さを感じさせない
どこか威圧するような視線。
琴は、思わず息を呑んだ。
「⋯⋯⋯⋯⋯っ」
箱は、軽かった。
けれど、その重さは
琴の胸の中でずっしりと重く伸し掛る。
(⋯⋯これは
渡してはいけないのではないか)
そう思いながらも
琴は足を踏み出した。
座敷牢の廊下を歩く度に
不安が渦巻く。
何か
取り返しのつかない事が
起きるのではないか⋯⋯
しかし、琴は歩き続けた。
雪音の目が
どこまでも真剣だったから。
そして──
雪音の瞳が
〝決意〟を持っていたから。
その想いを、無下にはできない。
たとえ、何が起ころうとも──⋯。
琴は、歩き続けた。
静寂に包まれた広間。
漆黒の夜が屋敷を覆い尽くし
紙灯籠の炎が揺らめく。
その淡い光の下
櫻塚家の当主である父は
手の中の文を見て僅かに震えた。
それは──
ー未来の記された文だったー
細やかな筆跡で書かれた内容は
彼が殺される日時とその詳細。
暗殺の手口。
犯人の動機。
屋敷の何処で
どの時間に
どのように狙われるのか──。
まるで
その光景を見てきたかのように。
一言一句
鮮明に書き記されていた。
父は、ふと箱の外側を見た。
雪音の名が記されている。
座敷牢の中に閉じ込められ
外の世界を知る筈のない娘が
どうしてこんな事を知り得るのか。
どうして
まだ起こってもいない事が
此処に書かれているのか。
背筋に、冷たいものが這い上がる。
この文が、何を意味するのか。
彼は、理解していた。
(この娘は⋯⋯未来を知るのか⋯⋯?)
もし、これが事実ならば
この力を利用しない手はない。
今までは
〝時也〟という駒を使い続けていたが
ここにもうひとつ新たな駒が生まれた。
「⋯⋯ふむ」
箱の中の文を、もう一度見つめる。
その僅かな沈黙が
琴にとっては異様なほど長く感じられた。
彼女は床に平伏しながら
ただ当主の口から発せられる
次の言葉を待っていた。
そして、その間にも──
胸の中で不安が膨らんでいく。
(これを
渡しては⋯⋯いけなかったのでは⋯っ?)
(雪音様は⋯⋯
何をお考えなのですか⋯⋯?)
彼女の胸の奥に
漠然とした恐れが広がっていく。
時也の知らぬ所で
雪音の秘密が漏れた瞬間だった。
彼女は
未来を〝視る〟事ができる。
彼女は、それを隠し続けていた。
しかし
この文を父に渡した事で⋯⋯
自分は〝有益な存在〟であると
証明してしまったのだ。
ー時也だけが全てを背負う必要はないー
と。
ー私にも兄と同じように価値があるー
と。
ーだから、この手を取れ—
と。
兄の苦しみを
半分受け持つ為に。
それが、雪音の決断だった。
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兄と共に生きるため、少女は自ら鎖となる道を選んだ。 華やかな檻に囚われた雪音と、逃れられぬ時也。 運命に縛られた双子は、互いを救うために、なお深く傷ついていく──。 美しくも痛ましい絆の物語。