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久方ぶりに
朝廷から戻った時也は
屋敷の中を足早に進んでいた。
政務に追われる日々の中
彼が最も気がかりだったのは
雪音のこと。
「耐えきれなくなっているのではないか」
そんな予感が
胸の奥を微かに苛んでいた。
だからこそ
こうして屋敷へ戻るや否や
真っ先に彼女のもとへ
向かったのだ。
そして⋯⋯
時也は、座敷牢の光景を目にして
思わず息を呑んだ。
そこにあったのは
以前までの薄暗く
寒々しい牢ではなかった。
美しく飾られた、豪華絢爛な空間。
朱塗りの欄干
金細工が施された屏風
紫檀の机に
絹張りの座布団。
牢とは名ばかりの
まるで姫君の居室のような部屋。
その中央に
雪音は鎮座していた。
しっかりと切り揃えられた
黒褐色の長髪。
淡い桜色の上質な着物。
その姿は
以前の彼女とは
まるで違っていた。
幽閉された薄幸の少女ではなく
気高き令嬢の佇まいを持つ
堂々たる姿。
それだけで
時也は瞬時に理解した。
「やってしまったのか⋯⋯っ」
雪音は
父に〝己の力〟を示してしまったのだ。
「⋯⋯何故っ」
その一言が
喉の奥から零れ落ちる。
「何故ですか、雪音っ!」
声が震えた。
感情を殺すことを
覚えた筈の自分が
こんなにも容易く
心を揺さぶられる。
それほどに
これは絶望的な出来事だった。
何故、父に教えたのか。
何故、己の未来を知る力を
明かしてしまったのか。
「何故⋯あの男に教えたのですっ!」
その言葉に
雪音はふっと微笑んだ。
それは、どこか儚くも
強い意思を秘めた笑みだった。
「あの男の為では、ありませんわ」
穏やかな声色。
「貴方の為ですのよ? お兄様」
その瞬間
時也の胸の奥に
鋭い痛みが走った。
「⋯⋯僕は
そんなことを望んでは⋯⋯っ!」
雪音の手が
静かに膝の上で組まれる。
その所作すらも
まるで〝育てられた姫〟のように
優雅だった。
彼女の視線が
真っ直ぐに時也を捉える。
そして
「私が望んだのです」
雪音は、はっきりと告げた。
「自ら、望んだのです⋯⋯
お兄様と、共に生きる為に」
その言葉が
時也の心を⋯深く抉った。
彼女は
ただの駒になったのではない。
自ら
そうなる事を〝選んだ〟のだ。
ただ、兄と共に生きるために—⋯。
「⋯⋯雪音⋯⋯」
時也は、拳を強く握りしめた。
彼女が
ーこれほどの覚悟を持って決断したー
ということは
時也にとって
最も重い痛みだった。
自分の苦しみを
彼女が分け持とうとした。
それが
どれほどの地獄であるかを
知っていながら。
「お前は⋯⋯っ
そんな事をするべきでは⋯なかった⋯⋯」
震えた声が、静かに広間に落ちた。
しかし、雪音は微笑んだまま
ただ静かに時也を見つめ続けていた。
その瞳には
迷いも後悔も
何一つなかった—⋯。
かつて
ー双子は災厄だー
そう罵った父が
今やその双子を利用し
己の権勢を高めていた。
ー読心術を持つ陰陽師ー櫻塚 時也
ー未来を見通す巫女ー櫻塚 雪音
双子は
それぞれの能力によって
朝廷の中枢において
計り知れぬ影響を
持つようになっていた。
時也が心を暴き
雪音が未来を視る
二人が揃えば
嘘も欺瞞も
すべてが無意味となる。
彼らの言葉一つで
貴族たちは地位を得
あるいは失い
帝は彼らを傍に置く事を望み
朝廷の流れは
櫻塚家の手の中にあるかのようになった。
だが⋯⋯
座敷牢は、もはや
〝幽閉〟の為ではなかった。
最初は
雪音の存在を隠す為の牢だった。
しかし、時が経つにつれ
それは変わっていった。
ー逃がさぬようー
ー誰にも渡さぬようー
それは、まるで
〝宝物〟を封じる檻のように
強固で、美しく
そして冷たくなっていった。
重厚な黒塗りの扉。
外界との隔絶を示すように
分厚く強化された格子。
精巧な彫刻が施された金の飾り。
見る者が息を呑む程の豪奢な空間は
あまりにも歪んだ
〝姫君の檻〟となっていた。
「⋯⋯これは
牢ではありませんわね?」
雪音は、その扉を見つめながら
静かに笑った。
「これほどの調度品⋯⋯
これほどの装飾⋯⋯」
優美な姿で部屋を歩きながら
指先で絹の布を撫でる。
「まるで、私を
〝閉じ込める〟のではなく——」
「〝飾る〟為の檻、という訳ですか」
彼女の言葉は
何の感情も宿さなかった。
どれほどの富を与えられようとも
どれほどの装飾で囲まれようとも
ここが牢である事に変わりはない。
いや、それ以上に。
「これは、私の為ではなく
お兄様のための牢なのですわ」
雪音は、目を伏せた。
そう⋯⋯これは、時也の鎖。
彼女が
逃げられぬ存在となる事で
時也は
この屋敷を離れる事ができない。
ー時也は、雪音がいなければならないー
それを、父は理解している。
だからこそ
雪音を此処に閉じ込めるのだ。
ー時也が、離れぬようにー
ー時也が、抗えぬようにー
ー時也が、櫻塚の〝駒〟として
あり続けるようにー
『逃げられぬ雪音は、時也の鎖となる』
そして、その鎖は
誰にも解けはしない。
そう⋯⋯
雪音が自ら望んで
〝鎖〟となったのだから。