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陽の傾き始めた庭。
縛られた兵たちの間に立ち
ソーレンは
煙草の紫煙を細く吐きながら言う。
「でもよ?
慈善活動家にするのは良いが⋯⋯
今それやっちまったら
残りの残党の居場所
わかんなくなっちまわねぇか?
尋問して拠点を吐かせてからの方が
残党もいっぺんに纏めて楽だろ?」
その言葉に、時也は短く頷いた。
何処までも冷静に全体を見渡すその判断に
やはり戦士の勘があるのだと
認めざるを得なかった。
「⋯⋯ふむ。
それも一理ありますね⋯⋯
アラインさん、どうします?」
時也が振り返ると
アラインは一人、膝を抱えるように座って
空を見上げていた。
黒髪が風に揺れ
借り物の服の裾が
少しだけ肩からずり落ちているのも
本人は全く気にしていない。
「あぁ、それなら簡単さ。
拠点の場所の記憶はそのままに
善意ある人間に上書きしてから
ボクを連れて行かせたら良いよ。
ボクを見て、人質だとでも思えば⋯⋯
残党は門を開くんじゃない?」
「それでは、貴方が危険ではないですか?
それに⋯⋯初めて使う異能で
そこまで正確な精度で使えるのかも
まだ解りませんし⋯⋯」
時也の眉間に皺が寄る。
アラインの身を案じるというより
想定外の要素を許容することへの
慎重さが滲んでいた。
その顔を見て、アラインはにやりと笑った。
まるで
懐かしい遊び仲間に
昔話を吹かすような調子で。
「ねぇ、時也⋯⋯
ボクを誰だと思ってるの?」
そう言ってから、ふと腕を広げ
着ていたソーレンのシャツの
裾を摘んで見せた。
「今まで〝異能も無く〟
剣術だけで生き残ってきた人間だよ?
こんなの、面白いくらい余裕だよ」
「はは!
お前はアイスピック一本でも
生き残りそうだもんな!」
ソーレンが口を開くと
肩で笑いながらアラインの背を叩いた。
風が緩やかに草を撫で
木漏れ日が斑に落ちる。
その中で
三人はまるで〝旧友〟のように
言葉を交わしていた。
アラインはふっと肩を竦めて笑った。
まるで
昼下がりの余興にでも興じるような調子で
指先に力を込める。
「ふふ。
なら、決まりだね?
じゃ〝初めて〟の異能の発動だから
どこまでやれるか不安だけど⋯⋯
がんばろっかな!」
その声は軽やかだった。
だが──どこか、空気の密度が変わった。
アラインは片手を高く掲げる。
陽光がその指先を金に染め、指がひとつ──
──パチン、と鳴った。
風が一瞬止まり
時間がわずかに軋むような感覚。
辺りに漂う空気が奇妙な圧を孕んで
庭を包み込む。
そして
何も起こらなかったかのように
彼はその手をゆっくりと下ろした。
「⋯⋯じゃ、後は目覚めてからのお楽しみ!
だね?」
アラインの声に
ソーレンが眉を顰めながら
地面に並ぶ男たちを見下ろす。
「ほんとに、これで上書きされてんのか?
見た目じゃ解んねぇ異能って
確かめるには不便だな」
「目が覚めたら
時也に心を読ませたら良いさ。
成功してたら、縄を解けば良いだろ?」
何気ない会話に見えるそのやり取り。
だが、空気の奥底では
何かが確かに変わっていた。
それは〝ただの眠り〟ではなく──
彼らの〝世界の認識〟そのものが
静かに塗り替えられたということ。
誰も気付かぬまま
笑顔の奥に⋯⋯
記憶を根底から操る者の真意が揺蕩っていた
⸻
一人の男が、静かに瞼を震わせた。
陽が翳りかけた空の下
乾いた土の上に横たわっていたその身体が
微かに動く。
呼吸が深まり
拘束された腕に感覚が戻ってきたと同時に
彼の全身が小さく跳ねた。
目を見開き、荒く息を吐く。
「───っ!」
一瞬、鋭い警戒がその双眸に宿った。
兵士としての習性が
状況を把握しようと全身に緊張を走らせる。
だが──目の前に佇む男の姿を見た瞬間
その緊張が少しだけ緩んだ。
藍の着物に身を包んだ青年が
静かに膝を折っていた。
髪は整えられ、身仕舞いは一分の隙もない。
その眼差しには、刃のような鋭さも
威圧も無く、どこまでも柔らかかった。
青年──櫻塚 時也は
縛られた男と同じ目線に腰を落とすと
穏やかな声で口を開いた。
「⋯⋯ようやく、お目覚めですね。
まずは、拘束をお詫びいたします」
男は瞬時に唇を噛み締めた。
敵か味方か
それすら判別がつかぬ状況に
言葉を探そうとした刹那──
「我々は
貴方に危害を加えるつもりはありません。
⋯⋯むしろ、貴方を〝取り戻す〟ために
ここにいるのです」
時也の言葉は静かだった。
けれども、そこに込められた誠実さが
男の中に波紋を広げていく。
「⋯⋯洗脳、という言葉を使えば
伝わりやすいかもしれません。
貴方は、自らの意思とは違う命令の下で
動かされていた。
⋯⋯その状態は、今や過ぎたものです」
男の喉がひとつ、乾いた音を立てた。
「⋯⋯洗脳、されてた⋯⋯?」
「はい。
貴方の中にある〝本来の心〟を
私達は信じたいのです」
そう言って、時也は微笑む。
その微笑みに
押しつけがましい施しの色はなく
ただ、ひとりの人間としての
〝期待〟と〝願い〟だけがあった。
男は視線を伏せ
縛られた自分の手首を見つめた。
そして、低く、ぽつりと呟いた。
「⋯⋯俺は⋯⋯
昔、警察官になりたかったんだ。
でも、家は貧乏で
弟妹を養うために学費も払えずに諦めて⋯⋯
それで⋯⋯いつしか〝力〟で
人を守れる場所を求めるようになって⋯⋯」
その声音には、懐かしむような
けれど痛みを孕んだ揺らぎがあった。
彼の中に芽吹いた〝記憶〟は──
正しさの名を借りた〝偽り〟であっても
そこに宿る感情だけは
確かに〝真実〟の温もりを帯びていた。
時也は、その言葉を遮ることなく
ただ静かに、耳を傾けていた。