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唇に伝わる苦味のある液体が喉を通ってゆくのが感じられる。
「ゆっくりでいいよ、焦らないで」
彼は耳元で囁くと、背中を摩りながら飲む速度を合わせてくれる。
ようやく飲みきれた頃には喉がヒリついて少し痛かった。
「まだ飲む?」
薬が食道をつたって下りて、きちんと胃袋の中に収まるのを見届けてから話し始めた。
さえざえしていた気分が、沈みかけた秋の日のように陰ったりめいったりし出して、冷たい血がポンプにでもかけられたように脳のすきまというすきまをかたく閉ざし、思わず首を振る。
「そっか」
彼は白銀にひかる瞳を細め、そう呟くと立ち上がった。
そしてそれきり何も言わず、妙に気まずいものを感じる。
ふと自身の腕を見ると血は乾いて、壁土のように、白い皮膚にこびりついていた。身知らずの自分を助けてくれた人に、こんな姿を晒して、なんてことをしてしまったのだろう。
「あ……あの」
「ん?」
彼は少し驚いたようにこちらを見たが、すぐに穏やかな顔に戻った。
「助けていただいてありがとうございました……」
「どういたしまして、まぁその、助けたのは俺じゃないからその人に伝えておくね」
困った顔のまま愛想笑いを浮かべた彼は、静かに扉を閉めて何処かへ行ってしまった。
多分、あの人の他にも誰かが居たのだろう。その人にも礼を言わなければならいと思うのに、まだ頭は微睡みから抜け出せない。
「っ……ぅ」
また気を失いそうな眠気に襲われて、布団のうえで眠りにおちる瞬間の抵抗、ものうくこころよい寝返りの刹那に自分をおそう、あの透明ではげしい拡張感に微睡みの中へと堕ちていった。
◇◇◇
「やっと起きたか」
目を覚ました時にはもう空は暗くなっていて、蝋燭の灯りが部屋を照らしていた。
「調子はどうだ?」
扉は音もなく開き、そして僕の前にはまったく別の種類の闇が広がった。
彼は言いながら近くにあった座布団に腰を下ろす。
室内に広がる不安げな暗さのせいで正確な姿が捉えることは出来ない。
だが先程の若く張りのある響きの強い肉声ではなく、ぞっとするほど低い、押しこもった声の為別の人物が来たということだけは脳裏で理解した。
「……っ」
一言喋ろうとしただけなのに咳き込んでしまう。それを見兼ねたのか、彼は懐から布切れを取り出すと水差しの中に浸して絞った。
「ん……」
彼はゆっくりと布を自分の口に押し当てる。
「無理に話すな、余計な負荷を掛けて使い物にならなくなるのは嫌だろ」
「っ……ぅ」
布から染み出た露が、薄い唇の両端を伝って流れ落ちてゆく。
彼が答える顔を見ていられず、暗い廊下の葭戸の方を眺めた。
襖の隙間から僅かに光の筋が漏れていたが、それもかえって暗闇を際だたせる役目しか果たしていない。
「お前は熱が出ているんだ、とりあえずは寝ておけ」
そう言って彼は布団を首までかけてくれた。
大人しく従ったほうがいいのだろうか? いや、まだ寝れるほど神経が図太くない。それに聞きたいことも山ほどある。
「……あの」
そう言いかけた瞬間襖から光が射した。
自分の言葉に振り向いた彼に眼が吸いつくばかりの迫力に冴える。
彫のふかい彫刻的な顔立ちは女好きのしそうな眉目を兼ね備え、釣り上がった眉は皺を刻まれたように寄せていた。
「餓鬼が捨てられているのは気分が悪い……お前を助けたのは、ただの気まぐれだ」
彼はそう呟くと、また襖を静かに閉めた。
「っ……」
彼の姿が視界から消えると同時に、自分は布団に潜り込む。
そして恐怖が身体の底で蠢き出すのを感じた。あの目、あの顔、あの声、全てに覚えがある。いや、そんな生易しくない。もっと深いところで記憶している。
思い出したらダメだと脳が警鐘をならす。
しかし記憶は否応なく頭の中で蠢き、肉に根をおろしてゆく。
あの眼をみた時の身体の芯まで凍りつくような震えが脳髄を叩く感覚に床の下から鳴き出した虫のような憐れな声が部屋へと響いた。
終。